これを愛と呼ぶならば
新章開幕!
母との最後の思い出は、血濡れた世界だった。
村が、焼かれた。
襲撃された。
赤。
炎。
悲鳴。
煤。
人間。
温もりも、思い出も、全て、失われた。
「カナリア。ごめん、ごめんね。お母様には、もうこれしかできないの。」
幼い頃、母はそう言って、あの場所に私を閉じ込めた。
母は、泣いていた。
左右で目の色が違ったのを、よく覚えている。
『これはね、あなたのお父様が褒めてくれた瞳なの。』
そう、嬉しそうに語っていたのを覚えている。
その瞳から、光が消えたのも、よく覚えている。
母が結界をはって、優しく微笑んでいた。
結界の外で。
後ろに大きな人が来て、手に握られた銀色の細いものが母の胸を突き刺した。
ずっと、母は微笑んでいた。
最後に、何か魔法をかけられたのだ。
それが、この記憶を忘れさせる魔法。
ああ、朝だ。
***
「…ると………ベルト…」
ああ、遠くで誰か呼んでいる。
今日も、君は目覚めないのだろうか。
「………と。……きて。」
何ヶ月も聞きたいと願った声だ。
けれど、聞けずにいる。
ついに、幻聴でも聞こえ始めたのだろうか。
「…ロベルト。起きて。」
そっと頬に手が添えられた。
ほんのり温かい。
これが夢であるならば、幻聴であるならば、暖かさは感じないはずだ。
「カナリア!」
ばっ、と飛び起きた。
それが誰か、わかった。
朝日が昇っている。
カーテンの隙間から、光が漏れる。
窓から入り込んだ風が、彼女の美しい銀髪を揺らした。
左右で色の違う瞳。
右は新緑。左は琥珀。
長いまつ毛が、その宝石を縁取っていた。
彼女は、上半身を起こして、こちらを見つめていた。
「おはよう。」
春が来て、芽吹く。
真っ暗闇に、光が灯った。
会いたいと、願っていた人。
「…ああ…おはよう。」
気づけば、カナリアを抱きしめていた。
細い細い身体が、動いている。
それに合わせて髪が流れる。
繊細な手が、背中に添えられている。
花の香りがする。
「よかった…本当に、よかった…君はもう、目覚めないのかと…」
君が眠っている間は、地獄だった。
生きた心地がしなかった。
呼吸の仕方を忘れてしまった。
頬に涙が伝った。
物心がついてからは、泣いたことなどなかったのに。
「ごめん、ごめんね、ロベルト。」
ゆっくりと頭を撫でられる。
そんな彼女の声も震えていて。
カナリアが生きていることが嬉しくて。
声を聞けたことが嬉しくて。
嬉しさで泣くとは、こういうことかと。
これを愛と呼ぶのなら。
「ねえ、カナリア。」
「なあに?」
「愛は、どんなもの?」
ずっと、聞きたかった。
君に。
僕が君に抱く感情は、何なのかと。
「僕は、君が目覚めないと思うと、怖いんだ。君がこの世界のどこにもいないと感じると、それがどうしようもなく恐ろしく感じる。
君が、世界のどこかで生きていて欲しいんだ。
君という美しい鳥が、この世界のどこかで羽ばたいているのが、とても嬉しい。
これを愛と呼ぶのなら、僕は、君を愛している。」
これを愛と呼ぶのであれば。
愛がわからない。
だから、これが愛なのかわからない。
君は、それでもこの感情を受け入れてくれるだろうか。
「…私にも、愛はわからないの。でも、私もロベルトがこの世界のどこかで生きててくれたら、それだけで私は満たされる。
私は、あなたの声が聞きたい。あなたに生きていてほしい。
これを愛と呼ぶのなら、私は、ロベルトを愛しているの。」
背中に温かい水が落ちた。
そっと体を離すと、カナリアも泣いていた。
煌めく瞳は、どこまでも美しい。
「ねえ、ロベルト。私はあなたと一緒に世界を見たい。知りたい。貴方のことも知りたい。一緒に美しいものを見て、綺麗なものを見つけて。私は、貴方と一緒にいたい。」
ほろほろと大きな雫が流れている。
綺麗なガラス玉。
「ああ…一緒に世界を見よう…カナリア、君が望む限り、僕は君のそばにいる。」
体の内側から、色とりどりの感情が溢れ出す。
あの森が、あの場所が、あの部屋が、僕らを出会わせ、導いた。
「愛しているわ。」
そっと手が重ねられる。
こつりと、額も重なる。
「僕も、愛している。」
手のひらに落ちた雫が、雨上がりに広がる青空のように、キラキラと煌めいていた。
***
「っ!!」
パリンと、2階から結界の割れる音がする。
我が君!
屋敷の者全員が、その気配に気づき、二階へと駆け上がる。
この屋敷のものは、足音がしない。
そう訓練されたものだけが勤めているのだ。
執事、メイド、庭師、シェフ。全ての人物が2階へと駆け上がる。
庭師は窓から。影からの護衛は天井裏から。
他の者たちはそれぞれ階段から。
私が扉へ向かって歩くと、自然と人が避け、道ができる。
金色のドアノブに手をかけた。
弾かれない。
全員で固唾を飲む。
ゆっくりと、ドアノブを捻った。
「ロベルト…?」
敬愛する主君の名を呼ぶ。
ベッドに腰掛けるその姿が見えるとホッとする。
けれど、我が君の視線はご自分の斜め下にある。
その視線を追った時、私も、私の後ろに控えていたものたちも目を剥いた。
「…おはようございます。皆様。」
ロベルト様の隣にいたのは、カナリア様だった。
正確には、カナリア様ではない。
私たちが知る彼女ではなかったのだ。
長く、ゆるく曲線を描く艶のある銀髪。
左右で色が違う宝石のような瞳。
スラリとした体。
まるで、神が自ら手がけた創造物。
「……ええ。お目覚めになられてよかった。カナリア様。おはようございます。」
嬉しそうに笑った彼女は、とても美しかった。
本当に、よかった。
この数ヶ月間で一番軽い足取りで、レオは二人の元へ向かった。
***
空はどこまでも青い。
限界という言葉を知らないように。
広い広い空は、この世界の誰もが見ている。
それを受け入れるかは、人次第。
けれど、空はそんなことを気にも留めない。
どこか遠い場所にいる双子も、国家の頂点も、赤き瞳も、誰もが同じ空を見ている。
誰もが同じ空で、等しく生きている。
カナリア。それは美しき鳥。
青い空を飛ぶ鳥。
過去が、明かされるー




