逢魔ヶ時に無視された悪霊
挿絵の画像を作成する際には、ももいろね様の「もっとももいろね式女美少女メーカー」を使用させて頂きました。
横領した金を全額ギャンブルですった事がバレて職場を解雇され、絶望の末に飛び降り自殺。
そんな御粗末極まりない最期に未練を残してしまったためか、俺は自ら生命を絶った公園に出没する地縛霊と化してしまった。
こうなってしまった上は、人間共を驚かせる事で幽霊としての寿命が尽きるまでの間を過ごすしかないだろう。
テリトリーである公園の敷地内から出られない低級な地縛霊に過ぎない俺だが、日没間際の逢魔ヶ時には多少なりとも力が増すようで、波長の合う人間に意志を伝えたり自分の姿を見せたり出来るらしい。
せっかく生きている人間を怖がらせる事が出来るなら、如何にも人生の充実していそうなお気楽な奴に仕掛けてみたい物だ。
そう考えると、向こうからポニーテールを揺らして歩いてくる赤ブレザー姿の女子高生は申し分ない標的と言えた。
何しろ青春真っ盛りの高校時代というのは、人生において最も充実した時期なのだから。
「畜生…俺にだって、あんな時代があったはずなのに…」
心の底から沸々と湧き上がってくる悲しみと絶望感を怒りと憎しみに転換させ、俺は女子高生が自分のテリトリーに侵入するのを待ち構えた。
だが、しかし…
「んっ?」
何と例の女子高生は、何かに気付いたような呻き声を上げて立ち止まり、そのまま踵を返して元の方向へ後戻りしてしまったのだ。
「ああっ、何てこった!俺は此処からあまり動けないってのに…」
行動範囲の限定されている地縛霊に過ぎない俺には、赤いブレザーの背中が夕闇の中へ消えていくのを見詰めながら悔しさに歯噛みする事しか出来なかった。
この悔しさは、次に遭遇した時に存分に利子をつけて御返しする事で晴らしてやろう。
ところが、その機会は意外な程に早く訪れた。
前日の失敗に苛立ちながら大して広くもないテリトリーをフラフラと彷徨っていた俺は、見覚えのある人影に出くわしたのだ。
道路との境目に設けられたオレンジ色の車止めを椅子代わりにしてスマホを弄る、赤いブレザーとダークブラウンのミニスカを纏った女子高生。
茶色いローファーの爪先が文字を描くように地面を引っ掻いているのは、余程に暇を持て余しているのだろうか。
相手方の個人的事情に興味はないが、ポニーテールに結い上げた黒髪と端正な白い細面は忘れようとしても忘れられない。
それは正しく、昨日の夕方に取り逃した我が標的だった。
ここで会ったが百年目。
俺は悪霊としての気配を高めると、赤いブレザー姿目掛けて一気に殺到した。
「むっ…?!」
その異様な気配に気付いたのだろう。
サッと顔を上げた女子高生は、端正な細面を強張らせると勢いよく立ち上がって身を引いたんだ。
ローファーの踵で地面を引き摺る無駄な動作がなければ、その立ち振る舞いは美しいとさえ言えた。
とはいえ身のこなしに乱れが生じたという事は、この女子高生が地縛霊である俺を目撃して動揺している何よりの証だった。
この事実に思い至った俺は、悪霊としての喜びに打ち震えながら一気に間合いを詰めてやったんだ。
「無視すんなよ、見えてるくせに。」
そして相手の目を見据えながら先の一言を告げた時には、感無量の思いだった。
後は恐怖に慄いた顔を思いっ切り嘲笑してやるだけだ。
しかしながら何時まで待っても、件の女子高生の端正な細面が恐怖に凍り付く気配はなかった。
「フフフ…」
それどころか、俺の顔を真っ直ぐ見つめながら口元に微笑まで浮かべたんだ。
「うん、ハッキリ見えているよ。それにしても、貴方って随分と不用心だよね。夕方の公園で知らない人に近付いちゃいけません。お父さんやお母さんに、そう教わらなかったの?」
「なっ…なにいっ?!」
こちらを完全に舐めてかかった態度と発言に、俺は心底仰天した。
悪霊である俺を見ても動じないなんて、この女子高生はどういう神経をしているんだ?
