誰か助けてください!麗しの公爵様という非日常が襲ってくるんです!
なんの変哲のない日。
いつものようにお友達に誘われ、いつものように雑貨屋を見て周り、いつものように休憩でお茶をしながら噂話に花を咲かせる。
いつも通りの日。
なんなら一週間前も同じ行動をしていた。
違っていたのは着ているドレスと装飾品だけ。
貴族の端に席を置いている本当に十把一絡げな私だ。目玉が飛び出す価格のドレスも宝石も持っていない。母から譲られたドレスに父からプレゼントで貰ったネックレスとイヤリング。
そんなの一緒に来ているお友達も同じだ。皆同じぐらいの身分で同じような家庭環境。
本に出てくるような豪奢な貴族でもないし、うんと貧乏で可哀想な少女でもない。
ただ、その日はイヤリングを落としてしまっただけ。
さらに、ガラス玉がまん丸で思いもよらないほど転がっただけ。
ただそれだけ。でもそんなことも日常生活であれば良くあること。
そう、転がった先が道の真ん中で、ちょうど豪奢な馬車が通り掛かるタイミングで、馬にイヤリングを踏まれて、粉々に砕けただけ。
ただそれだけだったのに。
「うわー…お願いしてやっと買ってもらったばかりのイヤリングだったのに…」
「あら、やっちゃったわね」
「これは見事に粉々ね、せっかく似合っていたのに…残念ね」
ドレスの裾が汚れないように気をつけながらガラスの破片を拾う。
ガラス玉の中に小さな赤い花が咲いているようなデザインだった、今は見る影もないガラス片。
お店で一目惚れして、必死に父に頼み込み、母の手伝いをして、勉強も頑張って、やっとご褒美にと買って貰えたイヤリングだった。
あぁ、こんなことならつけてくるんじゃなかったな…。
お友達に慰められながら、取り出したハンカチに包んでいく。
「そんなの持って帰るの?」
「小さいとはいえガラスだもの。誰かがうっかりここで転んで倒れ込んだら大怪我になってしまうかもしれないし」
「相変わらず心配性ね」
そうだ、心配性といえばね…と話題はすぐに移る。10代の女子なんてこんなもんだろう。
ガラス片の入ったハンカチを鞄の中にしまいながら話に耳を傾けていた。
「失礼、ご令嬢方。」
「はい、なんでしょう?」
こんなタイミングでナンパかしら?
そんなこと思いながら声をかけられた方へと振り返ると、白髪の頭髪を綺麗に撫で付け、見るからに高級そうな真っ黒なモーニングをきっちり着こなしている紳士にがいた。恐らく高貴なるお方の執事様でしょう。ナンパかと一瞬でも思って大変申し訳ございませんでした。
「先程当家の馬車がご令嬢にご迷惑をおかけしませんでしたでしょうか?」
「え?いえ?!特になにもございませんですわ!」
咄嗟に嘘をつく。
相手は確実に上級貴族様だろう。そんな方に何か言うつもりは一切ない。
同じ貴族だろうが、身分が違いすぎて世界が違うんだ。正直かかわり合いになりたくない。
「左様でございますか?ですが先程通り過ぎた後に道端に座り込みなにか拾っておいでてはございませんでしたか?」
「いい!まったく!身に覚えございませんです。本当になにもないのでございます。こちらこそ道で固まって行動していてご迷惑おかけしましたわ」
敬語が上手く使えていない自覚はあるが治しようがない。考えるより先に早くこの場を上手くまとめて立ち去りたいと脳を通さずに言葉が出てくる。
友人たちも同じようで肯定の言葉のみ相槌しながらジリジリと後ろに下がっていく。
よし、タイミングを見計らってこの場から去りましょう。えぇ、出来れば今すぐに去りたい。
その後みんなで先程はびっくりしたわねーなんていいながらのんびりお茶がしたい。
「では、貴女の耳飾りが片方ないのは何故でしょうか?」
聞きなれないバリトンボイスがすぐ近くで響く。
慌てすぎて人の接近に気づかなかったのか、すぐに振り返ると自分より頭1、2個大きい人物がいた。
目線をこれまた素晴らしい刺繍の施されたネクタイから恐る恐る顔へと写す。
「…スターリット…公爵…様…?」
見上げたお顔はタブロイド紙で姿絵を見たことがあるお顔だった。
一目見て覚えてしまったほど、人を魅了する整ったお顔だ。さらに珍しい赤い色の虹彩を放つ瞳。
実は同じような赤目をした私は少しだけ、本当にすこーしだけ、親近感を覚えていた。
それにはっきり言うと好みなお顔でした。さらに今も少し拝見しただけですがスラリと伸びた手足に、細めな腰周り。
大変好みでございます。
でもそれがなぜ、目の前に?
