大好きな母と…ウィンデックスブルー
北海道に戻った涙だが、母の変わり様に驚く。
母には、何かとギョッとさせられる。
「涙さん、お父さんを呼んで来て下さい。お食事の用意をしたので、これから朝食にしますよ。」と母。
父はもう10年前に亡くなっている。
母は食事の用意なんて出来ない程、認知が進んでいる。
そういう時は何も無かったかのように母に合わせて涙は、明るく振る舞った。
「お母さん、お父さんは朝のお散歩で帰りが遅いのよ。先に朝食済ませてと言ってたわ。
お母さんだけ先に食べようね。お母さんが作った鮭の焼魚は美味しいわね。私も一緒に頂くわ。」
急に母は
「緑さん!私の家に何しに来られたの?お婆ちゃんはお元気?お孫さんは?」
と私を従姉妹の緑さんだと言う。
これには困り
「お母さん‼️私は涙よ。何を言うの?私はあなたの娘です。」
と、つい語気を粗くして泣いてしまった。
母は途方に暮れ
「涙さん、あらあら〜。怒らせてしまったの?ごめんなさい。涙は私の1人だけの娘じゃない。何を怒っているの?涙を拭きなさい。」
と、もう涙を娘と認識していた。
母の認知には泣き尽くす涙だった。
母の下の世話もある。
洗濯機は母の寝巻きを洗い臭いが染み付いていた。
自分の衣類も洗うのだから大変だが、母の衣類やシーツとは別に洗う。
お風呂にお湯を入れてそのお湯をバケツに溜め、液体酸素系漂白剤を入れて母の衣類やシーツをつけ置きしてから自分の洗濯物とは別に分けて洗濯機にかけ、お風呂のお湯とりホースからお湯を使い洗濯する。
母の尿の臭いをとる洗濯方法だが、ネットから得た知識だ。
洗濯ひとつ取っても介護は時間がかかり、大変だった。
母の紙オムツを替えるにも母をヨイショと抱き抱え、母の体重が私の腰にかかり、腰を痛めた。
もう臭いなんて言ってられない。
臭いが染み付いても涙は泥だらけの介護をした。
自分を産んでくれたお母さん…ただそれだけに感謝し、必死に介護をした。
その中でも母の隣に布団を敷いて寝ても枕元には宝石箱があり、お気に入りのパライバトルマリンのリングやネックレスが入っていて…眺める。
太陽光の当たる2階のベランダで美しく青く光るパライバを眺めると癒された。
介護の日々でもパライバトルマリンは癒しをくれた。
その頃はネットでパライバトルマリンを安く購入していた。
フリマサイトで高価な非加熱のパライバトルマリンをこんなに安く?と素人が販売しているのをそこからまた値引き交渉して買ったりしていた。
非加熱GIAブルーの買い方は、そんなものであった。
ところが涙もフリマサイトで宝石を販売していたが、仲間の子がウィンデックスブルーと言う真っ青な中にも透明感のある加熱した青いパライバを教えてくれた。
ウィンデックスブルー❣️
外国洗剤のようなクリアな青いパライバトルマリン✨
電気の走ったようなこっくりとした
青いパライバトルマリン✨
ストレスのキツい介護の中で、ウィンデックスブルーとの出会いは、涙にとって衝撃的でステキな出来事であった。