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その関係につける名前をあなたは知らない

 その日、「私」は友人の祖父母の家を訪ねていた。学生時代から付き合いのある友人の実家は地元では名家のようで、都会の喧騒を離れたその町に、余裕のある土地の使い方をした広々とした家が、歴史を感じさせる佇まいで存在していた。


 案内された家の中も、その外観と同様の落ち着いた風格のある様子で、長く使われているのであろう少し古めかしい――けれど、丁寧に手入れされた質の高い調度品が並んでいた。


「ごめんなさいね。あの子が無理を言ったのでしょう?」


 ベッドの上で老婦人が微笑む。穏やかなその微笑みは上品で、部屋の内装の落ち着いた雰囲気によく似合っていた。


「いえ」


 昔から身体が弱くて体調を崩すことが多かったらしく、今日もベッドの上で過ごしているという話を聞いて、友人に依頼された話を聞くのはまた別の機会にしようとしたのだが、折角来たのだし、退屈だからよければ話し相手になってと本人に強く言われると断ることもできず、そのまま話を聞くことになったのだった。


 一緒に来ていた友人はすでに席を外していた。自分が同席していると話してくれないかもしれないからということだったが、友人の依頼については彼女も把握しているようだった。


「こんなに心配をかけることになるなんて思わなくって。困っちゃうわよね」


「……あの、話したくないことなら、大丈夫ですよ。私の方でうまく言っておきますから」


 友人には、理由を聞き出せなくとも構わないと合意を得た上で、この場に来ていた。彼女が話したくないことであれば無理に聞き出すようなことをするつもりは元々なかった。


「そうねぇ……これも何かの巡り合わせだろうから、よければあなたに聞いてほしいわ。年寄りの昔話だけれど……聞いてもらえるかしら?」


「ええ。私でよければ」


「ふふ……あの子たちに話すかは、あなたに任せるわ。……本当は、隠すようなことでもないのよ。ただの昔話……」


 少し俯き、伏し目がちになった彼女の顔に影が落ちる。長く歳を重ねたことがわかるその顔は、影が入ったことで人形のように硬い表情に見えた。


 ベッドの上で上半身を起こした姿勢で、自らの重ねた両手に視線を落としていた彼女は、ふっと息を吐いてから、顔を上げた。こちらを向いたその口元には笑みが浮かんでいた。


「そう。どこから話そうかしら……ええ、きっと、始まりからがいいわね。私たちが、子どもだったころ……」


 老婦人が身を起こしたベッドの近くに寄せられた椅子の上で、少し体を動かして聞く体勢を整える。


 サイドテーブルには、部屋に入った際に出された紅茶のカップが置かれていて、それにはまだ湯気が立っているようだった。


 部屋の窓からは、外の庭に明るい陽の光が差している光景が見える。昼を過ぎた陽の光はまだ明るく、部屋の中にもその陽気が伝わってくるようだった。


 * * *


「私とあの人はね、幼馴染だったの。家同士の付き合いが長く続いていて、そのつながりで幼いころからよく一緒に遊んでいたわ。私と、あの人と、あの人の双子の兄と」


「双子?」


 友人から聞いていなかった情報に、思わず聞き返す。


 友人から見た祖父母――彼女とその夫の仲が良くはなかったらしいという話は聞いていた。だからこそ、その夫である友人の祖父が亡くなってから、目の前で穏やかに微笑む老婦人――友人の祖母が沈み込んでしまっている理由を聞き出してほしいというのが、友人の依頼だった。