「どうした?イヤリングの片方について聞いているのだが」
「へぃ?!あ!あの、イヤリング…?イヤリングですか?!あっちょっと、離れて頂けます?!」
腰抜けそう。
ずいっとさらに近づかれたお顔は綺麗を通り越してもはや怖いまである。
ガタガタと後ろに一方下がれば、何故か1歩距離を詰められた。
なんで!?
あまりのことに友人に助けを求めようとしたが既に姿はなかった。
「は?!え?!」
「イヤリング。片方。どうした」
「イヤリング!?知らないです!なんでしょうね!?」
「いや、なんでしょうはこちらの…台詞…ははっ!」
なんで私こんなに追い詰められてるの!?泣きそうだわ!今すぐ泣けそう!
だが、泣く前に急に圧がなくなり、目の前の怖い存在がお腹を抱えてクスクスと笑い始めてしまった。
「ご主人様、このような場面でお笑いになるなんて、ご令嬢に失礼でしょう?」
「いや、それは、分かっているが…はははっなんだこれ?いちいち反応が可愛らしいな」
なんだこれ発言は失礼ではないかと少し思ったがこれはこの場を去るチャンスなのでは?相手は隙だらけだ。
静かに足音を立てないよう、衣擦れ音が聞こえないよう、存在自体がないよう、息を殺して。
少しづつ距離をとり、十分2人と間合いをとる。
よし!
「本当になにもございませんでしたので、どうぞ何もお気になさらずお過ごしくださいませ!それでは!!!!」
咄嗟に別れの挨拶を取ってしまったのは日頃の両親の教育の賜物だ。
この場面では悪手になる。
声をかけたことで己の存在を露見し、さらに距離を開けられたことを一瞬で把握させてしまった。
公爵様が何故か慌てて手を伸ばす。
「いや、まだ別れには早い」
言葉と途中だろうがくるりと方向を反転させ、令嬢に有るまじき速度で走り出した。
怖いんだって!どこぞの物語みたいにいきなり貴族様が現れて、それが運命の出会いでした。めでたしめでたし、なんて、この世にはないんだって!
あまりの現実離れしたこの状況に恐怖し、必死に足を動かす。
どこまで走れば安心できるのかしら?!
「ちっ!待ちなさい!」
ひぃ!追いかけてきてます?!
マジ無理!こっわ!!!!
さらに速度を上げたいが、履いている踵の高い靴のせいで上手く走れない。
何も考えれず、靴、邪魔だと反射的に靴を脱ぎ捨て走り出す。
「こら!ご令嬢が!裸足で街中を走るのでない!」
背後でそう声をかけられたがもう耳に入っていない。逃げなくては!この、非日常から!
グングンとスピードをつけ、いくつもの角を曲がり、塀をとびこえ、階段をかけ登り、坂道を下り。
町外れの港公園に着いた時には後ろからの気配はすっかり無くなっていた。
必死に息を整えながら辺りを見渡し安全確認を行なう。
「だれも…いない…!」
何故か勝利の余韻が胸に広がる。
私はあの非日常から逃げ出すことに成功したんだわ!
