第五章 図書と赤き歴史
あちこちで道を尋ねながらエンゲルス通りの我が家にたどり着いたのは夕方だった
「……あら、先生。おかえりなさいませ。てっきりNK……なんでもありません」
玄関のドアを開けた瞬間、年配の女性の声が飛んできた。
私はしばし固まった。
質素なエプロン姿の女性が、湯気の立つケトルを手に台所からこちらを覗いている。
私は思わず口にした。
「ほう、私はメイドを雇っていたのか」
その瞬間、彼女の顔がぴくりと引きつった。
「先生、それを“メイド”と呼ぶのはご勘弁ください。国家に監視されたいのですか? 私は“住み込みの身の回り係”です」
なるほど、階級闘争の時代には言葉の選び方にも革命が必要らしい。
帰ってきたのは、どうやら“自宅”らしい場所だった。
ブロンシュテイン邸――そう呼ばれるこの部屋には、ずっしりとした書棚と、妙に年季の入ったデスク、そして壁に並ぶ書類の山。
中でも目を引いたのは、書棚の半分を占める書籍の背表紙。
『マルクス=レーニン主義概論』
『資本論 第二巻・第三巻:構造と注釈』
『資本論注釈:ブロンシュテイン講義録』
『科学的社会主義における弁証法の応用』
『共産主義のABC』
……“マルクス”の名前が、やたらと“著者”や“編者”として躍っている。
その瞬間、私はようやく実感した。
ここは未来だ。そして私の名は、思想として生き残っていたのだ。
もちろん、解釈され、加工され、時に歪められているかもしれない。だがそれでも──
“マルクス”という言葉が、まだ消えていなかったことに、私はふと誇らしさすら覚えていた。
私は机に腰を下ろし、書棚から抜き出した一冊をじっと見つめた。
“ブロンシュテイン講義録”。
この体の持ち主がどんな思想を抱き、何を学生たちに語っていたのか。
他人事のようで、どこか他人事ではない。
私は興味に駆られて、そのページをめくった。
どうやらこの“カール・ブロンシュテイン”なる男は、モスクワ大学で教鞭を執る学者だったようだ。専攻は経済思想史。どうりで部屋が小難しい空気で満たされているわけだ。
講義録を読んでみれば、体の持ち主は存外に誠実で論理的だった。理論の要点を押さえつつ、学生にも噛んで含めるように語っている。
「……ふむ、なかなかよく読んでいるじゃないか」
時おり、必要以上に理論を断定的に押し出す文体や、やたらと組織的な視点が顔を出す。私の思想にそんな“硬さ”はなかったはずだが──
それも、この国の空気がそうさせたのかもしれない。
体の持ち主に対する興味から、ついつい読みふけってしまったが──こんなことをしている場合ではない。
自分が置かれている状況を把握しなければ、この時代で下手な言動は命取りだ。
私は机に残されていたカレンダーと新聞を手がかりに、ゆっくりとこの国の“現在”を把握していくことにした。
まず目に飛び込んできたのは、「革命20周年記念講演会」の告知。
「……1917年、か」
私は鼻を鳴らす。
その年が、どうやらこの“ソビエト”とやらの始まりらしい。
だが、その詳細を私はまったく知らない。
私は机の隅に積まれていた厚い一冊――**『ソビエト建国史:労働者国家の歩み』**と書かれた本を手に取った。
「さて、勉強タイムといこうか」