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Prevalent Providence Paradigm  作者: 宇喜杉ともこ
第2章 虚月─ウロツキ
23/29

#6 第3節

 

 荒志郎が以前語った菜乃花の夢では、満月が昇っていた。彼女が夢の中で見ていた景色は、もしかするとこの虚数空間だったのかもしれない。

 そうであれば彼女が月に恐怖心を覚えたことにも納得がいく。

 僕たちが今戦っている菜乃花の体を借りた怪異は本体じゃない。だからいくら攻撃してもダメージを与えることはできなかった。

 だから、僕らが狙うべき敵はアイツじゃない。狙うべきはあの『月』……!

 あの月こそが————この世界の核であり、怪異の正体そのもの!

 

 防御にまわしていた手を天上に翳す。

 一瞬晒した隙を見逃すほど怪異も甘くはなかった。

 しかし最短で、且つ十分な威力の攻撃でなければ意味はない。完璧な塩梅を図って『碧水』を放つ。

 

「ちぃ、貴様ッ!」

 

 昇り竜のような勢いで進む『碧水』を菜乃花の身体が割り入って防ごうとしてきた。

 やはり——アタリだ。わざわざ入る道理もないはずの攻撃を庇うようにして防ぐのは、そこに守りたいものがあるからだ。

 

「みんなっ! 月だっ、月を狙うんだ!」

 

 僕の声によって美佳たちも目標を切り替える。

 ここからは打って変わってこちらの攻勢に移った。

 守るべきものを見破られた以上、ヤツも全力の攻めはできないだろう。

 

「それは、分かりましたが……どうやって?」

 

 荒志郎の疑問は尤もだ。あれが本物の月ではないとはいえ、空を飛ぶ魔法なんかでもない限りあそこに届くことはない。

 飛び道具による攻撃も生半可な威力では防がれてしまう。

 だが————

 

「僕に策がある」

 

 自信に満ちた表情で僕は言ってのけた。成功するかどうかはわからない。ただの強がりなのか、荒志郎たちを安心させるためなのかは僕にもわからなかった。

 

「ちなみに先に聞いておくけど——美佳、空を飛ぶ魔法とかできたりしない?」

 

「無理ね、多少の浮遊ならできるけど。アレと空中戦出来る程の機動力は持てないわ。人間の身体程の質量を魔力だけで支えて動かすのって消費がバカにならないんだから」

 

「よかった。僕の策はおじゃんにならなくて済んだようだ」

 

 安堵すべきことかどうかもわからないが、とにかくこれをやる以外道はなさそうだ。

 ただ、チャンスはそう多くない。一発で決めなければ体力差で負けるということは僕らも重々承知していた。


「一旦物陰に隠れて、そこで説明する」

 

 僕らは『虚威』を防ぎながら建物と建物の隙間に身を隠す。さっき壁に叩きつけられた衝撃が未だジンジンと身体を蝕むが、動けないほどではない。

 一息ついて呼吸を整えてから、僕は二人に策を伝えた。

 

「————確かに、理屈としてはうまくいきそうですが……不確定要素が多いですね。特に最後、想定より火力が必要だったらどうするんです?」

 

「正直そこは賭けだ。少なくともこれが一番正確且つ効果的なのだからそのときはそのときとして考えるしかない」

 

 荒志郎の問いに僕はこう答えることしかできなかった。その答えに荒志郎は満足げな表情を見せなかったものの、渋々と承諾したような素振りを見せた。

 物陰からゆっくりと歩いて、怪異に僕らの姿を晒す。

 上空には、月を背にした怪異の姿があった。

 

「やっとその首を捧げる気になったか。今更我が正体を見破ったところで意味はないと気づいたのだろう? 貴様らにこの我を凌駕することはできんのだからな」

 

 あれを真正面から崩そうと思ってはいけない。これを崩すための第一の策——それは『撹乱』だ。


「む?」


 視界を水で覆われた怪異が奇怪そうに声を上げる。

 僕の『碧水』がさまざまな場所から吹き上がり、怪異の視界を数々の水の柱で覆ったのだ。だがこの技の狙いはそれだけではない。

 展開した『碧水』の中の一つに、美佳と荒志郎を潜ませておいた。

 吹き上げられた『碧水』の生命力は人間である彼らにとってちょうどいい隠れ蓑となる。視界と気配探知の両方を塞がれた怪異にとって、彼らは透明人間も同然だった。

 僕の能力によって二人は、怪異による妨害を無視して怪異の上に昇ることができた。

 これが第二の策、『輸送』だ。

 

