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Prevalent Providence Paradigm  作者: 宇喜杉ともこ
第2章 虚月─ウロツキ
19/29

#2 第3節

 また、目が覚めた。

 

 月の光に照らされた私は、その身体を影で左右に分けていた。

 ——ああ、思い出した。昨日の夜も、私はこの夢を見ていたっけ。

 月光によって、隠された記憶を取り戻す。

 今度も同じ、月が見ているような錯覚。やはりこれは良くないものだ。

 

「なら、逃げないと」

 

 そんな強迫観念がまた私の心を蝕んだ。

 私はその衝動に突き動かされるまま、暗闇に引き込まれていった。

 また、同じようにあの廃ビルに辿り着く。

 ————今度こそは、飛べるだろうか。

 そんな淡い気持ちを抱いて月の方へ振り向く。

 下には細い道路と小さな車。そんな錯覚をするほど遠く、高い場所だった。

 

「なんて、遠い」

 

 私の口からそんな言葉が漏れ出た。

 だが私はそれより遠くにあるものを知っていた。

 それは、この世界を覆うソラ。何億光年と先から光を注ぐ星々。そして——あの忌まわしいまんまるの月。

 今の私は月に対して恐れではなく、怒りを感じていた。

 手の届かない遠くから、ただじっと見つめてくるその月は、身近にありながら傍観者であろうとする卑怯者のようだった。

 月…………そのツラを見てると心の奥底から抑えきれない炎が込み上げてくる。

 私はその怒りに身を任せて駆け出した。

 

 ————一発、殴らせろ。そんな思いで走り出す。

 

 私は呼吸すら忘れて月を睨んだ。今私の心を支配するものはただ一つ————あのお高く留まった丸いツラを凹ませて地面に叩き落としてやる——それだけだった。

 走る速度は留まることを知らずさらに加速する。数十メートルの助走。勢いそのままに月に向かって跳躍する。

 逃げるだなんて野暮な考えだったと、家を出る前の私について内省する。

 初めから逃げられないのであれば、立ち向かうしかないじゃないか。そう思うと、自然と体が宙に浮いた。

 眼前の月が——大きくなって視界を黄金に染めていく。

 私はその不愉快な金に向かって拳を突き出した。

 

 ————世界にヒビが入る。

 

 崩れ落ちた壁の月から、真っ黒な虚が姿を現す。

 この先が、私の求めた『自由』だろうか……?

 

 私の体はその虚に吸い込まれ、世界は打って変わって一面中真っ暗になった。

 今、私は飛んでいるのか、落ちているのかまったく検討がつかない。

 ただそのまま流れに身を任せて暗闇の中を漂う。

 

「これが、自由……?」

 

 私は今何者にも縛られていない。まぎれもなく自由の身だ。

 

 ————だけど、それは。

 

 いや、そんなことを考えるのはやめよう。

 今私は自由なのだから、何も憂う必要はない。

 ぼんやりと、その虚空を見つめる。

 もう何も思い煩う必要はない。

 だがそれでいいのだ。自由とはすなわち、そういうものだ。

 だんだんと、意識すらもが暗闇に染まっていく。

 この世界そのものが、私。

 そうか、これが私の求めた場所……

 ここには誰もいない。だから誰の目も届かない。誰の声も届かない。

 夢の中でありながら、眠りに就いてしまいそうな酩酊感に、私は身を委ねる。

 時間の感覚すらままならない。この暗闇の中で、無限にも等しい時を費やした気がした。

 

 

 ————穏やかな光に当てられて私は本当の意味で目を覚ますことができた。

 いつも通りの寝室。先程の夢とは対比的に白で染め上げられた私の部屋は眩しくて、目がチカチカする。

 

 ルーティン通りに階段を降りて自分の席に着く。何も変わりのない朝ご飯。当たり前の日常が続いていることに私は違和感を抱いていた。

 この日常もいつか終わりが来るのだろうか。

 

 

 昨日言った通り、仕方がないので学校へは行くことにした。

 足取りが重い。なんとも言えない倦怠感が私を取り巻く。

 このままでは重力に押し潰されてしまう……そんな気さえした。

 

 学校へ着き、授業が始まる。黒板に白い文字がこつこつ、と刻まれていく。その光景を私はただ見つめていた。

 そんな時間を四、五時間ほど過ごしたら、放課後になっていた。

 着替えを済ませて、グラウンドへ向かう。

 ゴールデンウィーク後半以来初めての部活動。五日ぶりのグラウンドに緊張が走る。

 

 グラウンドに着いたら、まずは一礼をして準備運動を始める。

 それから基礎的なストレッチも済ませておいて、ある程度人数が揃ったところでいよいよ練習が始まる。

 ミニハードルを使った、腿を上げる練習を各々が順番に三セット。ラダーでの足の細かな動きを鍛える練習もしていく。それ以外にも重いスイカ玉サイズのボールを投げたり、ゴムチューブを使ったトレーニングなどをして、気付けば日も暮れて帰りの時間となってしまった。

 

 あっという間に一日の大半が終わってしまった。帰り道はいつも以上に喪失感と寂寥感を抱かせた。

 背後の夕陽が、私の影を細長く伸ばす。

 グレーの道に一つの真っ黒な影。それ以外の色を私は気にすることができなかった。

 

 ————だけど、それももうすぐ終わる。

 

 早く昨日の夢の続きが観たい。今の私はその心一色に染まっていた。

 あの真っ黒な世界はキャンバスなんだ。

 そこに私は自由な(いろ)を配置できる。

 さあ、寝よう。家に着いたら、晩ごはんと風呂。それが終わったらもう一度自由な世界へ旅立つのだ。

 

 そうして、三度目の夢の世界に足を踏み入れた。

 色とりどりの光が交差する夜の街を歩く。

 赤、緑、黄、紫。どれも鮮やかで、私を恍惚とさせた。

 真っ黒なキャンバスを極彩に染めるイメージができた。あとは自由に筆を走らせるだけ。

 嬉々とした表情で階段を上っていく。屋上へ続く扉を開けると、空には真っ黒なキャンバスが広がっていた。

 だが、そのソラにほんの少しの違和感を感じた。

 昨夜私が壊してしまったからだろうか。昨夜の夢まであった月は、今夜は消えてしまっていた。

 憎たらしいツラを見なくて済んで清々したという気持ちと、どこか寂しげな空虚感が心の中で渦巻いた。

 でもそれはほんのちょっとの気の迷いだ。

 

 ————さあ、飛ぼう。

 

 そう決意して、私は深淵へと羽ばたいた——————ハズだった。

 

 身体が思うように浮かばない。まるで地面に吸い込まれるように身体は重く、そのまま落下し始めた。

 

「なんでっ……なんで……?」

 

 頭が真っ白になる。一昨日と同じように、ビル街が私を置いてけぼりにする。

 思えば今日はなんだかいつもより身体が重かった。気の昂りがそれを麻痺させていたことに私はようやっと気づいてしまった。

 

 ————これは、夢じゃない……!

 

 思わず涙が頬を伝う。私はこのまま、誰にも看取られないまま落下死を迎えてしまうのだろうか。本当に惨めで愚かな最期で、笑えない。

 真っ暗な世界はどこまでも広く続いていて、酷く寂しい思いがした。あの忌まわしかった月ですら、私を見てくれてはいたのに。

 

「なんて、バカなの」

 

 そう独りごちて、私は後悔の念を抱いたまま目を閉じた。

 

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