皇帝と真実 4
陽気な春の日が、部屋を照らしている。
真っ白なシーツは皺一つなく、輝いていた。
ふと、目が覚める。
瞼が重い。
どこか、寒い。
不安になった。
なぜかはわからない。
心にぽっかり穴が開いてしまったよう。
その穴に風が通り抜けていくのが嫌い。
「…ロベルト。」
愛しい彼の名前を呼んだ。
返事はない。
また、一人。
怖い。
心臓を強く握りしめられている。
苦しい。
寒い。
怖い。
ここはどこ?
知らない場所。
また、なくなる。
記憶が?
いやだ。いやだいやだいやだ。
視界がぼやける。
指先が冷たい。
ベッドに入っているのに。
感覚が消える。
手は目の前にあるのに。
ロベルト、どこ?
また、赤く染まる。
大好きな人が、いなくなってしまう。
気づけば走っていた。
冷たい。
どこ、どこ、どこ、どこ、どこ?
ロベルトはどこ?
どこにいるの?
大理石でできた廊下を走る。
ペタペタと足音が大きく響く。
誰もいない。
「ロベルトーっ!」
広いホールに声が響いた。
落ち着かないとダメってわかってる。
冷静にならないとダメってわかってる。
でも、できない。
怖い。
命は、壊れたら元に戻らない。
その人の声も聞けない。触れることも、喋ることも、笑いかけることもできない。
こちらの声が届くことはない。
お母様のように。
もし、これが何十年も後の世界だったら?
前みたいに、その記憶を忘れていたら?
今は、いつなの?
ロベルトは生きているの?
いやだ、いやだ!
ロベルトがいなかったら、私はどうやって息をすればいいの?
魚が水を失ったら、その魚はどうやって生きていけばいい?
外に出た。
明るい。
ロベルトの魔力を感じた。
大きな魔力。
ロベルトの魔力。
その方向に向かって走り出す。
芝生が刺さって、石を踏みつけて。
それでも、歩みは止めない。
だって、後少しなんだもの。
「ロベルトっ!」
あなたの温もりが恋しい。
あなたに名前を呼ばれたい。
私の片翼はあなたがいい。
だから、置いていかないで。
***
あれからカナリアは眠った。
昨晩、泣き疲れて眠ってしまったカナリアを宮殿に連れ帰ろうと思ったら、陛下が泊まって行けと言った。
遠慮しようとしたものの、陛下の顔を見れば、そんなことはできなかった。
結婚も婚約もしていないカナリアと共に寝るのは良くないので、僕はいつもの執務室の椅子の上で眠った。
どうにも眠りが浅い。
十分とは言い難い睡眠の後、体慣らしに騎士団の訓練場へと向かった。
多少は気が紛れるだろうと。
春の早朝。
まだ日は昇っておらず、肌寒い。
そんなかでも、騎士たちは剣を奮っていた。
国のために。民のために。
「ブロード殿、手合わせ願いたい。」
騎士たちと軽く剣を交わしていると、騎士団長がそう申し出てきた。
長い金髪を一つにまとめ、薄いシャツを羽織っている彼は、普段の威厳ある雰囲気とはまた違うものがあった。
「ああ。」
私は平坦に返す。
ここにいるのは、公爵だ。
ロベルトではない。
騎士団長が構える。
それに習って私も剣を構えた。
「では、よろしくお願いする。」
「ああ、こちらこそ。」
互いに目線を合わせ、挨拶を済ませる。
「では、始め!」
騎士の合図に合わせ、騎士団長が素早く踏み込んだ。
ガキン、と鈍い音が響き渡る。
火花が散り、砂埃が舞った。
騎士団長が上から振り下ろした剣を上で止め、流す。
騎士団長の長い金髪が揺れる。
アクアマリンのような透き通った瞳がこちらを映した。
瞳の中には穏やかな色があるにも関わらず、獲物をとらえたタカのような瞳をしている。
ゾク、と背筋が粟立った。
ああ、良い。
この視線。この殺意。
人とは、素晴らしい。
知らぬうちに、口角が上がっていた。
「ふっ、はは。」
笑いが溢れる。
騎士たちとは違う、まっすぐな構え。
迷いのない剣筋。
戦場を思い出させる。
この殺意。この熱気。
高揚感のためか、魔力が漏れる。
ピリピリと肌に刺す感覚もなおいい。
しばらく剣を交え、わかったことがある。
これは強い。
だが、これで終わりだ。
『数多なる川に宿りし水の神よ。精霊契約の名の下に。深淵の淵より顕れよ。水の精霊王ケアノス ーー 』
精霊王召喚の詠唱を唱える。
これぐらいなら受け止められるだろう。
上位の貴族で優秀なものならば使えるはずだ。
何を顔を青くしているのか。
水が空中にぼこぼこと浮かび上がる。
大きな魔法陣は上空で形を成し、後数十秒後に完成する。
その間、私は複合魔法を展開していく。
『◾️=◾️◾️===◾️◾️=====◾️===◾️==』
何重もの魔法詠唱を唱え、複合していく。
騎士団長の顔色がさらに悪くなった。
咄嗟に結界を展開していたが、もう遅い。
その場に、爆音が響いた。
風で飛んできた小石を結界で防ぎながら、砂煙が引くのを待つ。
結界は展開したまま、騎士団長の魔力を探した。