 だが、その友人の祖父にあたる人に双子の兄がいるという話は聞いていなかった。


「そう。昔はよく三人で遊んでいたの」


「その方は今……?」


「亡くなっているわ。随分と昔に。……そう。それがきっと、きっかけだったのよ」


 不躾な質問にも不快な顔一つ見せずに答えてくれた彼女は、目を細めて遠くを見つめる。視線の先には部屋に飾られていた写真立てがあった。


 昔を懐かしむように目を細めた彼女は、遠くを見るような目で部屋の壁際に置かれた棚の上の写真立てに視線を向けながら、ゆっくりと言葉を続ける。


「本当はね、その双子の兄――リチャードと結婚する予定だったのよ、私」


 驚きに目を見開いて彼女を見つめる。ふふっと少し笑った表情は楽しそうで、昔の楽しかった出来事でも思い出しているのだろうか。


「家同士で決めた約束でね。今はもう、そういうのは古いのかしら……けれど、そのころは普通のことだったのよね。子どものころに親が許婚いいなずけを決めて、その通りに結婚するなんて」


 口元には笑みが浮かんだままで、遠くを見るように細められた目と相俟って柔和な表情に見えた。


「私も、子ども心に嬉しかったわ。あの人はとっても優しかったから。『この人と結婚するんだ』って、その日が来るのが待ち遠しいくらいだった」


 瞳を閉じて胸元に手を置き、焦がれた熱っぽい声で話す彼女の頬は上気して、そのころの少女だったときの姿に戻ったようだった。


「彼にとっては、妹みたいなものだったのかもしれないけれど、ね。子どものころの数年の違いは大きいから、年下の女の子相手だったから、優しかったのかもしれない。けど、そうだとしても、私は彼が大好きだったわ」


 ほう、と息を吐いてから、瞳を開き、また穏やかに微笑む。


「その、当時、弟さんの方とは……?」


 彼女が実際に結婚したのは双子の弟の方だったはずで、その当時の関係を聞いてみる。


「トーマスとは、ね……嫌いだったわ」


 片手の人差し指を口の前に示し、内緒だといたずらっぽく笑う。子どものようにあどけない笑みだった。


「リチャードは優しかったけれど、トーマスはもう、正反対。リチャードと双子っていうのが信じられないくらいだったわ。私に意地悪ばっかりしてくるから、意地悪されるたびに私はリチャードのところに行って泣いていたの」


 不仲だったというのは、このころからだったのだろうかと思いながら、耳を傾ける。嫌いだと言うわりに、その声は穏やかだった。


「今になって思えば、子どもだもの、女の子相手の接し方がわからなかったのかも、なんて考えたりもするけど、当時は、ね。意地悪してくる相手なんて、嫌いになるじゃない?」


「そう、ですね……」


 同意を求めるように聞かれ、苦笑いで相槌を返す。やんちゃな男の子が、女の子にいたずらをして嫌われるというのは、自分の子どものころにもよく見た光景だった。


「虫を服にくっつけられたり、プレゼントって言って渡された箱を開けたら、虫のおもちゃが飛び出して来たり……本当に、子どもだったわ」


「その……お二人の性格は違ったようですが、見た目は似ていたのですか?」


 やれやれといった風に苦笑して話す老婦人に、ふと気になったことを尋ねる。双子という話だったから、見た目は似ていたのだろうか。


「ええ。そっくりだったわ。二人の両親ですら見分けがつかないくらいだったの」


「そんなにですか?」


「そうよ。本当によく似ていたわ。性格は全然違ったけれどね……大人になったら、また違ったのかしら」


 独り言のように落とされた声に、口を閉じる。双子のお兄さんが亡くなったというのは、子どものころだったのだろうか。


「……きっかけの話をしましょうか。きっと、家族みんな不思議に思っているのよね。私たち夫婦が、こういう関係になった、その、きっかけ」


 友人からの依頼の核心にあたる話に入るらしい。少し背筋を伸ばし、続く言葉を聞く。


「私たち三人が出会って、リチャードと私が許婚になってから、数年が経っていたわ。そのころの二人は寄宿舎に入っていたの。家の方針でね」


 彼女は懐かしむように、また少し目を細めた。


「私は体が弱かったから自宅で家庭教師に教わっていて、二人に会う機会は、それ以前よりもずっと減っていたの。だけど休みの日には寄宿舎からこちらに帰って来ることもできたから、そのときには昔みたいに一緒に遊んでいたわ。幼いころみたいに外で遊びまわるようなことは少なくなっていたけれど」


