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Prevalent Providence Paradigm  作者: 宇喜杉ともこ
第2章 虚月─ウロツキ
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#9 第2節


 

 もう空が淡紺に染まってきた夕方の終わりに、私は自宅へ帰ってきた。

 できるだけ音を立てないようにゆっくりと扉を開けたが、静寂が漂うこの空間に於いては、それでも気付くのに十分すぎるくらい鮮明な音を奏でていた。

 だんだんだんだん、とこちらに駆けつける音がする。

 視線を音の鳴る方へ向けると、光差す部屋から私の母が、私のいる薄暗い玄関へと迫ってきていた。


「あんたどこにいってたの!」


 母の怒号が張り詰めた空気を震わせる。私は黙り込んだまま俯いていた。


「母さん聞いたからね! 菜乃花が今日学校サボってたってお友達から!」


 私が今日誰とも会っていなくても、学校に来ていないことを不審に思った誰かが電話をしてきたならば母親にバレているのも仕方のないことだろうと思った。

 私は彼女の言葉を無視して、自室へ続く階段を登っていく。


「ちょ、ちょっと……」


 脇目も振らず私は自室のベッドで横になった。しばらく枕に顔を埋めていたが、ポケットからの振動によってその行為は中断された。

 ポケットから取り出したのは私のスマホだ。気づけば何十件と通知が溜まっていた。

 画面にバナーが表示される。送ってきたのは望未だった。

 

『悩みがあるなら相談して!』

 

 私はそのメッセージに目を通す。彼女の心配は嬉しかった。だけど私には彼女の言葉に答えることができない。

 

(悩みなんて、よくわからないよ……相談したくても、伝えることができない。わかってもらえない)

 

 私は溜まっていた通知を全て消去し、スマホをベッドから少し離れた机の上に置いた。

 しばらくすると、下の階から声が聞こえた。


「ご飯できたよー」


 さっきの剣幕が嘘であったかのように、その言葉は柔らかく、そして穏やかに私の耳へ届いた。私は大儀そうに横たわった体を起こし、階段をゆっくりと降りていった。

 テーブルに乗せられている料理を前に私は静かに座る。

 奥から食器を持ってきた母が私の斜向かいに座って話しかけた。


「ねえ、お母さんに教えてよ。何か嫌なことでもあったの?」


 母の問いかけに私は目線を左下に落とす。


「……なんもないよ」


「それ、嘘でしょ」


 流石にあからさますぎたか、と私は心の中で呟いた。

 

 ————どうせ何を言ったところで、無駄だ。

 

 私の心はそれ一つで染め上げられている。私の心は、私にしかわからない。いや、私にだってわからない。それだというのに人に伝えてどうなるというのか。

 ————だから、母の問いには沈黙で答える。これが私の最大の意思表示。さっきの先輩たちだってそうだ。私がどれだけ辛いことを訴えたって、共感されるだけされて終わりだ。誰もこの現状を変えてくれない。

 だったら、私は何も言わずにこの現状に耐えよう。止まない雨はないというのなら、この心に付き纏う死神も気まぐれで帰ってくれるかもしれない。

 そんな運任せで向こう見ずな生き方が私にはお似合いだった。後のことを今どうこう考えたところで、うまくいくとは限らないし、そのために積み上げていった努力がほんの少しのミスで無意味となってしまうことを考えると、とても私に耐えられるものではなかった。


「母さんは心配なの。お父さんだってそろそろ戻ってきてくれるはずだわ。ね? 私たちは菜乃花の味方でいたいの。だから……」


 母はそこで言葉を紡ぐことをやめた。

 母の言葉は嘘偽りのない真実であることは私だって感じていた。けれどその思いに応えることはできない。

 私はただ、今を楽しんでいたかった。気ままに遊んで、部活の子と切磋琢磨して、幸せな時だけが過ぎていればそれでよかった。

 だけどふと立ち止まって考えると、それには終わりが来てしまうという現実が襲いかかってくる。

 まだあと二年半あると言われればその通りではあったけど、そんなものは案外あっという間に過ぎていく。


「気にしないで、明日からは学校行くから。今日みたいなのはもうしない。それでいいでしょ」


 私は半ば諦めの思いで伝えた。言葉尻に怒気が混ざり、それを誤魔化すかのように机に並べられた料理を頬張った。

 永遠なんてものはない。それを誰に願ったって叶いっこないのに、私はまだそんな子供心を捨てきれないでいる。

 

————なんて惨めで、嘆かわしいだろうか。


 私は卒業を間際にしたとき、それを捨てることができるのだろうか。考えれば考えるほど、その行いに意味がないことを痛感させられる。

 もう、こうなったら考えるのをやめよう。

 そう頭でわかっていても離れてくれない。仕方がないので私は無心で目の前の料理と向き合った。

 

「ごちそうさま」


 ぶっきらぼうな物言いをしながら、私は脇目も振らず自室へ戻っていった。

 

 

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