第十八話 献身的湿布貼り
「お兄~お風呂入りたいんだけどー」
「もうちょい待って。もう少しで落ちるから」
風呂入るついでに上履きを洗っている最中。
洗面所から桃の声がした。
「もーなにやってんの?」
「開けんな!」
俺は風呂で全裸である。
椅子の上で身体を半回転。なんとか息子を見られずに済む角度。
「上履き洗ってんの! 土ついたから!」
といってもお湯でささっと洗う程度だけど。
「あ、うん。それは分かった。んで桃ちゃんは新たに疑問が出来ました」
「なに」
「背中の痣なに。車に跳ねられた?」
「桃さんそれ俺死んじゃう」
風呂から上がって背中の写真を桃に撮ってもらうと肩甲骨と脇腹付近が青くなっていた。
なぜこうなったかを思い出すのはとても簡単だった。
「スリッパで転んだ鮫島の下敷きになった」
「ふむふむ。お兄が足ひかっけて転ばせてから下にもぐりこんだ感じ?」
「その俺は一体なにがしたかったんだ」
それにそんなことしたら鮫島彩音からの絶対零度は確実。
「彩姉に送っとくねー」
「しなくていい」
「もう遅い。あ、既読ついた」
勉強しているならスマホは遠くに置いておけよ。
「もしもーし」
俺からすぐに返答がないから桃に電話をかけたようだ。
「お兄傍にいるけど変わる? あ、いい。うん。痛みある?」
スマホを少し離して俺に訪ねてくる桃。
鮫島も俺から直接聞けばいいもの。ま、情報がとれないと踏んでのことだろうけどさ。
「さあ。自分じゃ届かないからな……いっ!」
「痛みはあるみたい」
「クソガキがぁ」
ビリビリと痛む肩を押さえ妹を睨むがその顔は「どうしたの?」と言っている。
お前じゃい。お前の抱きつきで激痛が走ったんじゃい。
「身体は動かせるかだって」
「触られなきゃ痛みはない。触れるにしても優しく触れられるなら痛みはない」
「うん。湿布、ママー湿布ってあるー?」
「あるよー」
「青くなってるところに。うんうん」
俺が知らないところで俺の怪我の治療法が進んでいった。
「湿布貼って安静にしてろって」
「言われなくても」
電話を切った桃が湿布を手にじりじりと迫ってくる。
そして俺は桃がなにをしようとしているのか分かった。
「自分で貼る」
「出来るわけないでしょー。大丈夫だって可愛い可愛い妹が『優しく』貼ってあげるから」
「優しく貼ったあと叩くんだろ。知ってる」
優しく貼っているから嘘にはならない言葉。
「あ、なら彩姉呼ぶ?」
「こんな時間にやめろ」
時刻は既に二十時過ぎ。
女子高生が一人で出歩くには少し不安な時間。
いくら中学が同じで家がかなり近いと言ってもこんな時間に呼ぶのは非常識だろう。
「私がなにか?」
凛とした声がした方を向けば私服の鮫島彩音が玄関まで来ていた。
「ま、一応様子見に来るって言ってたんだけどね!」
舌を出してごめんなさいをする妹。
他人だったら可愛いんだろうが、十年以上一緒の妹にやられても殺意しか湧かない。
「なんでまだ上裸なんですか?」
「今風呂から上がったばっかだから」
「背中見せてください」
「ん」
その場で鮫島に背を向けると「あっ」という声が聞こえた。
「すいません。私の不注意で」
「またそれか。気にしてないって。いつか治るものにそんな罪悪感抱くことない」
「でも痛いんですよね?」
「誰も触らなかったら平気だ。生憎、俺の身体に触る人間はそう多くないんでね」
ベタベタだった妹も少し大人になったのか最近くっつかなくなったし。
「彩姉~。お兄が大人しく湿布貼られないんだよ~」
「なぜです? 自分で貼れないのですから誰かに貼って貰わないとなんですよ?」
「分かってる。分かってるけど桃の話を鵜呑みにするな。俺が悪になるから」
「お兄はいつだって悪なんだよ」
「まったくです」
なぜ大痣つくった俺がこんな冷たい視線を浴びなきゃならないのか。
「桃ー手伝ってー」
キッチンの方から母親に呼ばれて桃は鮫島に湿布を押し付けて行ってしまった。
場を乱すだけ乱しやがって。
「背中向けてください」
「はいよ」
俺的には必要ないと思うが、これ以上は押し問答。無駄だ。
「……言っておきますが、別に貴方のことを許したわけではありませんから」
「ああ」
「今回はその……私の不注意で怪我をさせてしまったのでその……お詫びです」
むすっとしたような声が背後から聞こえる。
そんなの言われなくても分かっているつもり。
だけど、期待はしてしまう。
鉄面皮、並大抵のことでは表情が変わらない。
変わったとしてもしかめっ面か睨みのどちらかの鮫島彩音がこうして甲斐甲斐しく怪我を心配してくれている現状に。
男なら誰しも期待する状況だろう。
「終わりました」
「どうも。送る」
「すぐそこなので結構です。貴方は身体を休めてください」
「すぐそこだから。負担にもならない」
むしろそのすぐそこの間になにかあったら俺は一生後悔する。
五月が近いというのにまだ肌寒い。
これが二週間もすれば十℃くらい気温が上がるのだから不思議だ。
ほんの数分歩いただけでついてしまう鮫島彩音の家。
「それじゃ」
「はい。おやすみなさい」
背中にひんやりとした感触を感じながら俺は家に帰った。