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目醒め

 眩しいのか暗いのか、よく分からない空間。

 ふわふわと、まるで漂っているような感覚。

 少女は、自分がどんな状態なのか把握できなかった。

 ただ何もない空間に揺蕩うだけのような。

 ふと、悪魔に胸を撃たれたことを思い出す。

 とすれば自分は死んだのだろうか。

 どうしようもない状況で、パルスや街を守ろうとした自らの行動に悔いはなかった。

 けれどエステルの件が明かされる前にこうなってしまったことと、あの悪魔が本当に約束を守ったかを確かめる術がないことは、心残りだった。

 そして――


(ライアン……)


 今はもう、決別した筈の遠い人のことが、脳裏に浮かぶ。

 きっと自分は幼くて、未熟で至らないところばかりだった。

 それでも、二人で決めたことを一方的に反故にされて、胸が潰れるような思いをして。


(私は、なんだったの……?)


 ギルドを去って独りの夜を過ごした時、このまま消えてなくなってしまいたいと思うこともあった。

 全てを滅茶苦茶にしてしまいたい衝動に駈られたことだって、ある。


 でも、もういいのだ。

 もう身の置き場のない感情に苛まれることもない。

 このまま何もない世界を漂って、この意識もゆっくり溶けるように消えていく。

 それでいい。

 そう思い始めた頃。


 空間に、自分以外の気配があることに気付いた。


(誰……?)


 その人物は、少女と同じように揺蕩いながら近付いてくる。

 瞼を閉じている筈なのに、その姿はなんとなく判別がついた。

 青みがかった艷やかな黒髪に、青い瞳。

 自分と同じ髪と瞳の色を持つ男性だった。


『――……』


 その唇が何かを紡いでいる。

 けれど、少女の耳には届かない。


(何を言っているの?)


 尋ねようとしても、身動ぎひとつできなかった。


『――……』


 彼がまた、何がしかの言葉を零すのに耳を傾けていると、何かが指先に触れた。

 恐らく、男性の指だ。

 少しひんやりした感触が、次第に温もりに変わって。

 やがて、指先からあたたかなものが流れ込んできた。

 それは、半ば感覚を失い掛けていた少女の全身を巡っていく。


(これは……なに?)


 身体の芯から湧き出す、生命の奔流。


 急速に活力が漲ってきて、少女はゆっくりと目を開いていく。

 視界に入ってくるものを眩しいと感じたものの、すぐに見覚えのある風景が馴染んでいく。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 はっとして半身を起こす。

 周囲の建物が、炎に包まれていた。


(何が起きてるの……?)


 横たえられていた石畳の上で、緩慢な思考を働かせる。

 自らの周囲を、魔法障壁のようなものが囲んで守ってくれているようだ。

 ふと、視界に飛び交う二つの影が飛び込んできた。

 目にも留まらぬ応酬を繰り返していた影は、間合いを取るようにして動きを止める。

 影のひとつは、あの悪魔だ。

 そしてもうひとつは……。


「パルス、先生……?」


 それは、リルフィーナのよく見知った人物だった。

 といっても、パルスの半身は侵食されたように黒い影に覆われ、見たこともない厳しい表情を浮かべている。

 激しい戦闘で眼鏡のレンズはひび割れ、服の端々も荒れていた。


 非戦闘員だと思っていたけれど、戦えたのか。

 それとも、あの黒い影の力で……?

 悪魔とパルス医師の対峙を呆けたように見ていると、胸元でピキリと音がした。

 そういえば、と思い出して胸ポケットに手を入れる。

 出てきたのは、ギルドを抜けた日に捨てられなかった髪飾りだった。

 白と緑の石で作られた可憐な花の髪飾りは、リルフィーナの掌の上で更に亀裂を増して、砕けていく。


 これが、悪魔による一撃から守ってくれたのか。

 ほんの魔除けの効果しかないと、思っていたのに……。

 リルフィーナは粉々になって指の間から零れ落ちていく髪飾りの破片を、ぎゅっと握り締めた。


 すると、掌に感覚が蘇る。

 意識を失っていた時に、誰かが指先に触れて広がった、あの滾々(こんこん)と湧き出る泉のような温かさを。

 少女はゆっくりと立ち上がった。


「リルフィーナ!?」


 パルスが驚いたようにこちらを見る。


「その姿は……?」


 言われて、リルフィーナは見てくれの変化に気付いた。

 全身が柔らかな燐光に包まれ、視界に映る自らの髪も青白い光を帯びている。

 まるで能力を上昇させる司祭(プリースト)祝福(ブレッシング)を受けた時の何倍もの力が、己の内から溢れ出しているのを感じた。

 リルフィーナの変化に気を取られていたパルスの目前の石畳が抉られ、彼も吹き飛ばされる。


「先生!」

『ええい、なんだお前、その姿はっ……! まさか』

「そんなのこっちが知りたいよ!」


 にわかに動揺を見せた悪魔の声を遮って、リルフィーナは地面を蹴った。

 普段では考えられないような跳躍力で、一気に悪魔との距離を詰める。


「〈アイシクルランス〉!」


 無数の氷柱(つらら)が標的を貫く魔法を使うと、いつもより遥かに多くの氷柱が悪魔の周囲を取り囲み、次々と放たれていく。


『くそっ、この魔力……本当に人間か?』


 自らを狙った氷魔法を防ぎながらも、手傷を負った様子の悪魔にもう一撃お見舞いする。


「〈ファイアバレット〉!」


 炎の(つぶて)を放つ魔法は、人の頭の倍以上の火球を生み出して悪魔を襲った。

 この力がなんなのか、自分にもわからない。

 それでも今は、目の前の危機を排除できるならという気持ちが何よりも勝った。


 悪魔もやられてばかりではいない。

 闇の魔力を自在に操りながら、その獣のような体躯を余さず使って攻撃してくる。


(見える……!)


