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予感

 浮遊の魔力を身に纏って、屋根から屋根へと飛び移る。

 普段ならこんな移動手段は取らないが、緊急事態だ。

 集中が途切れて感知魔法は解けてしまったものの、感じ取った害意の発生源がどこにあったかは覚えている。


(この先の路地……っ!)


 屋根の縁にしがみついて、その場に留まった。

 目下には、辛うじて街灯りに照らされたひとりの娘が立っている。

 安物のようだが、それでも派手な装飾のある服を着て、年頃に合わない濃い化粧をして。

 道を通り掛かる紳士の気を、引こうというのだろう。

 そういう生き方しかできない者もいるのだと、知らない訳ではないけれど。

 化粧の下の痩けた頬、ドレスから覗く枝のような腕が、リルフィーナには痛々しく見えた。


 今夜の客を待つ娘に、悪意持つ影が近付いてくる。

 鍛えられた肉体。

 足元には、二体の獣――間違いない。

 リルフィーナは手早く口許で印を切った。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




「何? アンタ……」


 娼婦の娘は、青銅色の狼を連れた冒険者らしき男に顔をしかめる。

 品定めするような男の空気はどこか剣呑で、明らかに客という雰囲気ではない。

 それを意に介した風もなく、男は手許の何かを確認した。


「フン、まあこれなら合格だろ」


 小さな装置らしきを懐にしまい、引き連れた獣たちに娘の背後に回り込むように指示を出す。

 二体の狼はすぐに動き出した――が、見えない何かに阻まれた。


「チッ……魔法障壁か!?」

「そこまでだよ!」


 声の主は、近くの屋根の上から飛び降りてきた。

 ローブ姿に、杖を携えた少女。

 男と同じ冒険者で、その印はAランクのものだ。

 対して男は冒険者証をもう着けてはいなかったが、Eランク。まともに相手をして敵う相手ではない。


「大丈夫ですか? そのまま動かないでいてください」

「え、えぇ……」


 とはいえ、男よりも標的の娘の方に意識が向いているようだ。

 ここは逃げた方が得策だろう。

 判断した男は狼たちに合図をして、少女と娘とは反対方向に走り出した。


「やっぱり」


 少女の声音が下がる。

 もしやと男が察した、次の瞬間。


〈蟻地獄〉!(ドゥードゥルバグ)


 男の足元が、急にすり鉢状の砂地と化した。

 いくら走っても抜け出せない蟻地獄。

 逃走を見越して、予め仕掛けられていたのだ。


「たぶん耐性ないよね? 〈サンドマン〉!」


 ぬぼっとした顔の精霊が現れ、男や獣たちに砂を振り撒いていく。

 急に込み上げた眠気に抗いようもなく、襲撃者たちは眠りに落ちた。




「リルフィーナ!」


 そこへ、後を追ってきたパルスたちが到着した。


「もう、ひとりで先に行ってはダメじゃないか」

「ごめんなさい……一刻を争うって思ったから」

「それでもだよ」


 パルス医師が先走ったリルフィーナにお説教をしている間に、ディノは誘拐犯たちを粛々と拘束していく。

 その拍子に、男の懐から何かが落ちた。


「魔力の測定器ですね。簡易なものですが……ある一定の魔力の持ち主を攫っていたのでしょうか」


 装置を拾い上げたディノが確認し、一同に説明する。

 単純に女性を狙っていただけでなく、ある程度の魔力を持つ女性が標的だったと。


「てっきり人身売買目的かと思ったけど……これはきな臭くなってきたね」

「ともあれ、後は市警に引き渡しましょう。我々だけではどうしようもありません」


 パルスとディノの言葉には、頷くしかない。

 これでエステルの件についても、何かが分かればいいのだが。


 誘拐犯の男と獣たちは、呼び立てられた市警にしょっ引かれて行く。

 辻の娘も、事情聴取ということで同行することになった。


「ありがとうございました」

「あの……っ」


 頭を下げる娘に、リルフィーナは言い募る。

 それにたいした意味なんてないと、分かっていたけれど。

 今この娘にお金や食べ物を渡したところで、それは一時的なものでしかない。彼女が真夜中にひとりで辻に立ち、春をひさがなくても生きてゆけるような、根本的な解決には結びつかないのだ。

