第百六話 「うるせぇ黙って食え」
演劇は冒頭だけ台詞合わせをして交代の合図となるチャイムが鳴った。
その頃には、嘉川の薙刀も様になっていた。
「午後は鮫島が監督に来る。遊んでると怒られるぞ」
「オレが止めるから平気だって」
「だといいけど」
伊波らのコントロールを嘉川に任せて俺は教室へ。
体育館から一年一組までは左に一回曲がるだけ。
その短さ故か、曲がり角で異様な空気を感じ取った。
「なにこの険悪ムード」
扉をあけると、腕を組んで不機嫌な鮫島と眉間にしわが寄った長谷川。
両者の逆鱗に触れないように気配を消して飾り付けする他生徒たち。
本来長谷川の味方であるはずの本田と藤山も鮫島相手では強く出れないようだ。藤堂の時はにっこにこだったくせに。
しかし、地獄ということに変わりはなく、カフェというより倦怠期に入った家庭のよう。
「近藤。なにがあった」
「鮫ちゃんの指示が細かくてさ、未来は嫌気が差してるって感じ」
本当に合わないな。この二人は。
「あとはお願いします。昼食は夏帆と食べます」
そう言って鮫島は自分のバックから弁当を回収して体育館へと向かった。
伊波達死なないかな。
伊波持前の「笑って誤魔化す」が通用しない相手だぞ。
「なんか、鮫ちゃん無理してる?」
「どうだろな。まだ一日目だし無理が出るのは早い気がするけど」
「わたしも未来も料理はあんまりって感じなんだけどさ、わたしよりも未来の方に付きっ切りで」
「ホントうざい。なんなのアイツ、自分が料理出来るからってさ!」
なまじやる気があるだけに指示されるのが嫌なのだろう。
鮫島は相手のやる気あるなしに関わらず、一定の成果をあげるタイプだし。
ま、鮫島としては藤堂の件を知っているからその報復の意味もあるのかもしれないが。
「鷹山ぁ。なんかこの状況を打破する案ないの?」
「あるわけないだろ、料理班全員が鮫島並の腕前になるしかないかもな」
「鮫島ってどんだけ上手いの」
「和洋中なんでもござれだ。食材と環境さえあれば実在する料理なら作れるんじゃないか?」
「無理」
今回ばかりは長谷川に同意せざるを得ない。
鮫島と同程度の実力になれなんて一般人には無理だ。
それこそ、その道の天才でなければ。
「なぜそこまで料理班にこだわる? 嫌なら演劇の方にいけばいいだろ。向こうは鮫島だって素人だし指示も弾けるぞ」
「あんたに関係ないじゃん」
「嘉川か?」
「……」
長谷川は言い当てられたことが恥ずかしいのか、鋭い目つきで俺を睨んだ。
わかりやす。
「ま、なんでもいいや。俺がここにいる間は好きに作ってくれ。俺に指示できるほどの腕はないからな」
料理に関して言えば俺もそう大差ない。
あとは女子高生らしくきゃっきゃと楽し気に作ってくれればいい。
「んじゃ、鷹山は試食班な。ほら、食えよ」
そう言って出されたのは黒い円盤。
端がパンケーキの生地であるからしてパンケーキなのだろう。
そりゃ鮫島も口出しますわ。
「本番でこんなの客に出すつもりかよ」
「パンケーキなんて初めてなんだよ! パンならいくらでも焼いたことあるけど、オーブンでほぼ自動だし!」
「火力強すぎなんだよ、にっが」
「美味しくなーれ! 萌え萌えにゃん!」
近藤が拳を軽く握ってネコのポーズ。
だが口の中の苦味は消え去るどころか増すばかり。
「玲奈、あんた……よくそいつにそんなこと出来んね」
「まあ、鷹山だし。便利でいいぞ。頼っても勘違いしないし、だいたいのことは解決してくれるし、結構な頻度で舌打ちされるけど」
「依頼件数が多い上にしょうもないんだからそりゃ舌打ちもする」
「恋多き乙女なんだから仕方ないだろうが!」
「夏休みの課題が終わらないという小学生並の悩みは」
「その節は大変お世話になりました。華の女子高生二人を侍らせたんだから喜べ」
人を頼って解決させておいてこの傲慢さである。
次の定期テスト絶対助けてやらん。
「未来もなんか悩みあるなら言うだけ言ってみ? ほら、わたしが焦がしたパンケーキだって黙って食べてくれる」
「苦い。両面黒いってどういうことだよ、片面黒いんだから火弱めろよ。あと砂糖入れすぎで溶け切ってない。じゃりじゃりする。バターで味付けしてあるなら砂糖は少しでいい。なんならいらない」
「うるせぇ黙って食え」
なら、思わず黙って食べてしまうような物を作れ。
まず失敗しない努力をしろ。
ま、長谷川の悩みってのは大方、嘉川関連だろうしであれば、俺より近藤の方が役に立つと思うけどな。
俺が出来ることと言えば、長谷川の側に置かれた黒い円盤を嘉川に食わせることくらいだ。
「それに、信用しろっていわれて出来るもんじゃないんだよ」
「なら歩み寄ってほら、得意でしょ」
「そうだなぁ。鮫島から指示を受けたくないなら一回目の時メモを取れ。そうすれば黙るぞ」
俺だって無益な戦いはしたくない。単純に無駄だから。
出来ることなら三年卒業時に誰も欠けることなく卒業したい。
よって、敵から中立になりつつあるなら情報を渡して味方になってもらうのだ。
「口出す度にそのメモに書き足していく。ノート片面埋まるくらい口出しされれば次から口出しはされない」
「だってさ。鮫ちゃんの扱いに慣れた鷹山が言うんだから間違いないって!」
「俺が嘘言ってる可能性もあるけどな」
「その時は絞めよ。手伝うから」
嘘ついてないからその首に巻きつく腕を放してほしい。
その声のトーンは命の危機感じちゃうから。