3.星明りの夜
ユスティノの手を借りて魔物の森へと降り立つと、嫌な空気に肌がぞわりと粟立った。
おそらく、これが魔物の気配なのだろう。
『魔女の鉄籠』は、その名の通り大きな鉄製の鳥籠に入れられたような風貌の小さな屋敷のことだった。
その昔、途方もない寿命を持つ黒魔術師を幽閉するために世界樹の力が及ばない森の中に作られた場所、という設定だっただろうか。
長らく放置されてきたというから、朽ちかけたボロ小屋のようなものを想像していたが少なくとも外観は綺麗な洋館に見えた。
「まさに、鳥籠ですね」
厳重に施錠されていた鉄の扉をくぐると、罪人というよりもペットの小鳥になった気分だ。
「この鉄には世界樹の一部が埋め込まれているんです。本来は黒魔術の使用を封じるために作られたものですが、屋敷を魔物から守ってくれる盾でもあるんです」
単なる鉄では魔物にとっては粘土程度の防御力しかないと続けられた言葉に、サティアは震え上がった。
「ですから、間違っても脱獄なんてしてはいけませんよ」
「するわけないじゃないですか!」
「ティアはいつも想像を絶する奇行に走りますから、念のためです」
くつくつと喉の奥で笑うユスティノも本気で心配しているわけではないのだろう。
莫大な寿命を持っていた初代の魔女ならまだしも、黒魔術の対価である寿命が残りわずかなサティアでは出会い頭に魔物に咀嚼されてジ・エンドだ。
苦労してたどり着いた幽閉エンドを棒に振ってまでそんな痛そうな死に方したくない。
「それでは、私はここまでです」
サティアを見つめる空色の瞳が寂しげに細められる。
これで、この世界の人々と永遠にお別れだ。
「はい。ユスティノ卿、本当にありがとうございました」
沈みゆく夕日の中へと去っていく神殿の馬車がすっかり見えなくなるまで、サティアはその光景を眺め続けた。
魔女の鉄籠は屋敷の中も外観同様、風化の気配を感じさせない綺麗な内装に充実した設備が調えられていた。
消費した分が自動で補充されるよう転移魔法がかけられたパントリーや、半永久的に使えるオイルのいらないランプに、常時使用できるように魔法でお湯が張られた浴槽。
当然生活に必要な炊事洗濯をまかなう魔道具だって完備されているし、どうなっているのか冷暖房も自動調整される仕組みなのだそうだ。
屋敷の設備を一通り確認したサティアは、少し早いが眠りにつくことにした。
枕元に備え付けられたランプを消して、ふかふかのベッドに横になるとすぐそばの窓から満点の星空がのぞく。
「いくら公爵家のご令嬢だからって、私、罪人よね?甘やかされすぎじゃない?」
しかし、これもまたユスティノの優しさなのだろうと思うと、胸がいっぱいになった。
目を閉じればこの世界での出来事がつい昨日のことのように脳裏によみがえってくる。
思えばこの世界の人は皆、とても優しかった。
ヒロインのエマは高貴な血筋やその可憐な見た目に反して、気取ったところがなく、純粋で、まっすぐな正義感を持っていた。
そんな彼女だから、黒い噂のあるエシャレット公爵の令嬢であるサティアにも臆さず話しかけてくれた。
確かきっかけは些細なことだったが、前世で普通の女の子を経験しているサティアと貴族らしからぬ価値観をもつエマは打ち解けるのに時間はかからなかった。
お陰で、最初は警戒していた攻略対象たちとも打ち解けることができたのだ。
攻略対象たちとも気兼ねなく話せる友人になれるとは思ってもいなかったが、前世では碌な青春を過ごしていなかったのですべてが新鮮で、楽しかった。
特に西の国の王太子、ディートリヒ殿下とは馬が合いすぎて模擬授業では毎回ペアをくまされたのも、今となってはいい思い出だ。
もう十分すぎるほど、この世界を満喫した。
自分の余生について考えるのは明日にしようと寝返りをうつと、ベッドサイドのチェストに置かれた水晶玉が目に入る。
ユスティノが去り際にこっそりと渡してきた、それは通信機なのだという。
不便があれば知らせろと御者の目を気にしながら渡されたそれは、神殿に知られようものならいくら大神官といえども大目玉を食らうだろうに。
「本当に、優しすぎるわ」
サティアの物語は終わったが、続編があるくらいだから他の人たちはこれからも様々な困難を乗り越えて生きていくのだろう。
だからサティアは大切な友人たちの前途が少しでも明るくなるように願いをこめて、目をとじる。
(みんなはちゃんと幸せになれるのかしら…)
もし続編がとんでもない内容だったら。
サティアの愛する人々は辛い目に合わないか。
この世界が乙女ゲームの舞台でしかないとわかっていても、心配なものは心配なのだ。
こんなことなら、続編までちゃんとプレイしておくんだった。
しかし、同時に大丈夫だろうという自信もあった。
(だって、あんなに優秀で素敵な人たちだもの。私の助けなんかなくても、きっとうまくやるわ)
寝息が響く静かな部屋で、赤い月明かりに照らされた水晶玉が怪しく光っていた。