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『祈現の碧』Prevalent Providence Paradigm  作者: 宇喜杉ともこ
第1章 檻神─オリガミ
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#3 第2節


 放課後になった。ここまで特に何かが起きたことはない。意外にも相手はTPOを弁えているようだ。思えばあの時も僕ら二人しかいない時に狙ったように襲われた。

 しかし、まずいな……と舌打ちをした。ちょっとした野暮用で帰りが遅くなってしまった。一人で帰るのは危険かもしれない。それに人気の少ない道を通る必要もあった。

 世界がオレンジ色に染まっていく。薄暗く、ほのかに暖かい道を自転車で駆ける。予想通り周りに人らしきものは見当たらなかった。

 

 途端に周囲の空気の流れが変わった。この感触を覚えている。あの時と同じだ。『見えない何かにへし折られる』感触……!

 咄嗟に自転車を盾にして体を屈める。刹那、目の前にある自転車が『く』の字を描いて折れ曲がる。この身を襲った衝撃は自転車という緩衝材を通してもなお激痛をもたらした。

 

いったた……はぁ…全く、また自転車を壊したなんてどう言い訳すればいいんだか」


 と、そんな不満を漏らしている場合ではなかった。今は目の前のことに集中しないと。

 次の襲撃に備える。今の衝撃は西側から来たものだった。なら次は後ろの東からか? そう思案している間に二発目が来た。

 意外にも、それは同じ方向から来た。咄嗟に横に飛び退き一回転して受け身を取る。

 一発目から二発目にかけておよそ十秒のクールタイムがあった。その間に回り込まれていないということは相手はこちらから遠く離れたところから『狙撃』しているのかもしれない。

 今はともかく西に向かおう。そうすればこの事態の犯人が見つかるかもしれない。

 進むにつれて攻撃の間隔が早くなってきている。あちらは僕が接近していることを感知しているのだろうか。だが何度も降り注ぐ攻撃に体が慣れてきた。目にこそ見えないがなんとなくカタチある何かが飛んでくるという感覚が認知できる。それさえ掴めれば避けるのは容易かった。


 

 西に向かって百数メートルほど進んだあたりで一際大きく強い波動を感じた。おそらくはアタリだ。坂の頂点には、逆光に照らされた一つの人影。その後ろに『何か』がいる。

 それは半月を象ったような三角の頭部らしきものがあり、その下も同様に三角や四角といった単純な形で体が構成されていた。下半身はなく、腰の辺りから宙に浮いてその人影の後ろに立っている。そして何より特筆すべきは、体のどこにも、『厚み』がないという点だ。まるで紙でできたかのような無機質な体をしている。

 人影がこちらを向いた。その顔は、今朝見た顔──織本薫だった。

 

「近付いてくるやつは不用意に信じるな……」

 

 その声に僕の歩みは抑制された。これ以上近づいたら殺す、その意思が声の中に漏れ出していた。

 急いで八敷先生に伝えなければ。

 そう思い、携帯電話を取り出し電話をかける。しかし携帯が鳴らした音は相手の応答を待つ暇もなく即座に押し潰された。

 不可視の烈風が僕を襲う。衝撃は僕の耳元を掠め、通り抜けた。傷こそないが致命的な状況に陥った。さっきの烈風は携帯に直撃し、携帯を真っ二つに折り切ってしまったのだ。

 

「……それが僕の学んだ唯一の真実だ」

 

 一息吐く間もなく猛攻が押し寄せる。瞬時に危機を察知し、近くにあった街灯の後ろで身構える。めきぃ、と音を立ててへし折れる街灯の柱。これが、今まで僕を襲っていた脅威──!

 薫の放つ敵意は苛烈にして獰猛。その敵意が増すにつれ衝撃の威力が強まっていく。

 

「まってくれ! どうしてこんなことをする!」

 

 必死になって僕は声をあげる。

 

「これは、僕の望んだことだ……こんな折り紙みたいに薄っぺらいヤツだけど、コイツが僕の望みを叶えてくれる」

 

 淡々と薫が呟いた。これが彼の望み…? 一体どういう意味なんだ……?

