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『祈現の碧』Prevalent Providence Paradigm  作者: 宇喜杉ともこ
第3章 華隷彌─カレイド
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#3 第3節

  

 

 トリープは幸斗の携帯を取り出し、『ある人物』に連絡をした。

 

『……櫛見くん? ——まあ用事はないけれど…………わかった。すぐに向かうよ』

 

 呼び出した先は駅前の公園。銅色の柱時計の下でその二人は顔を向き合った。

 

「言われた通り、ここに来たけど……なんの用?」

 

 時計の針は午後の六時半を指していた。五月半ばのこの時間帯は世界がオレンジ色に染まり、互いの顔がそれぞれ影と光で視認しづらくなっていた。

 

「その、いきなりのことで申し訳ないし、突拍子もないことで驚くのも無理はないんだけれど——僕たちと一緒に戦って欲しいんだ」

 

 トリープは幸斗の口調を真似て眼前の人物——織本薫へ話しかけた。

 

「どういうこと? なんで、僕に聞いてきたの?」

 

 反射する光ではっきりとは見えなかったが、怪訝そうに首を傾げる薫の姿がそこにあった。

 しかし貌が映らないのはトリープも同様であった。

 逆光によって隠れた表情の中で、口元だけが穏やかに話しかけていることを示していた。

 

「実は——」

 

 トリープは八敷先生と同じようにこれまでの経緯を薫に伝えた。

 

「そんなことが……! でも、僕にはどうすることもできないよ……力になりたいのは山々だけれども…………」

 

 弱々しく、呟くような声だった。

 

「そのために、これを持ってきたんだ」

 

 トリープはそう言って八敷先生から渡された札を取り出した。

 

「これは……なに?」

 

「これは、僕が封印した怪異の札。薫もよく知っているあの怪異だよ」

 

「それって、もしかしてっ……!」

 

 一段と強い風が公園の木々を揺らした。

 緑がかったトリープの黒髪も、薫のブロンズに反射した黒髪も同様に揺れた。

 

「そう……『オリガミ』さ。今はこの大きさで封印されているけれど、これを破れば姿が現れる。これを使って、一緒に戦って欲しいんだ」

 

「でも、そんなことしたら……またっ……!」

 

 

 誰かを傷つけてしまうかもしれない。

 

 

 薫が二歩後ろへ下がった。

 以前薫に憑いていた怪異——オリガミは依代となった人間の感情によって凶暴性が変わる、極めて制御の難しい性質を持っていた。

 その怪異から放たれる暴風は広範囲に膨大な被害を及ぼす。その危険性を彼はその身で実感していた。

 

「そう恐れるのも無理はないとはわかっている。でもこのままだと、美佳も、荒志郎も危ないんだ」

 

「どうして僕なんだ……? 他の人だっていいだろう……⁈」

 

 薫は自身の腕を掴み、身体を震わせるようにして声を発した。

 

 自分には罪がある。それがたとえ他人に知られるようなことではないとしても。

 あの日から一ヶ月以上経った今でも、あの時の自分なんて思い出したくもなかった。

 ————だけどそれは逃げだ。

 それはわかっている。だからゆっくりと向き合って『やり直し』を進めている最中だった——だが、それは何と向かって?

 二度目も力を手に入れて、同じように誰かを傷つける過ちはしたくない。その恐怖心は本当に己から現れた本心なのか?

 

「君にしかこの能力は使えないよ。君の怪異だからね。だから、君に協力して欲しいんだ」

 

 トリープが一歩脚を踏み込んだ。すると、逆光で隠れていた顔から鋭い瞳が現れる。

 

『傷つくことを恐れるな、傷つけることを恐れるな』

 

 その瞳を見て、薫はその言葉を思い出した。

 

 

 ああそうだ——僕はそのことから逃げ出してはいけないんだ。

 

 

 薫の中で炎が燻るような感触があった。

 危険な力だ。誰かを傷つけるかもしれない。

 でもその力があれば、それ以上に誰かを助けることができるかもしれない。

 

 薫は決して人助けを進んでするような人間性ではない。だが目の前の友人すらも見捨てられるような人間性でもなかった。

 

 しかし、薫の心を動かしたのはそのような善性ではなかった。

 

 薫はただ一歩を、重々しくゆっくりと踏み込む。

 

「…………わかった。その札を僕にくれ。僕も、君たちの力になりたい」

 

 これは——贖いだ。

 

 己の怪異の凶暴性は即ち己の心の凶暴性である。それを律して自らの裡に留めて生きることこそ、真の意味での『やり直し』ではないのか。

 

 薫はトリープの手の内にある札を掴み、真っ直ぐに彼の瞳を見つめる。

 

「ありがとう。君が来てくれるのなら、心強いよ」

 

 幸斗の姿をしたトリープが言葉を紡ぐ。だがこの言葉は偽物じゃない。幸斗自身であってもこのような状況であったなら同じように言うだろう。

 

 橙と蒼が混ざり合ったような空の下で、互いの拳を握り合わせる。

 薫の手の中には確かにオリガミの札がある。

 梅雨が近い時期だからだろうか、彼らの額には汗が滲んでいた。

 夕日がその汗をちょうどよく照らして、輝かせた。

 

「だけど、一つだけ確認していいかな」

 

「なんだい?」

 

「君、本当は櫛見くんじゃないね?」

 

「…………そんなに()は物真似が下手なんだろうか」

 

「いいや、口調から佇まいまで完璧だったと思うよ。だけど…………彼だったら、僕に頼らずに二人を助けに行っていた。————そう思ったんだ」

 

「……それは、その通りだね。でもだったらどうして私を疑わなかったんだい? 君を嵌める罠かもしれないのに」

 

「その瞳を見ればわかる。その眼は、僕を救おうとしてくれた櫛見くんの眼と同じだ。だから中身が誰であろうとも、信じられそうな気がした」

 

 その言葉を聞いてトリープはふっ、と思わず鼻で笑った。

 

「それはいつか……君を危険な目に遭わせるよ?」

 

「——でも、彼が居るから僕はまだ胸を張ってそういられる。櫛見くんが僕を信じてくれたように、僕も人を信じていたい」

 

「そっか……そのためにも、彼を助けないとね。今彼の意識は美那萌の怪異の中にある」

 

「……うん、行こう」

 

 そうして二人は夕日を背にして歩き始めた。

 今宵繰り広げられるは明日の日常を取り戻すための戦い。登り行く朝日を迎えるために、二人は歩くのだった。

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