真実は……
「え……?」
何を言われたのか、理解できなかった。
彼の言葉を、思考が否定しようとする。
「何、言ってるの、先生。そんなこと……」
身体の弱いエステルを案じて、元気になれるように手を尽くしていた筈のパルスが、彼女を殺す筈なんて。
リルフィーナが固まっている傍らで、マスコットに封じられた悪魔がまた騒ぎ出す。
『おいお前! とっととギレを解放しろ!』
悪魔はパルスに向けて喚き立てる。
『お前如きの人間が、ギレを使役しようなんて千年早いんだよ!』
「それは無理な相談だね」
肩を竦めたパルスが片手を掲げると、その半身を覆っていた黒い影が剥がれ、新たな形を作っていく。
それは鎖に繋がれた黒い獣――つい先程まで対峙していた悪魔の姿とよく似ていた。
しかし、こちらの獣には知性が感じられず、獲物と見たら襲ってくる類のモンスターと変わらない。
『グルルゥ……』
『ギレ! 俺のことも分からないのか!?』
悪魔の声も届かぬ様子で、ギレと呼ばれた獣は低い体勢を取って呻っている。
それをちらりと見遣ってパルスが言う。
「これが、この街の地下に封じられていた方の『ヴァンダリスの悪魔』だ」
「……一体どうやって封印を……」
問うたディノの手は震えていた。
「そんなに難しいことじゃないよ。封印の管理番の何人かは、僕が主治医でね。魔法薬と催眠術で、ちょっとお願いしたんだ」
まるで簡単な頼み事でもしたかのように、事も無げに答えるパルス。
地下の封印の管理を任されるような魔術師なら、相当な使い手だろう。精神的な影響を受けるものにも耐性がある筈。
それを魔法薬を飲ませて酩酊のような状態にし、催眠で操ったのだという。
パルスは長年を掛けて得ていた信頼を、逆手に取って利用したのだ。
「エステルにも、同じようにして孤児院を抜け出して貰ったんだ」
悪びれた風もなく続ける男に、リルフィーナも戦慄した。
「本当なの……?」
本当に、あなたがエステルを殺したのか。
少女の問いを、パルスは無言で肯定した。
「ただ……本当なら肉体を傷付けるつもりはなかったんだ。この悪魔の力で、魂を抜き取るだけの手筈だった。思いの外、制御が利かなくてね」
「同じことでしょう!」
もう聞きたくないと思いながら、リルフィーナは叫んだ。
人は、肉体から魂が離れて戻らないままでいると、次第に衰弱して死んでしまうとされている。
パルスが悪魔の能力を使ってエステルから魂を奪ったのなら、どうあっても彼女の命は失われることに変わりはなかった。
「それでも、亡骸は綺麗なままの方がよかっただろう?」
「あなたが何を言っているのか、わからない……」
こんなにも視点が、価値観が違う相手だとは思っていなかった。
彼はエステルの命を奪い、その後も何食わぬ顔で善良な町医者を演じ続けていたのだ。リルフィーナが捜査しようとした時も、協力を申し出て……。
その所業を知った今、側で呻っている悪魔よりも、彼のことをずっと恐ろしく感じた。
「どうして、エステルを殺したの」
自分には到底理解できない理由かも知れない、それでも聞かずにはいられなかった。
男は神妙な顔で答える。
「彼女の魂が必要だったんだ。死者たちの国の神を、目覚めさせるために……」
その言葉に、エステルの胸にあった印が思い当たる。パルスは孤児院の子供たちをずっと診てきた。あの印の存在を知っていて然るべき人物だったのだ。
頭の中で重なる符号と未だ信じられない気持ちの狭間で、リルフィーナは表情を歪ませる。こんなにも身近なところに犯人がいたなんて。
「君たちとの時間はとても穏やかで、温かかった。得難いものだと思っていたよ」
どこか懐かしむような声音に、リルフィーナの身体の芯が震えた。
信じられない、今更そんなことを言うなんて。
かっと目を見開く。
「どの口が言うか!」
得難いと言いながら、奪ったのか。
あの声を。
あの笑顔を。
あの存在を。
総毛立つような感覚と共に、一瞬だけ力が漲る感覚が蘇る。
呪文も何もない、ただ純粋な魔力の波動がパルスに向けて発動した。
が、鎖に繋がれた悪魔のひと吠えが、それを掻き消してしまう。
「っ……」
「リルフィーナさん!」
虚脱感に襲われたリルフィーナは、ディノに支えられながらもずるずると膝を突く。
少女を見下ろした男が、目を伏せて息を吐いた。
「……だが、機は満ちた。僕は己が目的のために手を汚すことを、ずっと前から決めていたんだ」
それほどの覚悟をして、何を果たそうというのか。
男はその先を語らない。
ぽつりぽつりと、暗い空から雫が落ちてくる。
火消し役の魔術師が、雨雲を呼んだのだろう。
雨足は次第に強まっていく。
「……僕を裁く者がいるとしたら、きっとそれは君なんだろうね」
でも、今はその時じゃない。
そう言い残して、男と鎖に繋がれた悪魔は突然現れた空間の裂け目の中に飛び込んだ。
「待っ……!」
『おいこら、勝手にどこかに行くんじゃねぇ! 百歩譲ってギレは置いていけ!』
制止の声も、届かない。
マスコットに封じられた悪魔も声を荒らげているが、リルフィーナとの間に楔のようなものが打たれているために、消えゆくふたつの影を追い掛けることはできなかった。
「どうして……」
裂け目の消えた虚空を見詰める少女の唇から、涸れた声が零れる。
しとしとと振り続ける雨が髪を、肩を濡らしていく。
「エステルはあなたのこと、好きだったんだよ……」
自分が勝手に憧れているだけと、恥ずかしそうに笑んだ親友の顔が思い出される。
それなのに、好きになった人に殺されるなんて。
あの男はずっと自らの目的のために、その手段を得るために、近くにいたのか。
いずれ、その魂を奪うためだけに。
「リルっ……!」
付近の路地がにわかに騒がしくなり、複数の人の気配が近付いてくる。
その中から、聞き覚えのある女性の声が自分を呼ぶのが聞こえた。
「リルフィーナさん、救援です! それに、セリさんも!」
ディノの声にも反応できず、少女は呆然としたまま。
雨に濡れたままで、姿を消した男に呟いた。
「こんなのって、ないよ…………」




