#5 第3節
「肩でダメなら首を……!」
今度は縦ではなく横に引き伸ばす。胸部を中心にして放たれた水の斬撃は、怪異の首を目掛けて一直線に進んだ。
だが、その斬撃が怪異の首を両断することは叶わなかった。
怪異は今までに見せることなかった圧倒的なスピードで僕の攻撃を紙一重で躱し、さらにはその一瞬で僕との間合いを一気に縮めた。
「ふんっ、二度も同じ手が通用すると思わぬことだな」
怪異の回し蹴りが僕の側頭部に向かって炸裂する。ギリギリのところで両手を使って直撃を免れることができたが、菜乃花が本来持ち合わせる脚力に怪異の魔力を伴った一撃は、僕の身体を軽々と飛ばして壁に叩きつけた。
「ぐぁッ……!」
僕の身体が叩きつけられた壁はその衝撃を中心に崩れて窪み、僕に与えられたダメージの深さを物語っている。
怪異がこちらに向かって追撃してくる。
反撃は間に合わない。ただできることは来たる衝撃に意識を失われないよう気を確かに持つことだけだ。一度瞬きすれば怪異の拳が眼前に迫っていた。
直撃するその刹那————
「水の型、刺棘驟雨ッ!」
天井から降り注ぐ数多の水の槍が、怪異と僕の距離を離した。この水の魔術は美佳のものだ。
「まったく。あんな大技、そうボンボンと打つモンじゃないわよ」
悪態をつきながら僕の隣へ降り立つ美佳。
お互いがお互いの顔を横目に見る。彼女は不敵な笑みを浮かべていた。多分、僕も同じ表情をしていただろう。
そこに、荒志郎も駆け寄ってきた。
再び一丸となって身を構える。
さて、この怪異の攻略法について考えよう。
第一の脅威としてはあの『虚威』と呼んでいた黒い帯状の武器だ。予備動作がなく、怪異の背部から伸びてくるのも相まって視覚での情報を元に避けるのは至難の技だ。
おまけにその黒い帯の総量も確認することはできなかった。
そしてもう一つの脅威————ある意味ではこれが最大の脅威で、前者とは比較にならないほど大きな問題だった。
あの怪異が持つ壮絶な回復力————それを打破しない限りは間違いなく僕らに勝ち目はない。
どうすればあの脅威的な無敵性を剥奪できるか。たとえ怪異であっても備わる魔力には限りがあり、そう何度も再生することは難しいはずだ。だが腕一つ丸ごと再生した程度ではまるで消耗がなかった。何か特殊な条件はあるだろうが、あの怪異の魔力量はほぼ無尽蔵と考えた方がいいだろう。
仮に底があったとしても、持久戦は厳しいと見られる。やはりその原因を突き詰めるのが最優先だろう。
「では、今度は我から行こう」
怪異が動き出した。たった一度地面を蹴るだけで二十メートルほどの距離を詰める圧倒的な脚力だった。それと同時に怪異の背部から黒帯が僕らを取り囲む。
その数は左右四本ずつ。やはり『虚威』の数の上限は七本ではなかった……!
左右の逃げ道は塞がれた。後方も壁で退くことはできない。
であれば————
「上だっ!」
地面から『碧水』を吹き上げ、その推進力によって空中へ逃げる。
モノクロの世界の中で碧の柱が聳え立つ。その水でできた柱と垂直に、黒い帯が追いかけてきた。
「円環乱波っ!」
視界が水色に染まる。美佳の水属性魔術の主な特性は『適応』だ。あらゆる衝撃を柔軟に受け流す。
その特性通り、美佳の手のひらから広がる水の円は向かってくる黒い帯の軌道を逸らした。
「このまま突っ込むわよ!」
そう言いながら水の盾を緩衝材にしながら怪異に急降下した。
僕は美佳と並列するようにして手を翳し、彼女と線対称の構図となって水の盾に『碧水』の生命力をブーストさせた。
僕の『碧水』と美佳の水の魔術とは相性が良く、彼女の盾に僕の力を織り交ぜることは容易だった。自然落下の何倍ものスピードで怪異と激突する。
両手を使って盾の勢いを削ごうとする怪異。だが、それも長くは保たない————このまま押し切れると確信したその瞬間、さっき弾いた黒帯が背後から再度襲ってきた。
「マズい……!」
僕らにはこれを防ぐ手段はなかった。強いてできることとすれば、この攻撃を中断して退くことだが、それでは相手の思うままだろう。そのまま黒帯が追跡を続け怪異のターンを継続させてしまう。
一瞬だが、脳内では永遠に近い逡巡。しかし決断を下す前に黒帯は眼前に来ていた。
やられる————そう思って目を瞑り、迫り来る痛みに覚悟を決めた刹那——すぱん、という音が戦慄の時に凪を作った。
「ワタシを置いてけぼりにしないでくださいよっ!」
僕の視界には、一太刀で八つの黒帯を両断した荒志郎が映っていた。どうやらあの一瞬で僕が水の柱を上げたところから、壁を蹴って怪異のもとまで僕らを助けにやってきたということらしい。
そろそろ限界だったのか、怪異は両手の力を抜いて後方へ飛び退いた。
勢いそのまま地面に叩きつけた水の盾はコンクリートの道路を凹ませ、周囲に土煙を巻き上げていた。
「存外、楽しませてくれる————ならば」
怪異の呟きに呼応し、怪異の魔力が紫のオーラとなって溢れ出す。大地を震わせるほどの殺意——強力な攻撃がくる!
「返礼をしてやらねばならん。くれぐれも、一瞬では死ぬなよ?」
紫の魔力を魔力を帯びた『虚威』が怪異の背部から伸びる。その総数は、驚愕の十八——‼︎
先程の倍以上の数で攻めてくる黒帯に、僕らは決死で対応する。
一人当たり六本の帯を対処するが、強度もスピードも今までとは格が違う。反撃の機会を窺うも、一瞬隙を作ったところで詰めれる距離にはいなかった。
目まぐるしく動く紫黒の帯に視覚が追いつかない。視界をよぎる帯が紫電のように脳を掻き乱す。
モノクロな世界をキャンバスにするかのように色鮮やかな軌道が入り乱れる。
————思えば、当たり前に思っていたこのモノクロの世界だが、全てがモノクロではなかった。僕をはじめとした人間、およびそれに付随する物には色が残っていた。
————そこに何かヒントがあるのではないか。
迫る『虚威』をいなしながら思考を広げる。ここまで色がついていたものの特徴からさまざまな共通項を見いだす。
色がついてるものは、この黒い帯などの魔力で編まれた術式に、僕ら人間といった生物——どれも『僕らの意思によって動くもの』だ。
ここから推測するに、この虚数空間の外から入ったものは色が残されているのではないか。周りの建物といったオブジェクトは八敷先生が言ったように、虚数空間のものへと入れ替わったのだろう。
つまり————色のついた物質が、この世界に存在するはずのない『異物』だということ。
しかし、通常考えればこの世界にあるはずのものが、色を残してこの世界に存在している。今思えば最初からその違和感に気づくべきだった。
だって————今日は新月なのだから。