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安息の時

 とっぷり日の暮れた夜の闇の中、魔術師ニコルの屋敷は月に照らされ白く浮かび上がっている。


「あの、やっぱり何か手伝った方が……」

「大丈夫ですよ、リルフィーナ様。料理長も一緒ですし」


 少し風変わりだけれど不思議と食欲をそそる香りが漂う厨房の前でそわつくリルフィーナを、屋敷のメイドが宥めていた。

 リルフィーナが帰った時には、セリは既に夕食の準備に取り掛かっていて手伝いに入る隙もなく。


(一緒にお料理できたらよかったのになぁ)


 セリの出身地の料理は口にしたことはあるけれど、どんな風に作られているかは知らない。興味があったし、手伝えば自分にも覚えられるかも知れないと思ったのだが。

 何より、誰かと一緒に食事を作るのは楽しい。『黒猫の足跡』にいた頃も、当番で色んなメンバーと組んで料理をしたことを思い出す。

 同じ献立でも人によって作り方が違ったり、その人ならではの隠し味があったりして面白かった。

 料理が得意でない人や経験がない人には、できることからやって貰って――

 もうあのギルドでそうすることもないのだと思うと、一抹の寂しさを覚える。

 しゅんとしていると、なにやらメイドが微笑ましげな視線で見てきた。


「そんなに落ち込まないで下さい。また機会はありますから」


 手伝いができなくてがっかりしたことを汲み取ってくれたメイドは、先に入浴することを勧めてきた。

 ここは好意に甘えて、旅の垢を流すことにする。




 湯に浸かるのは気持ちがいい。

 屋敷の風呂場が広いのは、少し気になってしまうけれど。

 一面陶器のタイル張りの部屋の中に、白く丸みを帯びた猫脚のバスタブがちょこんと置かれていた。巷ではちょっといいクラス以上の宿でないとあまり見掛けない、魔導式のシャワーまで設えられている。

 大夫贅沢な空間だけれど、だからこそふわりと湯気の立つ湯船にゆっくり浸かっていると、旅の疲れが癒えていくようだった。

 単純に身綺麗にするだけなら、実はそういう魔法もあって、リルフィーナは勿論習得していた。

 湯に浸かった時のように疲れは癒えなくても、旅の途中やダンジョンに潜ったりしている時は、入浴はおろか身体を拭くこともできない場合もあるだろうと思ったから。

 実際便利だったし、自分以外にも掛けられるから覚えてよかったとは思う。後になって、実戦重視の魔術師系クラスの人はあまり取らないと聞いたものの……。


(いいもん。私には私の、役に立つ場面があるんだもん。日々の暮らしに便利な、一家にひとりなリルさんだもん)


 むくれ顔を口の辺まで浸からせて、ぷくぷくと息を吐く。

 拗ねたような思いはあったが、エステルと話したお陰でそこまで卑屈な気持ちにはならなかった。

 風呂から上がって身体を拭いたら、魔法で丁度いい温風を起こせば長い髪もすぐに乾く。

 この辺りのコントロールの良さも、まあ自分ならではだ。


(どうよこれ、めちゃくちゃ便利だもんねぇぇぇ~~~!)