「まだ抗うか、小癪な!」

 

 上を越された怪異は必死でこちらを追いかけてくるだろう。だがそこで第三の策——『人間ロケット』を行う。

 

空想基盤仮設・風の型オーム・マーヤー・ヴァーユッ!」

 

 美佳が翳した手の先にある魔法陣の上に、荒志郎が乗っていた。両脚を屈めた状態で月に向かって今か今かと待ち構えている。

 

「突穿風——ッ!」

 

 風の勢いに乗った荒志郎の身体は、両脚の蹴りとともに空中を高速移動し、月へ突進する。

 

「ちぃ!」

 

 怪異が振り向いて方向転換しようにも、これならもう追いつけない。荒志郎が刀を頭の高さで胸と平行にして構える。

 その体勢で三秒も満たない程の間飛行し、突きを繰り出す————!

 これが僕らの編み出した『空を飛ぶ魔法』! いかに遠い月とはいえ、空を飛べるのであれば触れられる。それが空想の月であるならば尚更、空想の狂気(まやかし)は幻想の願い(魔法)によって打ち砕かれるのは当然のことであった。

 

 ————天上の月が割れる。

 

 世界が再びいろを取り戻していく。ひび割れた月が崩れ落ちるのと同時に、荒志郎と菜乃花の身体が脱力した姿で落下していくところを目撃した。

 

「美佳は菜乃花の救助を! 僕は荒志郎の方へ行くから!」

 

 荒志郎の落下地点に『碧水』のクッションを敷く。僕らが二人を救出した頃には世界は元に戻っていた。

 

「すまない、遅くなってしまった」

 

 駆け足でこちらに向かってくるこの声は、八敷先生のものだった。

 

「道中でちょっとしたトラブルがあってな……この様子だと事はもう済んだといったところか」

 

 八敷先生の言う通り、勝敗はすでに決した。菜乃花の身体からはすでに怪異は消え失せている。

 荒志郎はさっきの跳躍で受けた風圧により、傷だらけになっていた。こちらも随分と体力が削がれている。僕は早く家に帰って英気を養いたいと思っていた。

 しかしその望みが叶うのはあともう少し後のことになりそうだった。

 

「先生っ、あそこに!」

 

 僕は中空を指差す

 その先で、菜乃花の身体から抜け出した怪異が逃走を図ろうとしていた。その姿は見窄らしい亡霊のようで、黒い影に紛れようとするその様は酷く滑稽に見えた。

 

「所詮は虚勢ばかりの凡夫というわけか————三人ともよくやった。あとは私に任せろ」

 

 八敷先生が怪異に接近する。携えた呪符に力を込めながら表も裏か曖昧な怪異の背を鋭く睨む。

 

「ガッ……嫌ダ……我ハマダ……」


 投げた札が突き刺さり、怪異の踠くような声を封殺した。

 怪異が塵芥となって霧散する。

 それと同じタイミングで菜乃花が目を覚ました。

 

「あぅ……ここは…………あなたは、八敷先生……でしたっけ」

 

 菜乃花から声が漏れ出でる。怪異によって操られていない、正常な状態の声だった。

 

「よし、目が覚めたな。君たち、ここは私がなんとかするから、早く帰って休むように」

 

 先生の声に応えて、僕らはそれぞれ自分の自転車押しながら歩き始めた。身体はもう疲れ切って、到底自転車を漕ぐなんてことはできなかった。

 それでも僕らは苦しい顔を見せることなく、互いに笑顔を向け合いながら歩いていく。

 今はただ、どんな疲労感よりも彼女を助け、怪異を祓ったこの喜びを分かち合っていたかった。

 多分、これは僕だけの思いじゃないと思う。

 

 

  ◇◇

  

 三人が帰って視界から消えるのを確認してから、私はこの手で抱えた少女に声を掛けた。

 

「君、本当は自分から怪異に操られることを受け入れただろう。なぜこのようなことをした?」

 

 私の問いかけに目の前の少女——浅田菜乃花は少し気まずそうな顔をして答えた。

 