 

「僕は……もう傷つきたくないんだ」

 

 微かに薫の声が漏れ出でる。

 

『傷つきたくない』

 

 それが彼の思い——だけどこれじゃあ逆効果だ。

 

「それが人を傷つけることでもかっ⁈」

 

 僕の叫びが一瞬の静寂をもたらした。薫の目がさらに曇る。

 

「……どうせ、先手を打たなきゃやられるのはこっちなんだ。だったらやられる前にやる……当然のことだろう?」

 

「……話し合えば、そんなことしなくて済むはずだっ! それなのに君はそれすらも拒んでる……! それじゃあいつまで経ってもひとりぼっちじゃないか⁈」

 

「それでいいんだよ……話し合ったところで、裏切られる可能性もある。むしろ話をしない方がずっと楽に済む」

 

彼の中に潜むのは絶対の拒絶の意思だ。適切な理解もなしに話し合ってくれるはずもない。何か彼を救い出す(すべ)はないのだろうか。

 

「同情はいらないよ。君に僕は救えない。僕は助かろうなんて思ってないよ。今のままでいいんだ。だから君も僕に関わろうとしないで。本気で殺す前に」

 

 冷淡な薫の声が静かに響く。彼を巣食う心の檻は相当なものだ。自らを守るために他人を拒絶する。故に彼の孤独は誰にも救えない。

 ——果たして本当にそうだろうか?

 

「いいや、助ける」

 

 この状況で僕は笑みを浮かべてみせた。深く息を吐いて、地面を踏み締める。

 ざぁっ、と一目散に走り出す。駆け出した脚は逃げるためではない。薫のもとへ向かうためだ。

 

「なっ……⁈」

 

 薫の顔に恐怖と驚きの表情が浮かんだ。だがそれも一瞬のことで、目の前の状況を理解するとより一層の敵意で迎え撃った。

 烈風が迫り来る。先ほどよりも避けやすいと感じるのは、目が慣れたおかげか、それとも相手が焦りで単調な動きになっているからだろうか。

 いける、そう確信した。あと少し、手を伸ばせば彼に届く…! ——その瞬間。

 

「あぁぁああ……!」

 

 薫の慟哭が背後のヤツと呼応し、今までに見せていない力を発揮した。

 

「ぐわっ……!」

 

 彼の発する拒絶の意思は特定の誰かを指すものではなく、自分を取り巻く全てを対象とするものに向けられた。——避けることはできない。そう気付くが意味はない。僕の体は宙へ投げ出され、走り始める前の振り出しの地点に戻されてしまった。

 

「はぁ……バカなやつ。それになんの意味があったんだ」

 

 薫は乱れる鼓動を抑えつつ、冷淡と言葉を述べる。

 事は振り出しに戻った——そうであればまだマシだった。飛ばされた距離は転がった分を含めて二十数メートル。それだけ吹き飛ばされればその身にかかるダメージも軽症とはいかない。所々骨にヒビが入り、運が悪ければ数本折れているところだ。

 

「それでもっ!」

 

 自らを鼓舞し再度走り出す。何度傷ついてもそこで諦めるわけにはいかないと、体に鞭を打つ。

 

「何度やっても同じだよ。ほんと無駄なことを繰り返すのはやめてほしいなぁ……」

 

 薫は呆れた感情と怒りが混ざった表情でその行為を見つめていた。なんのことはない、さっきと同じように吹き飛ばしてしまえばいいことだと。五メートルほどまで近づいた地点で先程と同じように吹き飛ばした。

 

 

 うつ伏せで倒れ伏したまま地面を見つめる。もう起き上がる気力がなかった。

 真っ黒な地面を見つめていると、その中からまるで映写機にようにイメージが浮き上がってきた。そこに映るのはあの時の『緑のヒト』だ。いるかどうかもわからない曖昧なシルエット。表情さえ上手く掴み取れない。ただなんとなく、心の奥底からいたたまれない憐れみと、慈悲深い微笑みを向けられていることを感じた。

 

「何者なんだ、あんたは」

 

 そう問いかけてみる。意味がないのはわかっている。ただなんとなく気になったので聞いてみたかったのだ。

 

『私に、名前などない』

 

「……ッ⁈」

 

 予想外の出来事に言葉が出ない。返答が来るなど思ってもいなかった。そんな僕の困惑を知らずか、知ってあえて無視しているのかはわからないが、その声は静かに囁き続けた。

 

『契約だ』

 

 その言葉に全身が震える感触を覚えた。よくわからないが、それで彼を助けることができるのなら、断る理由はない……!

