予兆
初投稿です。この作品は全てフィクションです。
予兆などは何もなかった。60才も半ばを過ぎてもう老年かと自嘲交じりに呟きながら、定年後過ぎても家族さえ作らず気ままに好きなことをやっている毎日は、ストレスもなく何気に満足した日々を送っていた。最近のマイトレンドは第二次世界大戦後の日本の物語を書こうと様々な資料を集めて構想を練っているところだった。
そんな毎日が突然消失した。俺は出会ったことの無かった人物になっていた。頭を締め付けられる痛みと断続的な嘔吐で海にゲロを吐きながら、混乱していた。俺は中島健作であるはずが、中島洋之助なのだ。この人物と俺は確かに血の繋がりがある。俺の父親の兄であったはずだ。しかし、戦争中に予科練に志願して行方不明となって死亡したと聞いた記憶がある。その当人が俺であった。もちろん洋之助叔父の記憶はある。けれど洋之助叔父の魂を感じることができない。考え方は中島健作そのままであった。気分が多少落ち着き波間に揺れる小型漁船の縁にへたり込んでいる自分を意識しながら、洋之助叔父の最後の記憶を探ってみると、足を取られて転倒して頭を打った覚えがあった。それ以降は何もなかった。今日は昭和20年8月9日。この場所は九州の南端、大隅半島沖で鹿屋基地近くの海辺であった。俺(洋之助)は予科練に志願して特攻の隊員になる覚悟ではるばる九州までやって来たのだが、志とは違い水産中学(今でいうと高校)を出ていたため、部隊長に「お前、魚獲るの得意か。」と聞かれて、つい「漁船に乗って、魚は毎日のように獲っておりました。」と答えたら、「なら、隊員の毎日の晩餐に美味しい魚を獲ってこい。」と命令されて、毎日漁港から魚を求める漁師暮らしの毎日だった。
特攻で旅立つ隊員の皆には美味しい魚ありがとうと感謝されたり、残された家族に対する内密の最後の手紙(当時の手紙は全て検閲されて都合の悪いことは黒塗りになってしまう)や遺品を預かったりした。もちろん見つかればただでは済まなかったが、漁船小屋の地面に甕を埋めて隠してあった。戦争が終わったら届けたいと思ったからだ。俺(洋之助)は最後の晩餐には最高に美味しいものをと考えて塩をたくさん調達してもらい、最高の干物を作ろうと努力した。部隊長に味見をしてもらったら、唸って「一層精進せよ。」と激励を受けた。それからは、かなり自由に漁に出ることが出来るようになった。そして、8月9日、基地に魚を届けると長崎方面で新型爆弾が落とされたと基地内は騒然としていた。そう、俺は知っていた。今日がどういう日であったか。歴史は非情に事績を積み重ねていく。俺はどうすればいい。どう生きればいい。俺の体は中島洋之助だが心は令和の中島健作。何故この時代に転移したのだろうか。後6日もすれば終戦になる。特攻しても今では無意味な攻撃、無駄死にとも思えるが、止めることは出来ない。毎日漁に出て泥のように眠る。部隊長あて血書を書き漁船の小屋に置いた。
8月14日の夕闇の中、詰めるだけの燃料と少しの食糧、水、干物、塩、そして預かっていた遺品の入った甕を漁船に詰め込んで港を出た。