#6 第2節
幽霊が先に動き始めた。今までと同じ陣形だ。普通は三度同じ手で攻めてくることはそうそうない。だが、荒志郎とこの幽霊たちとの相性の悪さはそれほどのものであったのだ。
上の幽霊が前と同様に先行する。ある程度警戒はしつつも、荒志郎はその次の一手を考えていた。
左右の幽霊が飛びかかる。やはり前回と同様軌道をクロスさせて逃げ場を塞いでいた。
荒志郎は初めと同じように体を翻させて二体の幽霊たちに背を向けて飛んだ。
その姿を見た幽霊はしめたとばかりに襲い掛かり、スピードを加速させた。
————だが、それが敗因だ。
左右に交わる軌道、そこに『点』が生まれる。左右からくる相手を右手の力のみで相手することは難しい。だが正面にある一つの的であれば対処は容易い。しかも相手はこちらが背を見せたことで油断しきっている——。
宙を舞いながら体をもう一度翻らせて幽霊たちの方へ向く。予想通り、眼前には一点に重なった二体の幽霊がいた。
跳躍の推進力と加速する霊体の相対速度、どちらも躱わす術はない————。
「せいっ!」
体の回転の勢いそのままに荒志郎は手刀を振り払う。正面衝突の戦いであれば、どちらが勝つかは明白だった。重なり合う二つの幽霊を同時に倒し、荒志郎は着地する。
その光景を荒志郎の背後で見ていた最後の幽霊が慌てて単身で飛びかかる。こうなってはもう自慢の連携も機動力も意味を成さない。
「これで、まずは一幕終わりです」
そう呟きながら後ろから迫り来る幽霊を右手で突き刺した。幽霊は苦悶の声をあげて消滅した。
残るは四体……!
再構築した壁に手を当てて元に戻す。この壁にはあらかじめ微弱な魔力を流していたことで霊避けの効果を出し、自身を察知させるできないようにしていた。
今それが解除され一斉に幽霊からの視線を浴びることになる。
左に二体、右に一体。そして正面の奥に鎮座しているかのようにもう一体幽霊が見えた。
彷徨える怨霊でありながら、鎮座しているなんていう印象を持ってしまったことに荒志郎は思わず笑みが溢れた。
だがやはり依然警戒は怠ってはならない。
ここの霊はあまりに異常だ。なんと表現したものか、核となる魂が存在しない故の知性の低下を、無数の精神の重ねがけで補っているようだった。
本来こういった場所の霊は工事に携わった人々の疲労感や不満などの負の感情で構成されていることがほとんどだが、ここにあるのはそれだけではなかった。
先程荒志郎の右手が幽霊を貫いた時にその中にあった様々な精神を観測した。
——————荒志郎の脳裏に浮かぶのは虚無を埋め尽くす狂気。聞こえるのは少年少女の悲哀の嘆き————。
それは、まるで自殺者の遺書のようないたたまれない、吐き気を催すような怨嗟の声だった。
この廃ビルとこの声の主たちになんの関係があるというのか。
この廃ビルで多くの死者を出した事故というものはない。ましてや自殺者が多いという記録もない。
であるのに、なぜこんなにも強い叫びが聞こえるのか——。
いや、これ以上深く考えるのはやめよう。
ここは目の前の敵のことに集中しなければ。
脚に力を入れ、身構える。
基本的にこちらから攻めるのは悪手だ。分散されて逃げられたらこちらは追う手段がない。
故に待ちの構え。相手から攻撃させて、重なり合った隙を狙う。これが先程の戦闘で見出した幽霊への対策だ。
左の二体が動き始める。思った通り左右に軌道をずらし襲いかかってきた。
しかしさっきは逃げの一手を見せた上での不意打ちだったから通用したものだ。ただ重なったところを狙うだけでは避けられることを荒志郎は理解していた。
荒志郎は後ろに身を引かせる。
二体の幽霊が加速する。
その加速に合わせて後ろに下げた右脚を思い切り蹴る。
そのままの勢いで右手を重なり合った二体の幽霊に突き刺す——!
