第四十四話 模試前の通学電車
日曜をたっぷり勉強に費やして月曜日。
今週末には模試があり、鮫島との勝負日である。
朝、電車に乗っているとまたピンク色の髪が目の前まで迫った。
「おはよう」
「……おはようございます」
土曜日のことをまだ根に持っているらしい。
結局あの後一言も口聞いてくれなかったし、仕方ないのかもしれない。
いつも通り鮫島と向かい合ってお互いに単語帳だったり本を読みながら電車に揺られていた。
「ち、近いですよ」
「模試が近くて人が多いんだろうよ。我慢してくれ」
俺のバッグがあるから身体密着とはならなかった。
が、教科書などが入った重いバックを鮫島に押し付けるわけにはいかず、電車のドアに肘を立て自身の体重を支えた。
鮫島は開くドアとは反対側のドアに寄りかかりそれに対して俺は肘を立てているこの状況。
「なに顔赤くしてるんですか気持ち悪い」
「壁ド……」
「なにか余計なこと言ったら叫びますよ」
「うす。黙ります」
満員電車の中でやってはいけないこと堂々の一位をちらつかせられたら大人しくする他ない。
しかしなにも出来ない状況で見つめ合うくらいの至近距離、逆に気まずい。
こんな状況でも鮫島彩音は鉄面皮で読書継続中。
というわけでもないらしい。
「俺の顔になにかついてる?」
「いえ。なにも」
本を読むでもなく口元を隠すようにしている。しかしその目はじっとりとしており俺になにかを訴えている。
「体育祭運営は一年生ですが、平気ですか?」
「ああ、なんで?」
「いえ、夏帆にメロメロでたるんでいるのではないかと思いまして」
鮫島の目は更にじっとりと重くなり、眉間に皺まで出来ている。
そんなことを聞きたいんじゃないと思っているのだろうが、俺はエスパーでもなんでもない。
言ってくれないと察することも出来ない。
「鮫島、次そのドア開く」
「えっ? 今ほとんど自立してないので無理です。立てません」
「おいおい……」
しかしさっきの押され具合を考えれば有り得る話ではある。
そうしている間にも無情にも電車は進み開く駅に止まってしまった。
「叫ぶなよ」
「ちょっと! なにを!」
「叫ぶなって言ってんだろうが」
後頭部をホームにぶつけたいのか。
俺はつり革を掴んでいた左腕を鮫島の肩に回して右腕で全体重を支えた。
辛い右腕もそうだが、なにが一番つらかったと聞かれれば、好きな人を抱き寄せて抵抗もされない、そんな夢のような状況なのに、俺の前には教科書が入ったバッグがあることだ。
ただただ硬い。
「なんでそんな泣きそうな顔してるんですか?」
「いや、自分の愚かさを呪ってるだけだから気にするな」
「今更ですか? 随分と遅いですね」
完全に俺に支えられている身分でよく煽れるな。
それだけ信頼されているという解釈でいいんでしょうか。
そうじゃなかったら腕外すだけだけど。
「もう外していいですよ」
俺が自分を呪っている間にも電車のドアは閉まった。
「はいはい」
俺が腕を外してつり革を掴むと外した左腕に鮫島が抱き着いた。
「な、なに?」
「次こっちの扉が開く時は学校の駅じゃないですか。体勢整えないと降りられないです」
なに言ってんだこいつとでもいうような視線を向ける鮫島彩音
鮫島にアピールを期待する方が間違っているのか。
数駅の間、俺と鮫島は無言だった。
俺のスマホはポケットの中でギュウギュウのこの状況じゃ下手に動けない。
暇なので電車内にある電光掲示板を眺めていた。
「開くぞ」
「知ってます」
流れに任せてホームに降りた俺達はそのまま改札を出て学校方面へと足を向けた時、鮫島が急に足を止めた。
電車に忘れ物でもしてきたのか。お気の毒に。
「止まりなさい」
「うぐっ!」
横を通り抜けようとすると首根っこを掴まれた。おかげでネクタイが首を締め付けた。
「なんだよ。声で言えよ!」
「言ったじゃないですか」
「動きと連動してな!」
それじゃ殴りながら「殴りますね」と言っているようなもの。
「んで、なに。学校で模試の勉強したいんだけど」
視線の端ではこの時間にしては多い生徒が学校へと向かっていた。
進学校の分類である鮫島高校に通う生徒の大半は五月下旬にある模試を受けるだろう。
「いや、あの……ありが、とう」
「え?」
ぎこちないながらも聞いた「ありがとう」という言葉。
しっかりと聞こえたにも関わらずまさかの言葉に聞き返してしまった。
「だから、ありがとうと言ったんです。さっき助けてくれましたから」
「お、おう。どういたしまして?」
一瞬言語を忘れたかのように言葉が出なくなった。
「それだけです」
鮫島彩音はそういうと俺の横を足早に通り過ぎて行った。
例え助けても「どうも」くらいだと思ったのに。
どういう心の変化があったんだよ。