途中で落とすことなくしっかり抱えてきた鞄からハンカチを取りだし、流れる汗を拭う。
喉も乾いてしまったし、どこかで休憩致しましょう。
いまはこの疲れきった身体を何とかしないと。
目に付いたベンチに腰掛け、ふぅっと意識的に大きく呼吸をする。
走ったりすることなんて未だになかったから自分がこんなに走れることに驚きだわね。
ちょっと痛む足を見つめながら、靴どうしましょうかね。裸足でお店に靴を買いに行くのは恥ずかしいわ。
海風が気持ちよく身体を冷やし、ついでに頭の熱も払ってくれる。
汗を拭っていた額が突然チリっと傷んだ。
そういえばガラス片を包んであったんだっけ。すっかり忘れて使用していたけど、もしかしてガラスで額切ってしまったかしら?
ハンカチを見ると少しだけ血が滲んでいる。あらあら、このハンカチは使えないわねとカバンに再びしまい込む。
まぁ前髪で隠れる部分でしょうし、大丈夫よね。
「まぁ、なんとかなるでしょう」
「なんともならないからね」
びっくりしすぎてベンチから少し浮きがってしまった。
なんで、公爵様が息を切らせて背後にいるんですか!?
しかも咄嗟に逃げようとしたけど背後から首元に腕を回されていて飛び出そうとした瞬間に首がしまった。
「なに?カエルが轢き殺された時みたいな声出して、みっともないでしょう?」
「す、すみません…」
怒られたから反射で謝ったがなぜ怒られたのでしょう?
でもそんなことよりどうしてまたこんな状況になっているのか分からなくて恐怖に襲われる。
「まぁた、逃げようとかんがえてる?小動物じゃないんだからそんなに逃げなくても良くない?」
「いぇ!?考えているのではなく身体が、勝手に、ですね?!」
「…本当に小動物じゃないか」
くすくすとさっきも聞いた笑い声がきこえる。
でも先程と違うのは絶対逃がす気の無いこの腕ですね。
「し、失礼をしたことお詫び致します!なのでどうぞお許しを…!」
「別に詫びられることは何もしてない…いや、急に逃げられてショックだったな…。本当にショックだった…なんでこんなに悲しいのか始め理解できないぐらいに…」
「あぁ!!誠に申し訳ございません!」
少し緩んだ腕のおかげで相手の目を見て謝罪するという両親の教えを全う出来たが、そのせいで哀しみに耐えるような表情の公爵様に狼狽える。
そして哀しい色をしたままの瞳はこちらの赤の瞳を映す。
「君は本当に悪いと思っている?」
「もちろんでございます!謝罪しても足りないでしょうが我が家はしがない準男爵家!当家にお詫びになるようなものも金銭もございません!どうかわたくしめのみに罰をお与えください」
「罰…ねぇ」
いつの間にベンチに座りっぱなしで震える私の目の前に移動されたのか分からないが、目の前に公爵様が立ち塞がり、覆い被さるように腕を回される。
あぁなんて綺麗なお顔なのかしら!でも怖い!やっぱり!現実的じゃないもの!怖い!
「じゃあ、僕と結婚しよう」
「はい!畏まりました!なんでも仰せの…ま…ま…」
ニッコリ微笑んだお顔も大変麗しく、目の前でなければ奇声を上げて友達とキャッキャッとしていただろう。
そのまま怪我したであろう額に唇を落とされ、挙句の果てにはお姫様抱っこで運ばれていく。
なにが起きているの?
分からないまま時間だけが過ぎ、見た事のある馬車に乗せられ、見たことの無いような屋敷に連れていかれ、誰かわからない女中さん達に剥かれ磨かれ飾り付けられ、今は両親の間に座らされております。
「よし、これで両家から承諾を得れたね。これでもう逃げられないよ」
なんで?!
「あんなに早く逃げられるんだから、こちらも全力を持って捕まえないと。こんなに面白くて、この私を振り回すような豪胆な女性をみすみす逃がす訳には行かないからね」
いえ!私はただイヤリングを落としただけなんです!
「こんなに私を魅了する人物と初めて出会ったよ。大丈夫、君ならきっと公爵夫人なんてすぐに務まるよ。なんて言ったってこの私を撒いて逃げきれるほどなんだからね!あぁ、思い出しただけでも面白い」
いきなり上級貴族様が現れて、運命の出会いでした。結ばれてハッピーエンドです。
そんな物語は、もしかすると日常なのかも知れません。