憎悪の暴走 1
「わたくしの方がふさわしいのよ!」
きんと耳を劈く奇声があがる。
周りはザワザワと騒ぎ立て、その令嬢に視線を向けている。
バラバラになっていた点が磁石に集められ、一点に集中する。
その一点こそ、彼女たち。
目の前で騎士団に拘束されながら泣き喚く令嬢を静かに眺めるのは、他でもないカナリアだった。
数刻前ー
ロベルトが去って私は一人になった。
一人でいるのは嫌いじゃないけれど、こういう場だと心細く感じてしまう。
暇になった私はロベルトをさりげなく目で追う。
観察して思った。
ロベルトは公爵様だ。
冷徹、氷、無表情。
周りが笑顔で接している中、公爵様は無表情だ。
その裏にどんな感情が隠れているかわからない。
普段ならわかる瞳の奥も今は鍵がかけられているかのように読めない。
その切り替えと閉ざしっぷりに感動してしまうほどだ。
そして、もう一つ。
ここは、何か甘い匂いが漂っている。主にご令嬢から。
香水の類なのだろうが、私はどうにも苦手だ。
ロベルトぐらいの、近くに行ったらわかるぐらいがちょうどいい。
最後に。
敵意とはわかりやすいものである。
先ほどから向けられている視線。
明らかに黒い感情が見える。
そして、その視線を向けているのが一人のご令嬢。
チラリとみると、あまりの格好に顔を崩すところだった。
胸元は大きく開き、豊満な胸を強調している。
くるくると巻かれた金髪とエメラルドのような瞳。
分厚く、紅が乗った唇。
ひらひらと舞うドレスには宝石が散りばめられていて目に付く。
長く見つめすぎたのだろうか。
私の視線に気づいたご令嬢がワインを片手にこちらにツカツカと歩いてきた。
何やら嫌な予感がする。
「あの、よければお話を……キャア!!」
話しかけられたと思えば、こちらに倒れ込んでくるではないか。
まさかそこまでするとは思っていなくて、流石に驚く。
ほんの数コンマ。その間に私はぐるぐると頭の中で考えた。
このままドレスにワインをかけられて周りの注目を集めたところで少しお灸を添えてやるのもありだ。
だが、それだとドレスが汚れてしまう。
せっかくアイラさんたちがやってくれたのに。
ならばどうしようか。
瞬時に周りの様子を思い出す。
一つ、良いことに気づいた。
私の後ろにいる人。
彼は騎士団長だ。
銀の甲冑に身を覆い、その場の警備をしている。
彼を囮にしてみようか。
騎士団長という特別な地位とその権力は貴族の中で最高位である公爵にも劣らぬほどだ。
騎士団長には申し訳ないが、少しこの茶番に付き合ってもらおう。
私は手に持っていたワイングラスを空のワイングラスに変えた。
すぐ側にあった、ロベルトが置いていったグラスだ。
後から私と飲むつもりで置いていったのだろう。
それを風の魔法ですっと取って身を翻した。
そして。
パシャ、と液体が溢れ、何かにあたった音がした。
「あら、ごめん遊ばせ。綺麗なドレスが赤くなってしまったわ。」
わざとらしい笑みを作って謝られる。
無論、私のドレスなどシミひとつないが。
赤く染まっているのは騎士団長の甲冑だ。
それに気づかない令嬢の愚かさに笑えてくる。
「…どこが、赤くなっているのでしょう?」
「…は!?何で避けたのよ!」
なぜ、避けたという言葉が出てくる時点で確信犯である。
あまりの素直さに呆れてくる。
「避けてなどいません。わたくしはワインをとりに行くところでしたもの。それより、貴女が躓いた時に溢れたワイン、わたくしにはかかっていませんけれども、わたくしの後ろにいる方が被害に遭っていましてよ?」
少し横にずれる。
彼が動いたからだ。
「え…?……あ…」
私の言葉に驚いた彼女。そして、視線を横にずらした時、彼女の顔の色は消えた。
サア、と青白く変わっていく顔。震える手。
それでもなお、彼女は頭を下げない。
それほど余裕を失っているのだ。
理由は明白。彼女がワインをかけたのはあの騎士団長。
「これは、どういうことか。説明をお願いできますかな。ジョアンナ殿。」
重圧感のある声。皇帝陛下には劣るものの、周りを萎縮させるようなオーラを持った人。
どうやら、このご令嬢はジョアンナというらしい。
「あ…その………」
わなわなと手が震えている。
恐れではないのだろう。自分が今いる状況が気に食わないだけだ。
「…説明できないのであれば、少しついてきてもらいます。」
優しい方だ。物事を表面で判断するのではなく、内面で判断する。
なるほど、騎士団長に収まる器の持ち主ということか。
「こちらのご令嬢を連れて行け。」
「「は」」
そばに控えていた騎士たちが動き出す。
後ろに手を回された彼女の顔は、先ほどとは違って真っ赤に染まっていた。
「……さい。」
「何でしょう?」
「離しなさいと言っているのです!この無礼者!」