 

『よかろう。いざ契約、ここに結ばん』

 

 その言葉とともに、心象に映った緑のヒトは消えていった。

 体中に、碧い力の奔流が流れてくるの感じる。途端に、体から活力がみなぎる。傷は痛むが、動ける。この身に何が起こったのかは知る由もない。だが好都合だ。これでもう一度走ることができる。

 

 

 体の感触を確かめながら、ゆっくりと立ち上がる。真っ直ぐと薫を見つめ、もう一度走り始める。だがその眼前に衝撃が迫る。

 

「くあっ……!」

 

 疾風は僕の肩を過ぎ去り、そのあとに激痛を残していった。それでも僕は臆することなく進む。

 

「なんだ……どういうことだ……? おまえのその眼や髪……少し緑がかって……いや、どうでもいい。来るなら潰す……今ここで!」

 

 薫の声とともに吹き荒ぶ烈風。それを僕は避けなかった。

 今の僕にはこの暴風を受け止める力がある————身体の奥底からそう訴えてくる声があった。

 前方に手をかざすと、『碧い水』が湧き出でる。原理はわからないがとてつもないエネルギーを伴ったものだということは理解できた。

 水の放射が衝撃を受け止め、吹き飛ばされまいと抵抗する。

 

「くっ……うっ……!」

 

 衝撃による痛みが増してくる。けほっ、と咳をするとともに血が出てきた。

 

「なぜだ……いや、なにをやっているんだ……! 避けるでも食らうでもなく受け止める……⁈ 正気の沙汰じゃないっ……!」

 

「そうかもしれないな……だがおまえが目に映るもの全てを傷つけるなら、誰か一人でも強がって耐えないとダメだろ?」

 

 受け止めた暴風が軌道を逸らして身体中を切りつける。しかし怯むことはない。こんなことで怯んではいられない。

 彼がどのようにして全てを拒絶する力を得たのかは僕は知らない。だがその力は彼にやり直すチャンスを奪ってしまった。

 

「でもそんなものは偽物だっ! 強がりの見せかけで作られた友情なんて、信用できないっ!」

 

 薫の嘆く叫びが響く。あれが彼の紛れもない本心なのだろう。

 

「そこを履き違えているんだ、君は。隠し事一つない友情なんて存在しない。人は誰しも見せられない姿を隠し持っているんだ。それでも、僕らは互いに生きていける…! だって…僕らは傷つけあう分、支え合うことだってできるんだからっ!」

 

「うるさいっ! そんなもの、誰も教えてくれなかった! いつだってあいつらはオレを虐げるばかりで支えてなんてくれなかった!」

 

 薫の怒号から溢れ出る悲痛な思いが胸を刺す。だが——。

 

「それは違う! それは君が自分の心を閉ざして誰からも助けを求めなかったからだろ……! 傷つけられたなら痛いと叫べ! 虐げられたなら仲間を求めろ! 傷つくことを恐れるな、傷つけることを恐れるな! ……互いに傷つけ合うからこそ、僕らは痛みを分かち合えるんだ。僕らは一人では生きていけない……だから『折り合い』をつけて生きることが大切なんだ!」

 

 薫の顔が苦悶の表情で歪む。

 

「それが出来たらオレはこんなに苦しむことなんてなかったっ! いいよなおまえみたいなヤツは! 簡単にそういうことを言ってのけるっ! この世界には弱みを見せたらすぐ付け入ってくるクソみたいなヤツらが沢山いるっていうのに……!」

 

 薫の背後から解き放たれる圧力に弛みが生じてきた。

 今だ、と手を振り払う。力のせめぎ合いによる反動は薫自身にも伝わったのか、大きく体をのけ反らせた。その隙を逃さず駆け寄る。

 

「来るなぁ!」

 

 薫の叫びに呼応して後ろのヒトガタが動くが、もう遅い。地面から湧き出す清流が、薫とその後ろのヒトガタを呑み込んだ。

 

「はあっ!」

 

 大蛇が如き水の流れに呑まれた薫はその重みに身動きが取れず、必死にもがく。

 

「かぁッ……!」

 

 その薫の後ろでヒトガタは濡れ紙のようにふやけ、散り散りになった。

 

 

8/19 改稿しました

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