騎士団長は受けた傷を癒しながら己を守っていたので、死にはしなかった。
まあ、死なせはしない程度に加減はしたが。
騎士団長を見つけた後、彼の足場を崩し、バランスを崩させたところで間合いを詰め、首元に剣をやった。
「私の負けですね。私の実力では、あなたには遠く及ばない。」
騎士団長が尻餅をついた状態で両手を上げる。
悔しそうに、けれど、どこか嬉しそうなその瞳。
吸い込まれそうなほどに綺麗な瞳は、誰もが魅了されてしまうだろう。
ああ、カナリアには魅了されて欲しくないな。
「そんなことはない。こちらも楽しかった。少々はしゃぎ過ぎてしまってすまない。お遊びが過ぎたな。」
訓練の一環とはいえ、あのままでは宮殿ごと破壊してしまっただろう。
それは些か宜しくない。
「いえ!精霊王が召喚できる方など、私は初めて見ました。本当に、素晴らしかった。」
そこから、しばらく騎士達と雑談をしていた。
先ほどの戦いや、その作戦についてなどが大半だった。
そして、ようやく日が全貌をを見せた頃。
「ロベルトっ!」
悲痛な叫びが、訓練場を支配した。
現れたのは、瞳を潤ませたカナリアだった。
銀髪に、左右で違う瞳。
白のワンピースを着た彼女は、天から舞い降りてきた女神のようだった。
けれど、その顔は不安が滲んでいる。
「カナリア!」
途中で躓いて転けそうになったカナリアを支えるべくそちらに向かう。
間に合わないと思ったので、風魔法でこちらに移動させた。
空中をふわふわ舞うカナリアを抱き留め、腕の中に仕舞い込む。
騎士団長を含む騎士たちから息を呑む音が聞こえた。
それは、カナリアの美しさからだろうか。
少々不快な気持ちになったが、それは彼女の涙で吹き飛んだ。
「カナリア、どうしたの?泣いているの?どこか痛い?」
公爵の面など、忘れていた。
またもや騎士たちから驚きの視線が背中に刺さった。
「うぁ…ロベ、ロベルト…!」
ぎゅうぎゅうと僕の首を締め付けてカナリアは泣き出した。
声をあげて泣く彼女を見たのは初めてだ。
あいにく、僕にはカナリアの顔が見えない。
騎士たちに見られるのは嫌だったので、カナリアを抱き上げ、その場に座った。
これで、顔が見えるし、他の誰かに泣き顔が見られることもない。
膝に座らせて、そっと背中を撫でた。
小さな身体は寒さに凍える鳥のように細かく震え、冷たかった。
カナリアは僕の腰に抱きつき、体を丸めて泣いていた。
抱きつかれた腰に回った腕は驚くほど細くて白い。
いつもより冷たくて、いつもより小さい。
僕は空間魔法から毛布を取り出して、そっとカナリアに被せた。
彼女の体を覆う白い布は、天使の羽を彷彿させる。
「カナリア、どうしたの?何か、恐い夢でも見たの?」
優しく背中を撫でながら空気が暖かくなるように暖かい風を作る。
カナリアは泣きながら答えた。
「っ…おきたら、知らないところでっ…ろべるとも、いなくてっ…また、みんな、私を置いていなくなっちゃったのかと、おもって。また、私が忘れているのかもしれないって…怖くて…」
カナリアから伝わる魔力の波動は大きく揺れていて、じわじわと大きくなってきている。
そういうことか。
怖くなったのだろう。
自分がまた忘れているのかもしれないことを。
一人になることを。
「ごめんね、早くに宮殿を出ていたんだ。今は、アーレンス289年。君が眠っていたのはほんの数時間だ。
誰もいなくならない。君は19。僕は21。何も変わらない。大丈夫。大丈夫だよ。」
ゆるゆるとカナリアが顔を上げる。
ああ、美しい。
潤んだ瞳に、赤くなった目元。
乱れた髪も、絡まることなく背中に流れている。
なだらかな頬に流れた雫をそっと手で拭う。
「大丈夫だから。ね、まだ起きるには早い。ゆっくりお眠り。」
「うん…っ」
カナリアから伝わる鼓動に合わせて優しく背中を叩く。
僕の右手はカナリアの両手に包まれ、カナリアの頭は僕の膝の上にある。
身体は訓練場の砂の上だったので、カナリアの周りに芝生を生やし、地面を柔らかくした。
カナリアを寝かし付け始めて数分後。
穏やかな呼吸が聞こえた。
起こさないように毛布ごと抱き上げ、立ち上がる。
「ブロード、殿…?」
一部始終静かに見守っていた騎士団長が呆然と私の名を呼んだ。
「ふふ。ここで見たことはどうかご内密に。では、私は我が姫を寝室に連れて行くので、お暇しよう。世話になった。」
騎士団長に笑いかける。
心からの笑みではないが、こうして他人に笑いかけるのは久方ぶりだ。
人差し指を口元に持っていく。
静かに、とでも言いたげなそれは騎士たちを黙らせた。
ああそれとー
「もし、このことが明るみになることがあれば、私は真っ先にあなた方を潰しに行く。夢夢、忘れることのなきよう。」
全員が固まる。
それを無視して、僕は宮殿の部屋へ向かった。
温かい小さな美しい鳥を抱えながら。
遅くなって申し訳ない!
色々といじっていたら時間が空いてしまった…




