発覚
「はー終わったー! お疲れ様ー!」
両手を突き上げるように伸びをしたクラウの頭上を、相棒の鷹が旋回している。
採取スポットから近くの街に戻ったリルフィーナたちは、同盟ギルドの面々と別れたところだ。
「ボクお腹空いちゃったなぁ。何か食べてく?」
「それもいいけど……私は早く帰りたいな」
そう答えたリルフィーナの顔を眺めて、クラウはにっこり笑った。
「じゃ、帰ってからご飯にしよ! いざ憩いの我が家へ~」
歌うように言いながら街の広場へと足を向ける少年にクスリと笑って、リルフィーナはその背を追った。
ほんの数日拠点を離れていただけだけれど。
早く会いたい、青年の顔を思い浮かべながら、リルフィーナは石畳の道を歩く。
「すいませーん、ブリアン首都ありますか」
「ありますよ~」
リルフィーナが愛しの人のことを想っている間に、先に広場に入ったクラウは屯するローブの男と話を付けていた。
通称『ポタ屋』。
魔法職の中でも特殊な『トランスポーター』という転移の術を扱える冒険者が、副業的にやっている転送屋だ。
冒険の拠点になる街には大抵いるが、転送先として記憶しておける場所の数は限られている。目的地に飛ばして貰えるかどうかは、聞いてみなければわからない。
「あ、お金……」
リルフィーナがはっとした時には、クラウがもうポタ屋に転送の代金を払った後だった。
「いいって、これくらい。助けて貰っちゃったし」
自分たちくらいのレベルになれば、高いというほどの金額ではない。
けれど、なんとなく気が引けてしまうリルフィーナだ。
だって、自分ができることを、自分の役割を、当たり前にこなしただけなのだから。
そうこうしている間にも、ポタ屋の男の詠唱とともに目前の石畳に円状の魔法陣が描かれ、光の柱が立ち昇る。
「ほらリル、行こう」
促すが早いか柱の中へ消えていくクラウを追って、リルフィーナも光の中へ飛び込んだ。
「よい旅を~」
二人を見送ったポタ屋は、光の柱が消えるまで見守っていた。
ギルドの拠点に帰るなり食堂に向かったクラウと別れ、リルフィーナは上階へと階段を上る。
疲れがない訳ではないが、足取りは軽い。
靴先が向かうところにいる人物が、笑顔で迎えてくれると信じていたから。
三階の、奥の部屋。
そこが『黒猫の足跡』のギルドマスター、ライアンの部屋だ。
高鳴る胸の鼓動をそのままに、リルフィーナは扉をノックした。
……けれど、返答はない。
「……ライアン?」
留守なのだろうか。
しかし、玄関すぐの談話室にいたメンバーからは、彼は部屋にいると聞いていたのに。
ふと、リルフィーナは今しがた叩いた扉が少し開いているのに気がついた。
部屋の中には、人の気配。
(やっぱりいるのかな?)
もしかしたら寝ているのかも知れない。
それなら、帰ったという報告は後にしても、少しだけでも顔が見たい。
そう思いながら、裏腹にリルフィーナは得体の知れない胸騒ぎを覚えた。
どうして嫌な予感がしたのかはわからない。
女の勘というものだったのか。
どうあれ、この時開き掛けの扉を押し開けて彼の部屋に入ったことを、リルフィーナは後悔することになる。
もし、ここで引き返していたら、何かが少しでも違ったのだろうかと。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
他のメンバーの部屋より、少し広めの設えのそこで。
一組の男女が抱き合っていた。
いや、単に抱き合うと言っただけでは生温い姿だったかも知れない。それを目の当たりにしたリルフィーナの明滅するような視界の中では、到底理解しきれなかったけれど。
女のしなやかな腕が、男の背に、首の後ろに蛇のように絡みついている。
一体何が起きているのかわからない……けれど、それが何かは知っていた。
まだ、自分には経験のないこと。
年の離れた少女を相手に何もしてこないのは、彼が自分が大人になるまで待っていてくれているのだと、そう思っていた。
でも、私じゃなければ、できるのね……。
目の裏がチカチカして、頭の中で何かを叩くような音がガンガンと響いている。
心臓は火山のように沸騰しているのに、思考は冷たく凍りついたかのようで。
リルフィーナはしばらく、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
「リ、リル……!?」
先に動いたのは、リルフィーナの存在に気づいたライアンだった。
相手の女もこちらを見て、絡めていた腕を解いてライアンから少し離れる。
そこでやっと、リルフィーナは女が誰なのかを認識した。ギルドメンバー、アサシンのウィリアだ。
加入してやっとひと月くらいだろうか、ここのところリルフィーナは拠点を離れていることが多かったから、殆ど話したこともない。
ウィリアは感情の読めない表情で、リルフィーナを眺めていた。
「帰って、きてたのか……なんで」
その『なんで』は、勝手に部屋に入ったことを咎めているのか。
「ノック、したけど返事がなくて……ドアが開いてた、から」
途切れ途切れに返すと、ライアンは目を見開いた。
そして、ばつが悪そうに視線を下げる。
二人の様子を見て、ウィリアは小さく笑ったようだった。
「じゃ、私は部屋に戻るわね」
その声に、ライアンは驚いたような、焦りの混じったような目を彼女に向けた。
ウィリアは彼に視線を返して、それからリルフィーナの方を見た。
「お話が、あるんでしょう?」
気怠げな声音が、神経に絡みつくようだ。
一歩でも動いたら膝から力が抜けてしまいそうで、リルフィーナはゆっくりとした足取りですれ違って扉に向かう女に目を向けることもできなかった。
話?
話って、何を?
こんな場面を見せられて、一体何を話せばいいのだろうか。
何も、何もわからなかった。
ただひとつだけ確信していたのは、これから先歩んでゆく筈だった明るい道行きが、突然真っ暗になってしまったことくらい。