「私、多分おかしくなってしまったんです。ここ最近、何をしてもなぜか満足感が足らなくて……とても不安だったので、いっそ私を取り巻く全て全部メチャクチャにしてしまえば、この心の苦しみも和らぐと思ったんです。

 だから私はあの廃ビルから飛び降りたあと、あの甘い月の誘いに乗りました。目を瞑った暗闇の中で聞こえたあの声……とても魅力的でした。『狂った鬼となれば、貴様は何も憂う必要はなくなる』と。私はその言葉を聞いて、身体を月に預けました。

 そのあとのことは本当に申し訳ないと思ってます……でも私はその逃げ道へ進むことを抗えなかった……!」

 

 涙を流しながら、悲痛に叫ぶ少女。私はその涙を嗤わないし、同情することもない。

 

「君の不安に思う気持ちはあって然るべきものだ。我々に与えられる時間は案外少ない。しかし、だからこそ我々は考え続ける必要があるんだ。時に立ち止まってでもね。それを全てを壊す、なんて言って考えることを諦めてしまえばそれこそ何も残らないんだ。

 別になんの目標なんてなくてもいい。ただ目の前のことを、一つずつ一生懸命に生きていれば、それで君の人生は()()()()()()()()()()()()になるさ」

 

 私も長くはない人生だが、姉を追いかけて続けて十余年ほどの月日を振り返れば、苦しいことも多かった反面、過ぎ去った思い出として見れば()()()()()()()()()()()()だったと今となっては言える。


「たとえ今の君が君の人生に納得がいってなくても、その経験が未来の君に必ず影響を与える。それが悪い方向に行くこともあれば、良い結果をもたらすこともある。ただ一つ言えるのは知っているのと知らなかったのでは、知っていた方が得なことが多いということだ」

 

「先生の言うことは正しいと思います……でもそんなの無理です……! 今やってることが本当に良いものになるのかどうかもわからずに、ただ苦しい思いだけを溜め続けて……だったらいっそ誰かに命令してほしい! こうすれば幸せになる、こうすればあなたは正しいって教えてほしい! そんな思いを溜め続けるなら、私は消えます! 消したいんです! 私を苦しめるものと一緒に……! 私ごと、全部…………ッ!」

 

 菜乃花は顔をくしゃくしゃにして泣き叫ぶ。頬は燃えるように赤く、袖は涙で濡れていた。

 今にも殴りかかってきそうな彼女を手に抱えながら、冷淡なフリをして話を続けた。

 

「やれやれ、『破滅願望』か…………誰しもが持ちうるものではあるが、厄介なものだな。

 だが幸い、君のは後天的なものだ。一時の気の迷いというヤツだろう。今からでも対応を始めればいずれ薄れ行くだろうさ」

 

「なにを、すればいいんですか」

 

 彼女の口から、やっと自分から救われようとする願いの言葉が漏れた。それが彼女の紛れもない本心なのだろう。であれば、私もその背中を優しく押すだけだ。


「まず今を全力で楽しみ、生きること。それが大前提だ。そしてそれを分かち合うこと。これも大事。だけどもっと大事なことがある。それは自分に向けられた声を真剣に受け止めることだ。

 どうせ伝わらない、わかってくれないと思っていてもその声を蔑ろにしてしまったら誰も助けてあげられない。そうなってしまえば、今日のように破滅の道にしか歩めなくなる。

 私が思うに今日ここに来るまでにも、気にかけてくれた人は沢山居たんじゃないか?」

 

「あぁ…………」

 

 菜乃花から声が漏れる。気づけば彼女の瞳からは涙が止まっていた。

 

「…………はい。私が学校を休んだ日から、友達やお母さんの声が……ありました。でも私はどうせなにも変わらないと思って、返すことをしませんでした。でも…………」


 ————それも仕方がないじゃないか。そう言葉を続けようとしたのだろうが、その言葉が口から出てくることはなかった。

 彼女もわかっているのだろう。どうせ変わらない、わかってくれないとしても、そこに意味があるということを。

 

「だったらこれから変わればいい。モタモタしていたら時間はあっという間に過ぎてくぞ。今はよく悩み、よく動け」

 

「はい。そうですね、先生……。でも今は少しだけ、考えるのをやめていいですか? 私、すごく眠くて…………」

 

 そういって菜乃花は眠りについた。

 さて、私も彼女を家に送り届けたら、アイマスクを使って寝て、疲れを取ろう。

 

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