1.エピローグ
___剣と魔法の世界、アテドニア大陸。
恐ろしい魔物が闊歩するこの大陸では、魔物に唯一対抗しうる『世界樹』に守られ、僅かばかりの人間たちが暮らしていた。
世界樹から半径たったの数十キロメートルの正円。
それが大陸で唯一人間たちに許された安寧の地だ。
そして、その僅かな領域の西半分を支配する国___通称、西の国___の首都にある一際大きな神殿に、私は立っていた。
簡素な木製の柵を隔てて周りを囲む数多の観衆たちは、目の前の裁判の成行を息を詰めて見守っている。
憎悪や愉悦、憤怒に悲嘆、そして憐れみ。
様々な感情が入り交じった視線を一身に集め、それでもサティアは真っ直ぐと前だけを見据えた。
「エシャレット公爵令嬢、前へ」
裁判官のよく通る穏やかな声に、猿轡を噛まされた私はひとつ頷いてみせる。
重厚な作りの裁きの広間には、カツカツと事実上の断頭台へ登る私のヒールの音だけが響いていた。
魔女裁判では、裁判官と認められた証人以外に音を出すのはご法度。
発動に必ず呪文を唱える必要がある黒魔術を見逃さないために定められたそのルールは、破れば極めて厳しい罰をうけることになる。
時には観衆が魔女の一味として処刑されることもあるほど。
だから、常ならば観衆たちはいつもありったけの憎悪を篭めた瞳で裁きをうける魔女を眺める。
ゲームで見たサティアの裁判シーンでもそうだったように。
(今回は、ちょっと例外だけれど)
人混みの中にいても一際目立つ一集団のひとり、美しい銀髪を持つ青年に目が留まる。
かつてサティアの騎士だった彼は、今にも溢れそうな怒気を必死に押し殺して、神殿に仕える裁判官たちを睨みつけている。
判決次第では裁判官たちに斬りかかりそうな勢いに、不謹慎ながら笑いそうになった。
(みんな、卒院式をすっぽかして駆けつけてくれたのね)
銀髪の騎士の横には、肩にかかる長い髪と理知的な眼鏡がよく似合う細身の青年。
彼は代々宰相を排出してきた由緒正しい侯爵家の嫡子で、サティアの通っていた学院では一番の秀才だった。
他にも槍術の天才と名高い騎士団長の息子や、黒魔術に唯一対抗できる希少な光魔術の使い手の姿まである。
そして一人残らず容姿端麗な彼らの中心には、祈るように指を組む親友の姿。
友人たちのお陰で、証言台へと続く階段を登り切った時には、足の震えはすっかり収まっていた。
「エシャレット公爵令嬢、サティア・エシャレット。汝は亡きエシャレット公爵の命を受け、黒魔術を用いて多くの人を傷つけ、時に葬り、我が国の秩序を乱した____」
粛々と読み上げられる判決を聞きながら、ここまでの長かった道のりに思いを馳せる。
前世で最後にプレイしていたファンタジー系乙女ゲーム、『世界樹の聖杯』の世界に生まれ変わったと気づいた時から今日この日を迎えるまで、どれだけ苦労したことか。
それもこれも全て『サティア・エシャレット公爵令嬢』なんかに生まれ変わったせいだ。
主人公やモブならまだしも、サティアはバッドエンドばかりの悪役令嬢だったのだから。
火炙りの刑に、斬首刑はまだ序の口。実父の黒魔術の生贄にされたり…ああ、生きたまま魔物に食い殺されるなんてのもあったか。
平和なところでいけば、自らの黒魔術の代償で命を落とすパターンもあった。
それのどこが平和なのかって?
