#2 第2節
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昨晩も上手く眠れなかった。病院で目が覚めて以来、僕の日常に安眠が訪れることはなかった。
それはあの惨状による恐怖か、否、僕の中に残る一つの謎が原因だった。緑のヒトか、それも違う。謎は自分自身のことだった。
───何故僕は無事でいるのか。
たまたま運が良かっただけと言われればそうかもしれないが、それにしてもほぼ無傷の僕と重症の花岡とでは何が違ったのだろうか。
何故ここに自分が居られるのかその正体が掴めないことに恐怖し、頭を悩ませているのだった。
自転車を降りて、例の坂道を登る。
いつも通りの通学路、だけどいつもとは違う心持ち。どこに脅威があるのかわからない閉塞感に呑まれて、行き交う視線全てに意識を向けざるを得なかった。
その警戒心はただの杞憂であり、なんのことなく学校に到着した。まだHRより随分前なので、照明もついておらず、教室にも数人程度しかいない。
カバンの荷物を整理していると、近くに誰かが座った。新学年が始まってまだ時間が経っていないのでクラスの名前や顔を全て把握しているわけではなかったが、彼のことはよく覚えている。
彼の名は織本薫。昨年度もクラスは一緒だったのだがこうして顔を合わせるのは今年が初めてになる。なぜなら彼は今年まで不登校だったからだ。
ふと、目が合った。あっ、と声が漏れ出る。咄嗟に目を伏せ沈黙の時間が流れる。
しばらくしてちらっと目を開け、こちらをむいてないか確認し、その場を離れた。
朝のHRの時間になった。やはり花岡の姿は見えない。彼の傷はとても深かった。今もまだ、江峰東高校から遠く離れた都市の病院で入院しているのだろう。
あれから数分経ったが、まだ先生の姿が見えない。もしかして、すでに先生の身にも危険が……⁈
そう思っていたのも束の間、かつんかつん、と足音が響いた。ドアから現れたのは八敷先生だった。
「杉田先生は急用でご出席なされないので私が代わりにHRをします」
HRが終わってすぐに八敷先生が僕のもとに来てこう言った。
「杉田先生は我々が保護している。わかるか?またもやこのクラスに被害者が現れたということは」
──この中に犯人がいるかもしれない。
そう考えざるを得なかった。ひょっとしたら、今まさに攻撃が始まろうとしているのだ。誰が犯人で、次は誰が襲われるのかもわからない恐怖の時間が流れた。
不意に、教室一帯から話し声が聞こえた。
「なあ知ってるか? 杉田先生、学校に来る途中で事故ったらしいぜ」
「あー聞いたよそれ。なんでも車体が急に横転したんだってな。そんでよ、不思議なことに杉田先生の車体には、何かがぶつかったような跡が横についていたって話だ」
「ほんと、花岡のやつといい最近変だよな。ひょっとしたら影で大きな事件が起こってるのかもなー……なんて冗談だよ。ははは」
どこもかしこも皆杉田先生の話題で持ち切りだった。それも無理はない。この短期間で立て続けにこのようなことが起こるのは滅多にないのだから。
僕らが同じ目に遭った時もこのような動揺で教室中がざわついたことを覚えている。ただ二度目ということもあって今回の方が騒ぎは大きかった。
昼休みに入り、昼食を食べながら今回の事態について考察を始めてみた。
ここまでに発生した被害者は僕と花岡、そして今日の杉田先生で三人だ。
共通点は言うまでもない。どちらも江峰東高校に在籍しているということだ。
このような点から八敷先生の言う通り、このクラスの中にこの事件を起こした犯人がいると思われる。
ではどのようにしてこの「犯行」を行ったのか。
当然通常の物理現象によるものとは思えない。
にわかには信じ難いが、これが文化研究部が対処していると噂の「怪異」というものなのだろうか……。
そして何より重要な疑問はなぜ僕らは狙われたのかということだ。
僕がなにか恨みを買うようなことをした覚えはない。もちろん、花岡や杉田先生もそういうことをする人間だとは思えない。
だとすれば報復行為ではなく無差別攻撃なのか? いやそうであったら僕ら以外の被害者がいるはずだ。
そう考え込んでいると不意にこちらを呼ぶ声が聞こえた。
「やっほ、櫛見くん。今日も花岡くんいないから一緒に食べる子いないの? だったら私が前に座ってもいい?」
そう言いながらこちらが許可を出す前にその女は着席した。
こんなときにでも元気いっぱいの声で話しかけてくる彼女の名は真風屋美佳といった。
彼女は高一の時からの知り合いで、顔が広い割には周りと群れない独特な人間だ。
「ああ良いけど。どうしたんだ? 僕のところに来るなんて、珍しい」
「いやー最近花岡くん来れてないじゃん? だからなんとなくーっていうか、ちょっと心配だったっていうか……ま、その調子なら大丈夫そうだけどねっ」
実際は気が気でない状態なのだが、どうやら彼女にはそう見えるらしい。
「それにしても花岡くんといい、杉田先生といい奇妙なことが起こるよねー。あっそういえば杉田先生なんだけど問題ないって話だよ! 一週間もすれば帰ってくるって」
「そう、なのか。よかったな。それは」
適当に相槌する僕に美佳がムッとした。
「むー。ちゃんと話聞いてくれない。こっちは心配してるのに。あっもしかして何か考え事してた? 次の小テストのこと? 恋愛系? それとも、今回の『事件』について?」
「——————ッ!」
ぞわあっ、と全身の毛が逆立つような気分だった。
なぜ彼女はこの事を事件として認識しているのだろうか。
「ん? ウチ変なこと言ったかな? ……あー、確かに変か……うーんよくないコト言っちゃったかなー?」
そう言いながら首を傾げる彼女。一気に緊張感が抜けるが彼女はこの事について何か知っていることがあるのだろうか。
「どうして……事件だと思ったんですか?」
「……あはは。カンだよカン。……ゴメン、あんま良い話じゃなかったよね。せっかくだしもっと楽しい話をしようよ」
そうして話題は切り替わった。
それからあとはたわいもない話が続いた。
真風屋美佳……彼女は今回の事件に何か関係があるのだろうか。