第2話 ホットチョコレートミルク①
目が覚めると十時だった。カーテンの隙間から光が拡散している。
長期休暇は、毎日こうして惰眠を貪ることができて幸せだ。至福の二度寝をしようと、寝返りを打つ。
と、至近距離に美少女が。
真っ白なきめ細かい肌に、細く長い睫毛、形のいい口。羨ましいくらいに整っている。
顔にかかった髪を払ってあげようとしたところで我に返った。体温が上昇して、すっかり目が覚めてしまった。無意識ってコワイ。
結局昨晩はどうしたんだっけ。
魔王と名乗る少女から、それ以上の情報は聞き出せなかった。なんだか眠そうにしていたし、私も目が覚めたら夢ってことになってないかと淡い希望を抱いて寝ることにした。まぁ、夢じゃなかったけど。
もう一回寝たら無かったことになってないかな。
……ならないよね。
この少女は一体何者なのだろう。
私が変わろうと決意したタイミングに現れたことは関係があるのか。聞いてみないとわからない。
それに、少女の正体の他にも問題は山積みだ。私はこれでも養ってもらっている側。うちの家族は大概個人主義だが、流石に人一人の存在を隠すことは難しい。これも話し合わないとだな、ってことで────
「起きろー!!!」
「ふぁ!? てきがせめてきた!?!?」
「ここは平和な国ジャパンですよ」
ばさぁっと布団をめくり上げると、少女は目をしょぼしょぼさせたまま起き上がった。
「もう朝ぁ……?」
「はい。今後のことで話したいのでちゃんと頭働かせてくださいね」
「執事ぃ……ミルク持ってこい……だ……」
少女が再び眠りに落ちようとする。
「寝るなぁ!!!」
「ふぁい!」
ようやく少女が私にピントを合わせた。
「むぅ……そっか、ここお城じゃない」
「やっと起きましたか。母さんたちにバレる前にあなたをどうにかしたいんですけど」
「そんなことよりさ! ボク、ミルクが飲みたい」
「いや、そんな時間はありません」
「みーるーくー! 毎朝飲まないと身長伸びないんだよ!」
…………前途多難っぽい。
◇◇
ばしゃばしゃと冷たい水を顔を叩きつける。戻りたくないけどそろそろ少女がしびれを切らす頃だ。
家族に見られないように、ガラスのコップいっぱいに牛乳を入れて二階へ戻る。こぼさないようにそろそろと。
だが、どうやら家族は不在らしい。まったく、一緒に住んでるんだから用事くらい伝えてくれたっていいのに。
ベッドにぼーっと腰掛けている少女にコップを手渡す。ミッションコンプリート。
「……ねぇ、これほんとにミルク?」
「そうですけど? ミルクというか牛乳です」
「ぎゅう、にゅう……? なんかくさーい」
少女は鼻をつまんで首を振った。……いや、コップを私に押し付けるんじゃない。
「えーと、あなたのいたところに牛はいなかったんですか?」
とりあえず無礼は見逃してやって優しく訊ねてみる。幼女だしね、見た目は。
「牛……? 牛は食べるためにあるんじゃないの?」
牛そのものはいたようだ。
「なるほどね……、じゃああなたの飲んでたミルクってなんなんですか」
「ふふん、仕方ないね。無知なキミにこの魔王様が教えてあげよう」
「いや、そういうのいいんで」
「冷たいっ! むぅ、ミルクっていうのはね、サルエリーゴっていう植物の樹液からできてるんだよ。ちなみに、南の地方でよく採れるけど最近は不作らしいってさ。飲んだら成長するって執事が言うから毎朝欠かさず飲んでるんだ」
「そうなんですね、えらいえらい」
「こ、子供扱いするな!」
それにしても、魔王と自称するだけあって教養はあるようだ。
聞く限り、猿なんちゃらのミルクは牛乳と同じでカルシウムが入っているそうだ。植物由来がいいのなら、次からはアーモンドミルクとか買ってこようか。っていかんいかん。この少女を長居させるつもりはないんだった。
「猿なんちゃらはこの家にないので今日は我慢してください」
ちゃんとスマホで調べたが、該当するものは無かった。
終始牛乳を物珍しそうに眺めていた少女は、本当に異世界人のようだった。まだ信じられないけど。
「猿じゃなくてサルエリーゴ……ないなら仕方ないね」
気にしてない、というふうに手を振りつつ、悲しそうに目を逸らす少女。
幼い見た目と苦しそうに我慢する顔が噛み合わない。
「ってことで、この牛乳はちゃんと飲んでください」
「えっ!? ムリムリ!!」
「子供じゃないんでしょ? 飲んでください。それに、好き嫌いしたら身長は伸びないですよ?」
「そんなこと執事は言ってなかった!」
「せっかく注いだのに捨てるなんてもったいないですよ」
「だ、だったらキミが飲め!」
少女がぐいっと手を掴んでコップを押し付ける。
「い、嫌です! 私も牛乳はきらいなので〜」
「……好き嫌いしてると身長伸びないぞ?」
「とっくに成長期終わってますよーだ。ささ、責任取って飲みなさいな」
「うぅ……」
それでも少女は口をつけようとしない。
「そんなに嫌ならしょーがないですね。ちょっと一階に行きましょう」