あまり苦しまずに死ねるところだ。
流石に頭のひとつくらい抱えたくもなるだろう。
実際、私だって寿命のほとんどを使い切った後で前世を思い出した時には三日三晩頭を抱えたものだ。
すぐに寝込む暇があるなら働けと山のような任務に追われそれどころではなくなったが。
我が実父ながら、中々の鬼畜生ぶりである。
一足先に処刑されできなければサティア直々に手を下してやったというのに、そこだけはほんのちょっと悔やまれた。
とにかく、美しいビジュアルと公爵家という高貴な生まれでありながら、闇ギルドを牛耳る父親の傀儡として過酷な運命を辿る可哀想な悪役令嬢。
それが今世の私、サティア・エシャレットである。
「よって汝を魔女と認定し、極刑に処すのが妥当と考える」
裁判官が長かった判決をそこで区切ると、視界の端で親友___エマが手で顔を覆って肩を震わせた。
他の友人たちも悔し気に、あるいは悲痛な面持ちでそれぞれ顔を俯ける。
(ああ、良かった)
サティアは彼らの反応が期待していたものであることに、小さく安堵吐息を零した。
薔薇色に輝く金髪に強い意志を宿したアンバーの瞳を持つ少女、エマ・ラヴェル。
西の国のもうひとりの公女である彼女は、この世界のヒロインだ。
そして、彼女といる美しい友人たちは皆もれなく攻略対象である。
そんな彼らが一体何故サティアの裁判で心を痛めているのかと言えば。
「___しかしながら」
それまで淡々としていた裁判官、ユスティノ卿の声に始めて感情が覗いた。
おや、と顔をあげたサティアに、黒衣に身を包んだこれまた美しい裁判官はほんのちょっとだけ口角をあげた。
(これもハーレムルートのエンディングの仕様かしら?
裁判には一切の私情を持ち込まない人だと有名なのに)
そう、それは何故かと言えば、これもまた正規のエンディングのひとつだからである。
「しかしながら、サティア・エシャレットは罪を自白し、自ら進んでエシャレット公の秘密捜査に尽力、我が国の悪しき黒魔術師団の撲滅において多大なる功績を残した」
神殿の中でも裁判官は高位聖職者だけに許された地位だ。
特に最高判事を努めるのは、歴代神殿のトップにあたる大神官のみ。
ユスティノ卿は孤児院の出身でありながら30代前半という異例の若さでその地位に就いたと言われている。
同時に彼は、サティアや主人公たちが通う学院で司法を教える教授を努めるサブキャラのひとり。
エマや攻略対象たちと秘密裏に行っていた捜査にも協力してくれ、心強い存在だった。
しかし、裁判となれば話は違う。
歩く公平との異名をもつ彼が裁判中に、それも教え子とはいえど罪人に微笑むなんて、本来ならあり得ないことだ。
「加えて、彼女の犯した罪は本人の意志によるものではなく、5年という残り僅かな寿命を考慮しても、情状酌量の余地があるものと判断する」
明らかに風向きが変わった判決に、裁きの間には無音の困惑がさざなみのように広がっていく。
ほとんどのルートで悲惨な最期を遂げる悪役令嬢サティアだが、たったひとつだけ生き残るルートがあった。
全攻略対象の好感度を最高値にした時だけ迎えられるエンディング、その名もハーレムエンド。
そこではなんと改心したサティアも攻略対象のひとりとして、主人公たちと共に闇ギルドの黒魔術師たちに立ち向う。
その功績が認められたことで極刑を免れるのだ。
その後魔女を閉じ込めるための特別な施設に幽閉されるのだが、少なくとも寿命は全うできる。
「よって、貴族籍を剥奪のうえ今後一切の魔術の使用を条件に、サティア・エシャレットを一生涯『魔女の鉄籠』へ幽閉することとする」
一発でたどり着くには非常に難しいルートだったが、サティアは無事成功したらしい。
「異論は無いですね?」
他の裁判官たちから反対の声が上がらないことを確認した、ユスティノ卿の視線がこちらへと向けられる。
そして最後に、慈愛に満ちた瞳を細め、柔らかな微笑みを浮かべる唇が静かに私の名を形づくった。
「貴方は非常に過酷な運命【さだめ】のもとに生まれ、これまで大変な苦労をされました。残された時間は少ないかもしれませんが、どうかゆっくりと休んでください」
それはきっと、判決文ではなくひとりの教授としてサティアに向けられたメッセージだった。
(ありがとう、教授)
忌み嫌われる黒魔術師【魔女】に、世界樹を祀る神殿の長が暖かい言葉を贈る。
それがどれだけ彼の立場を危うくすることか分かっているサティアは、せめてもと最大級の感謝を込めてカーテシーを披露した。
「___それでは、これにて閉廷とする」
顔を上げると鼻を真っ赤にした友人たちが抱き合って喜びを分かち合っている。
残り寿命僅か5年のどうしようもない黒魔術師だけれど、悪役令嬢『サティア』として生まれ変わったことに何一つ後悔はない。
だって大好きな乙女ゲームのキャラクターたちとほんの少しの間でも青春を楽しめたのだ。
次に生まれ変わるなら、もっと平凡でいいから幸せになりたいとは思うけれど。
こうして、私、サティア・エシャレットは無事幽閉エンドを勝ち取り、物語は予定調和な幕引きを迎えた。