 ゆっくりと語る言葉は落ち着いていて、表情も穏やかなままだった。


「二人一緒に帰って来るときもあれば、リチャードとトーマスが交代で一人ずつ帰って来るときもあったわ。……そしてね、たまに、入れ替わっていたの」


 くすりと笑みをこぼして、こちらを見る。目じりにしわが寄ったその顔は年齢を感じさせるものだったが、どこか少女めいて見えた。


「二人の両親は気付いていなかったけれど、ね。相変わらずトーマスは私に意地悪ばかりだったから、私にだけはすぐにわかっちゃったの。リチャードも、入れ替わってトーマスの振りをしているときは、トーマスがするみたいないたずらをしていたけれど、私にだけは小声で『ごめん』って謝るから、『ああ、今はリチャードなんだわ』ってすぐに気付いたわ」


 口元に手を当てて、くすくすと上品に笑うその姿は、昔を思い出しているからか、楽し気で華やかな空気をまとっていた。


「そうやっていつものように寄宿舎から帰って来たあの人と会っていた日だったわ。いつもの意地悪で私の分のお菓子を取っていったから、その日はトーマスだけが帰って来ていたのよね。……本当に、子どもっぽいでしょう? 昔からそういうことばっかり」


 ふうっと息を吐くと、また少し遠くを見る目をして部屋の壁に視線を向けた。おそらく棚の上の写真立てを見ているのだろう。


「その日、知らせが入ったの。寄宿舎にいたリチャードが、部屋の窓から落ちて亡くなったって」


 思わず息を飲んだ。だが、「私」のその反応を気にした様子もなく、静かに話が続けられる。


「私も、あの人も、最初は信じられなかったわ。何かの間違いでしょう? って……けど、事実だった。葬儀のときも、あの人は、どこかぼんやりとしていて、信じられていない様子だった……だって、ずっと一緒だったんだもの。もういないなんて信じられるわけないわ」


 目を閉じてかぶりを振る彼女は、彼女の夫の話として語っていたが、その当時は、彼女自身も信じられていなかったのだろう。そう思わせるような姿だった。


「リチャードが亡くなって、家を継ぐのがトーマスになって……私の許婚もトーマスに変わったわ」


 ああ、だから夫婦となったのかと、内心頷きながら話を聞く。


「そうして結婚して、子どもも孫もできたけれど……私たちの関係はあのころのままだった。あの人が私に意地悪をして、私はそれに怒って……いつも間に入っていたリチャードだけがいないまま」


 静かに続けられる話は、部屋の中に染み込んでいくように言葉が紡がれていった。


「三人一緒だったなら、きっとみんなで大人になれたのだけれど、急に二人になったせいかしら。二人での関係を作り直すことができなかったのね……変えたくなかったのかもしれないわ。変えてしまったら、三人だったときのことがなくなって、リチャードが本当にいなくなってしまうみたいで……」


 リチャードが亡くなったことを信じられなかったのは――信じたくないのは、今もまだそうなのだろうか、そう思ってしまうくらい、彼女の声は濡れた空気をしていた。


「あの人も、急に家を継ぐことになって、リチャードの『替わり』として求められたから、余計に昔の自分の姿に固執してしまったのかもしれないわね……あの人がどう思っていたかは、今となってはわからないけれど」


 いつの間にか日が陰って来ていたらしい。気付けば部屋の明るさが落ちているようだった。部屋の窓から見える外の庭の緑も、どこか暗く陰って見えた。


「これが私たちの話。ふふ……つまらない昔話をして、ごめんなさいね」


 ぱっと顔を上げて、こちらを向いた彼女の顔は、話を始めたときと同じ、穏やかな笑顔だった。


 その顔を見ながら、「私」は、この話を友人にどう話したものかと考えていた。


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