 だけど。


「これっ……少ないかも知れないけど、今日は私と会ってくれたお礼ってことで……!」


 幾らかの硬貨を握らせると、娘はぽかんとした顔で言った。


「……アンタ、馬鹿なの?」


 当然の反応だ。

 リルフィーナの視界が歪む。


「馬鹿でもなんでもいいですっ! でも、あなたが今日お仕事をできなくてご飯を食べられなかったら、とってもひもじいだろうなって辛いですし、折角お会いできたのに死んでしまったらと思うと、もっと辛いんです」


 瞼の裏に、もう見ることのできない親友の顔が過ぎっていく。

 これはエゴだ。自分の気持ちを、ついさっきまで見ず知らずだった他人に押し付けているだけ。

 それでも、それでも。


「死なないで、ほしいんです。毎日生きるのが大変で、苦しい人生でも……。理不尽で、どうしようもないこともあるけど……生きることを諦めないで欲しいんです」


 縋るように言い募るリルフィーナに、娘は仕方ないとでも言いたげに笑った。


「恩人にそんな風に言われたら、しょうがないわね」


 お金を受け取った娘はもう一度小さく頭を下げて、待っている市警の許へ向かった。


「……ってなに、こんなに?」


 ポケットにしまう前にちらりと確認した硬貨の金額は、一日分どころか娘の一週間以上の稼ぎに相当するものだった。

 しげしげと振り返ると、魔術師の少女はまだ涙ぐんだまま見送り体勢でいる。

 とんだお人好しもいたもんだと狐に抓まれた気分で、娘は再び歩き出した。


(人生碌なモンじゃないと思ってたけど、こういうこともあるのかもね……)


 諦めないで欲しい。

 その言葉が、娘の胸に尾を残していた。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 深夜の道を歩く三つの影を、月が煌々と照らしている。

 少し欠け始めている丸い月を見上げて、そういえばエステルが死んだ夜は満月だったのだなと少女は思い出す。

 月の満ち欠けは、地上のあらゆるものに影響を及ぼす。満月の夜に気の立った獣は、それを扱う人間の制御も利かずに人を襲ったのだろうか?


「この件に関しては、組織的な犯行の可能性がありますね」


 これ以上のことは捜査が進まなければ明らかにはならないだろう、というディノの言葉を耳にしながら、リルフィーナは考えていた。

 人攫いの件については、もう自分ができることはない。

 エステルが彼らに命を奪われたのかどうかも。

 けれど、何かが頭の隅に引っ掛かっていた。


(なんだろう、この感じ……)


 冒険者崩れの男は、魔力を測定する装置で拐かす相手がある一定の魔力を持つことを確認していた。

 この世界の人間は、魔法を使えるかどうかに関わらず、誰しも多少の魔力を持って生まれてくる。魔力が全くないということは、極めて稀だ。

 でも。


(エステルは……魔力があまりなかった筈)


 五年前、リルフィーナが魔術師の素質を見出された時。

 同じ環境で一緒に育ったエステルもまた、資質や魔力量を推し量るテストを受けていた。

 その結果、一般人の範疇でも魔力は低めで、魔法を使える素養もなし。結果自体には二人で残念がったものだけれど。

 そんなエステルが、ある程度以上の魔力を持つ者を標的にした事件で狙われるだろうか?

 この五年で、それだけ彼女の魔力が自然と強くなった……という可能性もなくはないが。


『おばあちゃんがね、信頼のおける人以外には見せちゃダメだって』


 幼い頃、胸元の不思議な印について言っていたことを、思い出す。

 あの印は、結局なんだったのだろう。

 エステルが殺害されたことと、関わりがあるのではないのか。

 しかし、冒険者崩れの男は彼女と面識もなかっただろう。印のことを知りようがない。


(なんだろう、変な感じがする……)


 何か大事なことを、失念しているような――

 その時だった。

 どこかでパリンと、硝子の割れるような音がしたのは。


「――っ?」

「今のは!?」


 弾かれたようにリルフィーナが音がしたと思われる方に顔を向けたのと同時に、魔術師であるディノも反応する。

 何が起きたのか、分からない。

 けれどこれから、更に何かが起きそうな予感。

 魔術師として培ってきた勘か、冒険者としてのそれか。

 どちらにせよ、リルフィーナは感じ取っていた。

 何か、途轍もなく禍々しいものが物凄い勢いで迫っているのを。


「まさか、街の結界が破られた……?」


 ディノの呟きを背に、少女は夜の闇を見上げる。


「来る……!」

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