「昨日は大安吉日だったから、私も仏心で見逃してあげたんだ。弱い者いじめは良くないからね。だけど貴方の側から仕掛けてくれたなら、私としても話が早くて助かるよ。ここは一つ、私の経験値になって貰えるかな?」
「こっ…この野郎!誰が『弱い者』だって?」
全く恐怖を感じていないかのような言動の薄気味悪さと、悪霊としてのプライドを土足で踏み躙る無礼な態度への憤り。
その二つの感情が綯い交ぜになった俺は女子高生を睨み付け、霊障を及ぼすべく突撃を試みたんだ。
「あっ…あれっ?」
しかしながら、俺の突撃は失敗に終わった。
地縛霊として許されたテリトリー内に留まっているはずなのに、俺は一歩も進めなくなってしまったのだ。
「こっ、これは…?」
「無駄だよ。陰陽道を始めとする神秘主義の世界において、この籠目の紋は魔を除ける聖なる図形として神聖視されているの。車止めから飛び退いた時、私は籠目紋の最後の一角を踵で書き上げたんだ。悪霊を封じ込める結界を完成させる為にね。」
憎たらしい程に不敵な微笑を浮かべる女子高生に促されるようにして足元を見ると、そこには六角形をアレンジしたかのような籠目の紋がクッキリと描かれていたんだ。
そんな罠が仕掛けられているとも知らずに、俺は不用心にも間合いを詰めてしまったのか…
「私の経験値になってくれる御礼に、良い事を教えてあげるよ。この結界は悪霊を閉じ込める力だけじゃなくて、その邪悪な霊力を中和し浄化する力だって持っているんだ。今一度、自分の姿を見てみると良いよ。」
「なっ、なんだと…うわっ!俺の身体が…!?」
恐る恐る見下ろした俺の身体は、まるでクラゲみたいに透き通っていた。
それだけでなく、色素もみるみる抜け落ちているようだ。
これが陰陽道の秘術である事は、足元に描かれた籠目紋の線が神々しく発光している事からも明白だった。
「さて…あんまりいたぶると弱い者いじめになっちゃうから、そろそろ仕上げちゃおうかな?」
それも恐らくは、陰陽道の作法なのだろう。
余裕に満ちた微笑を浮かべた女子高生は、人差し指と中指を伸ばした右手をかざして空中を切る仕草を始めたんだ。
「やっ…やめろ…」
恐怖に震える舌を何とか操って懇願するも、女子高生は聞く耳を持たなかった。
そもそも、既に死んでいる俺が命乞いをした所で何になるのだろう。
そして間髪を入れず、裂帛の気合いが空を裂いたんだ。
「九字護身法、破邪の法!青龍!白虎!朱雀!玄武!勾陳!帝台!文王!三台!玉女!」
縦に四回、横へ五回。
空中へ引かれた九本の線が神々しく輝き、光る格子となって一直線に突っ込んでくる。
結界に封じ込められ、身動きの出来ない俺に向かって。
「覚悟は良いかな、急急如律令!」
「がはっ!?」
そして格子と触れた次の瞬間、俺の霊体は賽ノ目に切り刻まれてしまったんだ。
切れ目の入った手足が崩れ落ち、発光する籠目紋に飲み込まれて消えていく。
どうやら女子高生が先程に唱えたのは、悪霊を切り刻む陰陽道の攻撃呪文だったらしい。
「潔く成仏しておけば良かったのに、未練がましくウロウロしているから、こんな目に遭うんだよ。阿毘羅吽欠蘇婆訶!」
「あっ、ぐううっ…」
その呪文が、この世で俺が最期に聞いた言葉だった。
次の瞬間には、俺の意識は白い光に飲み込まれ、跡形もなく溶け崩れてしまったのだ…