#4 第2節
私は幸斗たちと分かれて一人でバイクに跨り廃ビルへと先行した。
私の名前は八敷意。現在の年齢は二十七歳で既に結婚済み。旧姓は荒谷という苗字で、由緒ある魔術師の家系だった。世界各地を旅する姉の代わりに日本の一部の霊脈の管理を任されているが、その過程で教師という身分を世を忍ぶ仮の姿としている。
荒谷家は東洋思想を基軸に様々な魔術に長けた家系だった。過去の日本にあった陰陽師との関係も深く、道教や密教由来の呪符や印などといった術式を得意としている。とりわけ私は魔術の技量に於いては姉より優っていた。いや、正しくはそうでなければ生きていけなかったというべきか。
姉と私は幼い頃から魔術の素養を身につけ、互いにその能力を競い合っていた。だが魔力の貯蔵量、放出力ともに姉の方が優れていた。幼い私はその劣等感から対抗心を燃やし、必死で魔術の研鑽を続けた。
だがある日、姉は家を出た。それは彼女が高校を卒業してすぐのことだっただろうか。『やりたいことがある』なんて言って彼女は世界中を巡る旅に出た。
その日を境に私の心には虚無感が付き纏うようになった。すぐそばに居た競争相手が居なくなったことで、私の魔術に対する関心は冷めていった。それからのことはもうどうにでもなれと、なんの意義も見出さず高校を卒業し大学へ進学した。そこで教員免許をとり、卒業したあとはしばらくフリーターをしていたが突然と教師を始め、今に至る。
魔術を学ぶことは即ち、人類のその先を示すことに他ならない。科学の進歩が人類の生活を豊かにするのと同様に、魔術の進歩も人類の未来に貢献するものであった。
幼い私はその理念に傾倒し、姉と切磋琢磨し合うことも人類の未来に貢献するためだと信じていた。だが————その姉が魔術の研鑽の道を止め、世界へ駆け出した。
何が彼女をそのようにさせたのかは私には見当もつかない。だが私には彼女が人類の未来以上に大切な何かを見出しているという確信がついていた。だからこそ彼女は魔術を極める道を捨てたのだ。
その確信が私をさらに虚無の沼へと引き摺り込んだ。私が必死になって追い求めてきたものは、彼女にとっては捨てることができてしまうような代物だったということが私に耐え難い絶望感を与えた。
あれからもう十年ほどは経っただろうか。
私は魔術の道を諦めることはなく、かといって昔ほど熱中できるような気力を持ち合わせていない。そんな亡霊のような生き方が、私の正体なのであった——。
廃ビルに着き、あたりを見渡す。付近に浅田菜乃花はいないようだった。ともすれば、この廃ビルの中はどうだろうか。しかし流石に一人で全てを巡るには時間が足りなさすぎるので荒志郎たちを待つことにした。
◇◇
一行は自転車を降りて廃ビルへ向かう。先に自家用バイクで目的地に来ていた八敷先生ともそこで合流した。
「自動車だけでなくバイクまで……先生ってそんなに金持ちなんですか?」
幸斗が呆れにも似た問いを八敷先生に掛けた。
「む、まあな。今は教職なんぞやってるが本業は魔術師だぞ? それくらいの資本がなくて魔術師なぞやってられるか」
そういうものだろうか……魔法使いであればお金なんてなくてもポンと杖の一振りで出してしまえそうなものだが、と幸斗は訝しんだ。
「まったく、君は魔術師というものを誤解しているようだ幸斗。全てのものには対価が存在する。それは魔術師だって例外じゃないんだ。ある魔術Aを行使するにあたって自身のエネルギーを消費したり、ある道具を消耗させたりする。我々の世界はそういうふうにできているんだ。完全無欠の永久機関なんてものは存在しない。故にエネルギー変換効率の最大化、及び元手となるエネルギー資本の大量掌握は魔術も科学も同じなんだよ」
「は、はあ」
幸斗が苦笑する。周りの荒志郎や美佳も呆れて声が出なかった。
「とはいえ、永久機関を完全に諦めた訳ではない。一部の魔術師はその問題のために何代にも亘って研究に尽力しているらしいからな。私の家はそういう研究はしていなかったが、おおかた似たようなものだ。魔術師の最終目標は人類を次の段階へ押し上げることだからね……」
このままだとこんなところで講義が始まってしまいそうだと八敷先生はふと我に返った。
「っと、いかんいかん、本題に入ろう……。この廃ビルの探索を手分けして行う。幸斗は一、二階を、荒志郎は三、四階、美佳は五、六階を頼む。私は七階と屋上を担当するからな。各自終わったらここに再集合だ。あらかじめ人払いの結界は済ませておいた。二、三十分もすればひと通りは巡れるだろう。それじゃ、各自よろしく頼む」
そう言いながら八敷先生は廃ビルの中に入っていった。
「我々も続きましょう、幸斗さん」
「よーし、どっちが早く終われるか競走だね!」
荒志郎や美佳の掛け声とともに幸斗たちも廃ビルの中へ向かっていった。