 今のリルフィーナは、魔力だけでなく身体能力も激的に上がっているようだ。

 悪魔の鋭い爪をすれすれで(かわ)し、闇の魔法を障壁で弾く。

 自分でも驚きながら、悪魔の猛攻に耐えていた。


『ガッッッ!』


 不意に、横合いから蹴りが飛んできた。

 リルフィーナに集中していた悪魔は、まともにそれを食らって仰け反る。


「大丈夫かい?」


 先程吹き飛ばされたパルスだ。

 然程ダメージは受けていないように見える。


「は、はい」


 コクリと頷いて、リルフィーナは悪魔の方を見遣る。

 パルスについても何がどうなっているかは分からないが、二人掛かりでならなんとかできるだろうか。

 特に言葉を交わすでもなく、前に立ったパルスが悪魔を牽制し、リルフィーナが攻撃魔法を撃ち込んでいく。


 だが、相手も古代都市を滅ぼしたと言われるだけの悪魔だ。このまま戦闘が長引けばサムサラの被害も大きくなる、早々にそんな予感が過ぎっていく。

 既に火が着いた家々の人々は逃げ出したようだし、じきに火消しの役に就く者もやって来るだろうが……悪魔との戦闘が続いている状態では、人的被害が増えてしまいかねない。


「リルフィーナ」


 戦いながらも頭を悩ませていると、パルスに呼び掛けられた。


「君は、封印の魔法を使えるかい?」


 封印魔法。

 その一部は書物では読んだことがあり、方法は知っている。

 ……実際に使ったことはないが。


「……やります!」


 使えるか使えないか、できるかできないかではない。

 ここで封印を成功させて戦いを終わらせなければ、被害が甚大になる。

 例え知識だけのぶっつけ本番でも、やるしかない!

 リルフィーナは腹を決めた。


(この封印方法には、要となるものがないと……)


 すかさず手持ちのアイテムに使えるものがないかと、考えを巡らせる。

 目に入ったのは、先程リルフィーナが倒れた場所に落ちている、エステルに貰った黒猫のマスコットだった。

 悪魔に撃たれた時、衝撃でポーチから外れてしまったのだろう。

 闇の魔法を飛び退いて避けるついでに、それを拾い上げる。

 目つきの悪い、けれど見ているうちに愛着が湧いてくる黒猫。

 一針一針、エステルが心を込めて作ったぬいぐるみ。


(エステル、力を貸して)


 強く願いを籠めながら、術式を編んでいく。


『何してやがる!』


 気付いた悪魔が闇を操りながら、こちらに向かってくる。

 その勢いを、パルスも止められない。

 リルフィーナは悪魔を見据え、声を上げた。


「破ァッ!」


 見えざる波動が、迫りくる闇を払う。


『何ィ!?』


 セリに教えて貰った『気』の扱い方が、こんなところで役立つとは。

 尤も、溢れ出るような力がある今だからできたことだ。


(私はいろんな人に支えられて、助けられてるんだ……)


 その想いを胸に、跳躍した。


「我が名に於いて、ここにお前を封ずる!」


 黒猫のマスコットを握った拳を、振りかぶる。

 跳躍の勢いに乗せて、悪魔の顔面に思いっきり叩きつけた。


『ごふぅッッッ!!』


 悪魔の顔にめり込む拳。

 次の瞬間、織り上げた術式が悪魔の身を包み、マスコットの中へと吸い込んでいった。

 遠くで炎の爆ぜる音が聞こえる中、沈黙が訪れる。


『……な、なんだこりゃぁぁぁぁぁ!?』


 それを破ったのは、少女の手の中のマスコットだ。


『お、俺様がこんな小娘に、ふ、封印っ!? こ、こんなちんちくりんにされちまうなんてっっっ……』


 リルフィーナは、目を白黒させてジタバタと藻掻くマスコットから手を離す。

 そのまま宙に浮いたマスコットは、両手で自分の顔を擦ったり手足をバタバタさせながら喚いている。

 マスコット――もとい悪魔――の力は、もうリルフィーナの制御下だ。好き勝手に暴れることもできないだろう。

 終わった、そう思った直後、リルフィーナの身体から漲っていた力が抜けていく。

 反動にふらついた彼女を支えたのは、悪魔と対峙していの一番に吹き飛ばされたディノだった。


「大丈夫ですか?」

「あ……はい」


 ディノは負傷はしているものの、しっかりと立っている。酷いダメージはないようで、リルフィーナはほっとした。

 あの力は一時的なものだったのだろう。

 けれど助かった。

 どうして自分にそんな力が出せたのかは分からないが、あれがなければ悪魔に対抗して封じることはできなかっただろう。

 一息つきたいところだったが、なぜか自分を支えるディノの手が強張っているのに気付く。

 驚異は去った筈なのに。


「……近付かないで下さい」


 警戒を露わにしたディノは、少し離れたところに立つパルスを睨んでいた。

 半身を闇色に染めた男。

 彼は、レンズの割れた眼鏡の向こうからリルフィーナを見て、どこか寂しげに口許を綻ばせた。

 その顔から、柔和な表情が抜け落ちる。


「リルフィーナ。君に伝えなければいけないことがあるんだ」


 何か、嫌な予感がした。

 その先を聞いてはいけない、聞いてしまったらもう戻れない……そんな気が。

 けれど時は止めようもなく、パルスは続けて口を開いた。


「エステルを殺したのは、僕だ」

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