いきなり怒鳴り散らして体を捻って拘束を解いたジョアンナはこちらに突進してきた。
それもものすごい剣幕で。
流石に身の危険を感じた私は魔法を使うことを視野に入れて身構える。
私に手が届く寸前のところで横から太い腕が伸びてきた。
「流石に度が過ぎます。これ以上のことは騎士団長として動かねばなりませぬ。ご理解いただけるだろうか。」
「…っ!何なのよ!何でこんな女が彼の方の隣に立っているの!?」
再び拘束されたジョアンナは動きは止めたものの、口は止めなかった。
「ジョアンナ嬢ー
「良いのです。騎士団長様。彼女の話を聞かせてください。」
忠告を無視した彼女を連れて行こうとする騎士団長様に片手を当てて制した。
彼女の行動には何やら裏があるようで、彼女の戯言を聞いてみようと思ったのだ。
騎士団長様は口を紡ぐと彼女の拘束を続けた。
「何で、何でこんな女が彼の…ロベルト様の隣にいるの!?どの面にしても、わたくしの方が優れているのに!わたくしの方が、彼の方をお慕いしているのに!彼も、わたくしのことを大事に思ってくれているはずなのに!なぜ彼はわたくしを選んでくださらないの!?」
真っ赤に染まった額には青筋が浮かんでいた。
「わたくしの方が、ふさわしいのに!」
終いに悔しさか怒りか涙がボロボロと溢れだし、床を大きな丸が飾った。
何事かと周りも私たちに視線を向ける。
あまり目立ってはいけない。早めに終わらせよう。
「…まず、貴女はひとつ勘違いをしているわ。」
「何よ!」
「わたくしは彼の大事な人かもしれないし、そうでないかもしれないわ。わたくしにとって彼は大事な人だけれど、彼の心は知らない。なぜ貴方は、あたかも自分に心が向いていると思っているの?なぜ、彼の心を知っているような口ぶりなの?貴女は、彼に聞いてみたのかしら?」
「そ、それは…」
ぐ、と唇を噛み締めるジョアンナを見つめる。
「貴女がロベルト様をお慕いしているのはよくわかったわ。でも、それをわたくしに向けて何になるというのかしら?わたくしはロベルト様ではなくってよ?」
当然のことだ。なぜ彼に対する好意が私に対する悪意になるのか。
私には理解できない。
私の思考が浅いのだろう。
私は人の感情には敏感だけれど、それを根本から理解できない。
こういうことだから、こういう感情。
行動と感情を結びつけているから、こういう私の論理に反するものは理解できない。
様々なパターンがある行動と感情は、たまにちぐはぐだ。
好きなのに苦しいとか、幸せなのに窮屈とか。
私にはそれがわからない。
形としてはわかるのだが、中の感情を理解できない。
きっと私は、そういうのに疎い。
だから、人と関わろうと思った。
世界を知りたいと思った。
「…お話は以上よ。自分の愚かさを反省なさい。少し頭を冷やしてくるといいわ。」
彼女の耳元に顔を寄せ、別れを告げる。
「お話は済んだようだ。彼女を連れて行け。」
「「は」」
騎士団長様は部下に指示を出すと、こちらに向かってきた。
「さあ、次は貴女です。」
「ごめんなさい。貴方を巻き込んでしまいましたね。」
本当に申し訳なく思っている。
きっとしばらくワインの匂いは取れないだろう。
「そこじゃありません。あの数秒で、作戦を練って実行した貴女について知りたいのです。」
「…何のことでしょう?」
まさか見抜かれていたなんて。
魔法も気づかれたのだろう。
こんなにも聡い騎士団長はいなかったはずだ。
(ー?)
いなかったはずだ?
なぜ過去形なのか。
何だろう、私は何かを忘れている。
「私を囮にしたでしょう?」
騎士団長様の声で今の疑問が吹き飛んだ。
完全にバレている。
これは面倒なことになったかもしれない。
「その節については謝りますわ。本当にごめんなさい。でも、そちらの方が彼女にとっても良いかと思ったのです。」
「それはそうだ。だが…
「あら。わたくし、人を待たせてしまっているようで。ごめんなさい。話の続きはまた。」
くるりと後ろを向いて人々の視線を突っ切りながらバルコニーへと向かう。
私の輝く大切な人が待っている。
「待って、貴女のお名前は…!」
後ろから聞こえてきた声に一度振り返る。
「ああ、申し遅れました。わたくしはカナリア・アラン。ロベルト・ブロード様の……パートナーですわ。」
ロベルトのことを何というか迷ったけれど、ダンスのパートナーということにしておいた。
「ブロード公爵家の時期当主の婚約者…?」
カナリアは知らない。
パートナー=婚約者ということを。
そしてそれを、周りの人間が聞いていたということを。
パートナー=婚約者を知らなかったカナリア。
やっちまったな!
本日2回目の投稿。なんか抜けてない?と思った人はひとつ前にお戻りくださーい。
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