#2 第2節
浅田菜乃花————それが昨夜、山岸望未が見かけた生徒の名前だった。
江峰東高校一年七組出席番号一番の女子生徒で所属している部活は陸上部。競技としては短距離走をメインにやっているらしい。
容姿は運動部らしく程よく焼けた肌に、ショートヘアとかなり活動的な印象を受けるものだった。
また、山岸望未とは中学校以来の友人関係にあり、望未が言うには中学で友人になって以降、一度も菜乃花が夜遅くに外出したことはないということだった。
そしてその日の夜のことを望未に訊くと彼女はこのように答えた。
望未は塾が終わったあと、わからないことを復習しようと駅近くの夜カフェに立ち寄った。
そこで小一時間ほどノートと教材とにらめっこしていたのだが気づけば時刻はもう日付の変わる直前になっていた。
退店してからしばらく歩いていると、望未は、廃ビルの階段から菜乃花が出てくるところを見た。その廃ビルはもともと集合住宅として建設が予定されていたのだが、途中で計画が頓挫し外観だけが今もなお残っているとのことだった。外に付いている階段は7階の上にある屋上まで繋がっており、かなりの高さがあった。
望未はせっかく見かけたのだし声をかけようかと思ったが、彼女の様子を見て思い留まった。
彼女は息が切れ切れになりながら、全身に汗を垂らして歩いている。
運動部である彼女がそこまでの疲労感を見せることはあまりない。まるで屋上までダッシュで駆け上がったかのように彼女の体は呼吸で肩を揺らしていた。
望未は部活熱心な菜乃花のことだから体力作りのために廃ビルの階段を駆け上がっているのだろうとその瞬間は思っていた。
だが階段を降りて菜乃花が道路に出たときに、彼女の呟きが聞こえた。
「ああ、今回も飛べなかったか……」
その言葉を聞いた望未はなんとも言えない悪寒が全身を駆け巡ったのを感じた。
飛べなかった————
彼女のしようとしていることは、もしかして……!
望未は慌てて菜乃花のもとへ駆け寄った。
「ねえ、なのちゃんどうしたの? 大丈夫⁈」
「ハァ…………ハァ……」
望未は彼女の肩を掴み声をかけるも菜乃花に反応はなかった。こちらに目を合わせることもなく、遠いどこかを見つめながらただ恐怖の表情を浮かび上げていた。
それからも望未は必死で彼女に声をかけるが一度も反応が返ってくることはなかった。
望未はこれ以上やっても無駄だと悟り、仕方なく家に帰ることにした。
翌日になって学校に来てからもやはり彼女への不安で頭の中は一杯だった。
朝のHRになったが、教室に浅田菜乃花はいなかった。しかし担任の先生が言うには欠席するとの連絡はなかったそうだ。
そのこともあって望未は先生に相談することにした。しかし担任は望未の言うことを相手にせず、
「部活に熱中してハイになってるだけでしょ? そんなのキミが心配するようなことじゃない。だいたいそんなこと言ったらキミも夜遅くまで外にいたじゃないか。オレも面倒ごとに巻き込まれたくないんで目を瞑るけど、基本十一時以降は外出禁止なんだからね? ……まったく、あんま他人の生活にどうこう言うもんじゃないよ。わかったらさっさと授業の準備でもしときなさい」
と軽くあしらわれてしまった。途方に暮れて、自分だけでどうにかするしかない、と考え始めたところに先程の担任が一言付け加えて去っていった。
「ああそうそう、そんなに心配だったらさ、『文研部』行ってみなよ。本当に人がいるかどうかもわかんないけどさ、居たら暇そうだし協力してくれるかもよ? 知らんけど」
以上が山岸望未が幸斗たちに語りかけた事の仔細だった。ひと通り話し終えた望未には、あとはこちらでなんとかしておくと八敷先生が伝え、帰ってもらった。
「なるほど……確かに我々が扱うべき内容かもしれん」
八敷先生がそう呟いた。
話を聞くに菜乃花の様子は異常であるようだ。だがそれだけでは文化研究部の取り扱う『怪異の事件』と断定するには早い。
「どうしてそう思うんです? まだ怪異が危害を加えたとかそういうわけじゃあないですし、怪異が絡んでそうな場面なんて話を聞く限りなかったと思うんですけど」
彼女が廃ビルの階段で何をしていたのかはわからないが、階段ダッシュをしていたにしろ、自殺を図ろうと考えていたにしろそれは彼女の起こしていた行動であって怪異とは関係がないだろうと考えられる。……だが、その考えは間違いだった。
「彼女の精神に怪異が関与しているかもしれない。これはまだ憶測にすぎないが、彼女は怪異を見て、慌てて家を飛び出したのかもしれないな。それを誰にも伝えることもできず、今も家で篭っているのかもしれん」
「ではまず彼女の自宅へ様子を見に行きますか?」
幸斗が八敷先生にそう問う。
「そうだな、荒志郎たちがここに来たら彼女のもとへ向かおう」