第四十七話 気持ちよくない嘘
「早いですね」
日曜だと言うのに制服姿で椅子に座る鮫島彩音。
かくいう俺も制服だけど。
「出来るだけ勉強したいんでね」
五月二十三日。第一回、全国統一高校模試。
俺と鮫島彩音の決戦の場である。
俺は毎回、この模試のために勉強していると言っても過言ではない。
それにこの緊張に包まれたキリキリとした空気がとても好きだ。
この場にいる全員が鮫島彩音がいる一位の座に座るために猛勉強してきた猛者達。
もしかしたら参加していないだけで鮫島より頭のいい人が高校入試一発目でいるかもしれない。
そんな期待とワクワクで臨む全国統一高校模試。
「やっぱメガネはつけるんだな」
「はい」
「そんな視野狭めて意味あるのか?」
鮫島がつける青縁のメガネ。若干度が強いらしく今も目が少し細い。
なんというか、メガネをすると本当に知的に見えるものなんだなと関心する。
妹の桃がつけてもあほの子感が強いのに。
ま、桃がつけるのは大抵メガネじゃなくてモノクルとか眼帯だけど。
「ありますよ。特に静かな空間では特に」
「視界歪んでマークシートずらさないようにな」
「貴方こそ、今度こそ私に勝てるといいですね?」
煽れば煽り返される。
しかしヒートアップはしない。
持参した勉強道具を広げて試験開始のアナウンスまで勉強した。
「受験生にお知らせします。只今より、第一回全国統一高校模試を始めます」
しばらくしてアナウンスがかかり、周りからガタガタと音が聞こえた。
アナウンスと同時に筆箱などの勉強道具の片付け、スマホの電源を切るためだ。
何度も参加している人ほど動きに迷いがない。
俺も例外なく片付けをしてスマホをポケットから出した瞬間、通知が一つ飛んできた。
『たすけて』
たった四文字なのに日常で中々聞かない単語に動きが止まった。
送り主は土屋夏帆。
今まで土屋のメッセージは全て敬語だったにも関わらずひらがなでため口。
俺も漢字変換をしない時もあるし、目上の人以外にはため口だ。
そして俺が漢字変換をしない時は大抵急いでいる時だ。それ以外は誤解しないように誤字とかに気を付けて使っている。
つまり、土屋夏帆は急いで俺に「たすけて」と送った可能性があるのだ。
「スマホはバッグに入れて口は締めてくださいね」
スーツの試験監督官にそう言われ俺は「すいません」と一言謝ってから電源を切ってバッグへとしまった。
なぜ土屋は急いでいる? それとも間違いか? いや、間違いだったとしたら訂正がすぐに来るだろうし、「たすけて」なんて打ち込むことは極稀。
急いでいるとしたら、日曜の今日、土屋の身になにが起こっている?
「近々、婚約相手と会うことになっている」と土屋が言っていたのを思い出した。
俺が行ってなにが出来る?
完全に初見でおそらく両親がいるだろう。婚約相手のあの落書きされていたイケメンもいるだろう。
そんな敵だらけの所に俺一人で行ってどうにかなるとは思えない。
しかし、あの無機質で全てを諦めたかのような顔。
それを思い出すと心臓が締め付けられる感覚に襲われる。
あんな顔、土屋夏帆には似合わない。土屋にはいつものように俺達のやりとりをのほほんとした笑顔で見守っていて欲しい。
俺が考えている間にも答案が配られ、監督官から「始め」の合図が出た。
マークシート形式で時間は一教科九〇分。
全ての試験が終わるのを待っていたら昼頃、急いでいる土屋の助けに間に合うかと言われたら間に合わない。
高校生活を送る上での俺の目標は鮫島彩音との和解、つまり土屋を見捨てた方が目標にはグッと近づく。それが最高効率。
ただそれは俺が人の心を持たない非情な、マシンのような人間だった場合だ。
残念なことに俺は効率を取ることが出来なかった。
俺は手をあげて監督官を呼んだ。
「どうした?」
「すいません。母が倒れたと妹から連絡が入ったので向かいたいです」
ここまで気持ちよく嘘が使えない日がこようとは。
事情を説明してバッグを手に試験場である教室を出て行った。
ちらりと見た鮫島は試験に集中しているのか隣で動く俺を見てはいなかった。