目の前で霧散する霊体。
残る二体も片付けよう。そう荒志郎が思った時に右の一体が飛び出して来た。
「——ッ⁈」
眼前で飛び回る一体の霊。だがこちらを攻撃しては来ない。ただこちらの攻撃を躱しながら荒志郎の周囲を回っていた。
「猪口才なっ!」
ひたすらに腕を払って幽霊を退けようとするも上手く避けられてしまった。
悪戦苦闘しているうちにふと、その幽霊が後ろへ下がった。
「————⁈」
視線が奥の方へ誘導される。視線が向くその先には先程奥にいた幽霊が一際大きくなってそこにいた。
「これはっ……!」
奥の幽霊に吸い込まれるように手前の幽霊が後退する。——否、事実あの幽霊は後ろの幽霊に吸い込まれていた。
「まさか、吸収ッ……⁈」
幽霊と幽霊が同化する。
その光景を見た瞬間に荒志郎は今のは時間稼ぎだったと気づいた。
この廃ビルに積もった全ての負の精神を一点に集め、強大な一つの個として成った幽霊が荒志郎の前に立ちはだかった。
望み通りのワン・オン・ワン。だが相手の能力は未知数だ。実力を見誤れば荒志郎といえど敗北は免れない。
「さて、どうしたものでしょうか……」
有り余る力を手にした幽霊が、その力を誇示しようとおもむろに両手を広げる。すると、幽霊の胸元から、エネルギーが収束された。
咄嗟に前方へ駆け出す荒志郎。そう走っているうちにも溜まっていくエネルギーは最高点まで上り詰めていた。
残りは5メートルほど、しかし間に合わない。
まずいっ……!
急速に迫る危機感。荒志郎の予感は的中した。
幽霊が溜めていた魔力エネルギーが放出される。それは廊下全体を埋め尽くすようなビーム砲。荒志郎は右手を前に翳し攻撃を防ごうとした。
青黒い波動が荒志郎に迫り来る——。
「くっ、はぁッ……!」
神速の域で眼前のエネルギーを解析し、分解し続ける荒志郎。彼の脳に掛かる負担は凄まじいものだった。
とめどなく押し寄せる情報の波に脳が焼き切れるような感覚さえ覚えた。それは何百人、何千人もの人が積み上げてきた焦燥による叫び。
自分はこのままでいいのか————
こんな人生を望んでいるわけではなかった————
どうすれば幸せになれるかなんてわからない————
そんな声を荒志郎は何度も何度も聞かされ続けた。
それは現状を嘆く声。今を生きる人類が直面してきた生きる意味を見出せない恐怖。
その声の中には浅田菜乃花の声もあった。
「やはり……彼女は怪異との関連性がある……!」
その収穫に喜びたいところだったが、今はそれどころではなかった。荒志郎が脳に刻みつけられている情報量はすでに許容範囲を超えていた。
これ以上は耐えられないと思ったその途端、幽霊から放たれる青黒いビームのような魔力放出が止んだ。相手もエネルギー切れのようだった。
チャンスだ、と思い荒志郎は前進する。しかし脳は体を思うように制御できない。前に走ろうと脚を動かすも、バランスを崩し倒れてしまう。
「だが、それでもッ……」
猛烈な頭痛がのしかかってくる。その痛みを堪えながら荒志郎は立ち上がり進み続けた。
幽霊はその隙にもエネルギーを再収束させていた。ヤツがエネルギーを溜めきる前に近づいて倒さなければ、と荒志郎は奮起するもヒビ割れそうな頭は思考を麻痺させ、体の動きを鈍らせる。
決死の思いで荒志郎は進み続ける。右往左往に千鳥足になりながら、幽霊のもとまで走り続けた。
眼前に幽霊を見据える。もうすでにヤツもチャージが溜まっているようだ。
あとは、どちらが速く相手に攻撃をあてるか。
収束したエネルギーの極点から青黒い光が漏れ出す。それと同時に荒志郎は幽霊の胸元に手を突き出す——。
世界の時が止まったかのような永い永い一瞬だった。しかしそれから刹那が経ったのち————荒志郎の視界は、光に包まれた。