#1 第2節
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ゴールデンウィークがすぎて日の暑さもだんだん増してきて五月の頃、櫛見幸斗はいつも通り文化研究部に通った。
部屋の中には八敷先生がいて、コーヒーを飲みながら資料を読んでいた。
「今日はまだ誰も来ていないんですね」
文化研究部のメンバーはそれほど多くない。幸斗と同学年の部員は彼を含めて三人しかいないとのことだ。
一人は和泉荒志郎という眼鏡をかけた男子生徒で、彼が持つ能力は物体の『分解』と『再構築』。彼がいうには先祖代々から右手に特殊な力を付与させる家系なのだとか。
そしてもう一人は真風屋美佳。彼女は『五大思想』と呼ばれる思想を基盤にして魔術を行使する家系だと聞いた。
普段彼らの方が先に部屋に来ているのだが、今回部屋には八敷先生とたった今入ってきた幸斗だけしかいなかった。
「ああ、今週は掃除の当番なのだろう。もう少し待てばそのうち来るだろうから、そこに座っていてくれ」
そう言って八敷先生はパイプ椅子を指差した。その指示に従って幸斗は席に着いた。
「そろそろ『碧水』の扱いには慣れてきたか、幸斗?」
と、八敷先生が幸斗に問う。
碧水……僕に宿った、生命力に溢れた碧色の水を放つ能力のことをそう呼ぶことにしていた。
初めての活動では制御がなっていなく、体育館を崩壊させてしまった。あれからある程度の数をこなして制御できるよう技を磨いてきたが、まだ慣れたというには程遠いだろう。
「以前よりは上手く行ってると思いますけど……まだまだ足りないところが多いと思います」
八敷先生の質問に僕はそう答えた。
「まあ、じきに慣れていけば良い。君の力は頼りになるものだ。…………最近はこの辺りの霊脈が乱れている。近いうちに何か大きな怪異が現れるやもしれん。その時には君の力が大いに役立つだろう。」
なにやら物騒なことを呟く八敷先生。よくわからないがこの江峰市に危機が迫っていることは感じ取れた。
「レイミャク……なんですかそれ?」
「ああ、幸斗には伝えていなかったか。ではざっくりと神秘の世界について講義をしよう。まず君たちが普段封印している精力晶石。あれを構成する物質が『オド』と呼ばれる魔力だ。これは人や動物が持っているエネルギーのことを指してね、呼吸などの行動とともに微量ながら放出される。それが集合して塊になると精力晶石となる訳だが……まあ、それはまた別の話だ。——さて、ここで問題だ。生物はどのようにして『オド』を得ていると思う?」
…………少し難しい話だが、要は生物の授業で習うような食物連鎖のような話だろう。エネルギーを得るために他者からエネルギーを奪う。つまりは——
「食事……ですか?」
「む、鋭いな。それも確かに一つの手段だ。同じエネルギーを持つもの同士で奪い合うことも事実としてある。…………だがもっと根源的に、『オド』とはどこから来たものなのかを考えてみてくれ」
幸斗は顎に拳を当て、少し考えてからこう言った。
「あっ、もしかしてそれがレイミャクってやつですか?」
「概ねその通りだ。地球上に満ちている魔力————我々は『マナ』と呼んでいるが、それを生物は『オド』に変換して取り込んでいる。そして霊脈というのはその『マナ』が集まりやすい場所だ。江峰市にも大きいものが一つ存在するのだが、ここ最近そこに溜まる魔力量が異常に増えていてな……そんな短い期間でもないと思うが、今のうちに君の力を引き出しておく必要があるようだ」
それはまるで自身に誓いでも立てるかのような八敷先生の呟きだった。彼女の来歴を詳しくは知らない幸斗だったが、彼女には大人の責任感のようなものを背負っているということだけは見てとることができた。
————ふいにドアが開いた。
そろそろ荒志郎たちが来る頃だったか。視線がドアの方へ映る。
しかしそこにいたのは荒志郎や美佳ではなかった。
見慣れない顔だった。両サイドがおさげの三つ編みになった少女の姿がそこにある。赤い眼鏡をかけた彼女の顔は不安そうな顔でこちらを見つめていた。
「し、失礼、しますっ」
緊張を露わにしたまま声を上げる彼女。幸斗は彼女の足元を確認した。
江峰東高校では学年ごとに上靴の色が違う。二年生が緑で三年生が青だ。
そして彼女が履いているのは赤い上靴……おそらくは一年生だろうか。
「私、昨日の夜塾帰りが遅くなって、夜中に街を歩いてたんですけど……そこでなのちゃ……菜乃花さんを見つけて、彼女普段そんな遅くにいるような子じゃないのに…………それで心配になって担任の先生に聞いたんですけど、先生がここに相談すると良いって……」
弱々しく語る少女。
「そうか……ところですまないが名前は? 私は八敷意という。この文化研究部の顧問だ」
「あっ、僕は櫛見幸斗と言います」
八敷先生の問いに彼女はビクッと小動物のような素振りで取り乱した。
「あっ! すす、すみませんっ……! 私、山岸望未です……! 菜乃花さんのこと、お願いしていいですか?」
「そうか、私からもよろしく頼むよ、山岸さん」