故郷 1
ひとりぼっちになった魔術師の少女は、祖国の土を踏んだ後、しばし各地を彷徨った。
洗練された街並みと絢爛な宮殿のある都、素朴な地方の村、かつて極東から訪れた人々が創り上げたという、風変わりな建物が並ぶ集落。
けれど始めにうっすらと思っていた通り、最終的に靴先が向いたのは自らが生まれ育った故郷だった。
ブリアン王国との航路がある沿岸からは都を挟んでほぼ反対側の辺境にある、魔法都市サムサラ。
リルフィーナはそこで生を受け、冒険者として旅立つまで育ったのだ。
この街も他と比べて少し独特で、魔法都市というだけあって多くの魔術師や魔法に携わる人々が住んでいる。郊外にもちらほらと魔術師が住まう塔が建っているが、一際目を引くのが街の中心にそびえる大きな塔だ。
この国の魔術結社の総本山とも言える魔術師ギルドがそこにあり、街のことを取り仕切っていた。
天を衝くような高い塔を視界の端に、リルフィーナはまず、とある屋敷を訪ねた。
貴族のタウンハウスのような瀟洒な佇まいの門や扉には、いつ来ても少し緊張する。
呼び鈴を鳴らすと、扉を開いたのは使用人ではなく、武術の道着のような服を着たボブカットの女性だったけれど。
「はーい、どちら様……って、リル!?」
女性はリルフィーナの姿を見るなり目を丸くして、次の瞬間には満面の笑みを浮べて抱きついてきた。
「うわぁ久し振り~!! また大きくなって! ちょっと大人っぽくなったんじゃない?」
「せ、セリさん。お久し振りです」
熱烈な歓迎に少々面食らいながらも、リルフィーナは道着の女性――セリに笑みを返した。
「すみません、ご連絡もせず急に来てしまって……」
「そんなの気にしないで。ニコル先生だって喜ぶよ」
にこにこしたまま身を離したセリは、今呼んでくるからと屋敷の奥へ掛けていく。
どうやらリルフィーナが会うべく訪れた人物は、在宅であるらしい。それはそれで自宅での仕事の邪魔にならないかと今更ながら思っていると、セリと一緒に急いだ様子で銀髪の壮年の男性が現れた。
「リルフィーナ……! 大きくなりましたね」
優しげな顔に感慨深そうな表情を浮かべ、ニコルがセリと似たような反応を見せる。以前会ったのは二年ほど前だったか、確かに少しは成長しているだろうかとリルフィーナは思う。
「元気にしていましたか? 冒険者の活動は……ああ、ここで立ち話なんて無粋でしたね。居間に行きましょう、美味しいお茶があるんですよ」
綺麗に手入れされた庭に面した一室に、座り心地のいいソファ。
普段生活している環境よりも上等な空間に、下手をして汚したりしないかと少し身を固くしながら、リルフィーナはメイドが運んできたティーセットと焼き菓子を眺めた。
冒険者になってからそれなりの額のお金を手にしたりもしたけれど、やっぱり普段から高級なものに囲まれている状態というのには慣れない。
「そうですか、所属されていたギルドを……」
「はい……色々、あって」
まさか恋人に捨てられたからとは言えず、リルフィーナはその辺りは省いて帰郷の経緯を話した。
というのも、ニコルはリルフィーナが12歳の頃、魔法の才能を見出され魔術師となる際に後見となった人物で、魔術師ギルドの幹部でもあるのだ。
「これから、どうなさるんですか?」
「……まだ、わかりません」
先のことを問われ、リルフィーナは素直な心境を答えた。
今は何も考えられない。
「魔術師ギルドに戻って塔に入るか、冒険者を続けるか……少しゆっくりしながら考えたいと思っています」
この国の魔術師系クラスの冒険者は、ほぼ漏れなく魔術師ギルドと冒険者ギルドの両方に所属している。
魔術師ギルドとしては、個々の魔法技術の研鑽や知識を深める目的ならばと冒険者ギルドへの加入を許可している形ではあるが。
身寄りのないリルフィーナは才を認められて後見人を得、魔術師の塔に入る道が開かれていたが、少しでも速く独り立ちしたくて冒険者になることを選んだ。
本来なら塔に引き止め手許で育てたかったであろうニコルはその願いを認め、背を押してくれた。そのため、リルフィーナにとっては頭が上がらない相手でもある。
「ええ、ゆっくり考えるのがいいでしょう。あなたはまだ若いのですから」
戻ってきた仔細を聞かずとも、何があったかを察して痛みを包み込むような穏やかな眼差し。優しい人なのだろうけれど、それはきっと彼も様々な経験をしたから持ち得る優しさなのだろうと、なんとなく感じた。
「さっ、リルも帰ってきたことだし、今日は腕によりを掛けて美味しいもの作っちゃおうかな!」
話がひと段落したところで、それまでリルフィーナの隣で静かにお菓子を摘んでいたセリが明るい声を上げる。ニコルも嬉しそうだ。
「またセリの郷土料理が食べられるんですね。そうだ、リルフィーナのお部屋の準備も頼んでおかないと」
「えっ」
早速使用人を呼びつけるニコルに、リルフィーナは戸惑う。サムサラ滞在中は、普通に宿を取ろうと思っていたのだが。
そんな少女に、ニコルは目尻を下げて微笑む。
「なにしろ、私はあなたの後見人ですからね。ここもあなたの家だと思って、気楽に過ごしていいのですよ」
「は、はぁ……」
気楽に、と言われても。
用意されるという部屋も、普段遣いの宿屋とは比べものにならないくらい寝具もレベルの高いものの筈だ。
かつて後見人になって貰った際、一度泊まったことはあるが、その時も緊張してなかなか眠れなかったことを思い出す。
「ここんちのベッド、すんごいふっかふかだし旅の疲れも吹っ飛ぶよねー」
からからと笑うセリに目を瞬かせながら、リルフィーナは思った。
(こ、今夜寝付けるかなぁ……)