 ふんすと鼻で息を吐いて、胸を張ってバスルームを出たら、廊下に控えていたメイドに笑われてしまった。

 恥ずかしい。




 三人が囲む食卓に、セリが『腕によりを掛けた』スイレンの郷土料理が並ぶ。

 キュウリを塩と海藻で軽く漬けたピクルスのようなものに、根菜を中心に甘辛く煮付けたもの。

 味噌という独特な調味料を使った、海藻のスープ。

 スープとは違った味付けでサバを調理した味噌煮。

 そして、炊きたてのツヤツヤしたお米。

 どれもとても美味しかった。

 特にサバの味噌煮は煮込んだタレも魚の脂と相まって絶品で、勧められるまま白米をおかわりしてしまった。


「ふう、美味しかったですねぇ」


 二回おかわりしていたニコルも腹をさすって満足げだ。

 上流階級らしく洗練された所作しか見たことがなかったから、彼もこんな様子を見せることがあるのかと、意外に思った。

 それだけセリの料理が美味しかったということなのだろうけれど。


「美味しく食べてくれて嬉しいわ」

「セリさ……セリ、今日は手伝えなかったけど」


 ニコルとリルフィーナの食べっぷりににこにこしていたセリに、おずおず声を掛ける。


「今度は手伝わせてね」

「別に気にしなくてもいいのに」

「ううん、その……興味があるから。和食というのに」


 そう伝えると、セリは目を丸くした後更に嬉しそうな顔をした。


「そうかそうかー! じゃあ今度はお願いするわね」

「ふふ、仲がいいですね」


 遣り取りを見ていたニコルも穏やかに笑っている。

 この場でなら、話せるだろうか。

 なにしろ自分が知る上で一番の、魔法の大先輩だ。


「先生、少しお話を聞いて頂いてもいいですか?」


 気後れしたものの、リルフィーナは自分の能力についての悩みを、ニコルに打ち明けることにした。




「そうだったのですか……」


 最近、魔法の力があまり成長しなくなっていることを伝えると、ニコルは少し考えるような間を置いた。


「力が伸びなくなったと感じる前は、順調に成長していたのですよね? 停滞期に入ってしまったのでしょうか」

「ああ、そういうのって魔法じゃなくてもあるよね」


 口を挟んできたセリに、リルフィーナは「そうなの?」と目を向ける。


「そうそう。武術でも壁にぶつかって進めないーって感じになって悩んだりするの、あるあるだし」

「逆にリルフィーナは、今までが順調にすぎたのかも知れませんね。冒険者の方は、モンスターとの戦闘を積んで急激に成長する場合も少なくないですから、その反動もあるかと思います」

「なるほどねー。強くなるには実戦に勝るものなし、かぁ」


 セリがちょっと関心ありげに呟くと、ニコルは緩く頷いた。


「ハイクラス向けのダンジョンにも行っていたのでしょう? その年でそれなら、大夫実力もある方ではないでしょうか」

「……な、なんとか付いて行けていた、くらいの感じですが……」

「それでも、です」


 パーティーを組んでいる場合は、自分だけの力で戦闘や探索をこなしている訳ではない。周りの力があって初めてその場に立てていたのだと遠い目をしかけたリルフィーナに、ニコルはそれでもと言い募る。


「何にでも言い換えられるかも知れませんが……魔法の力というのは、個人差が大きいものです。持てる才も、どのように成長していくかも、本当に様々ですからね……」




 体内の魔力の活性化によるものなのか、魔術師の人生は一般の人々より長い。

 今は焦らずにのんびり過ごして欲しいという師の言葉を頭の中で巡らせながら、リルフィーナは用意された部屋のベッドに寝転んだ。

 ふかふかなのに柔らかすぎず絶妙な寝心地だ。あれ、と思う間もなく、寝付けるかという当初の不安に反して、意識は眠りの世界に落ちていった。




 外がほんのり明るくなり始めた頃、自然と目が覚めた。

 殆ど夢らしい夢も見ずに熟睡していたことに、びっくりしてしまう。

 思えば、ギルドの拠点を出てからサムサラに至るまで、あまり睡眠を取れてはいなかった。

 昼間や周りに人がいる時は気が紛れていても、宿の部屋でひとりになると虚無感や絶望感に襲われて、打ちひしがれていたのだ。

 ここに戻って来るまで随分不安定な状態だったのだと、リルフィーナはしみじみ感じた。

 安心できる場所、心を開いて接することができる人々の存在がどれだけ大切なのかということも。


 先日まで所属していたギルドがそんな場所にならなかったことには、寂しいものがある。けれど、もう自分は袂を別ったのだ。

 彼らとは別の、新たな道を歩んでいかなければならない。

 そんな思いが固まりつつあった。




 あまりにもすっきり覚醒してしまって、朝の時間までベッドで微睡んでいるのも勿体ないような気がしたリルフィーナは、そっと部屋から出てみた。

 使用人たちもそろそろ起き出してくる時間のようだが、しんと静まり返った廊下を歩く。


「はっ、はっ!」


 庭に出られるところから出てみると、女性の掛け声らしきが聞こえてきた。

 声の主はセリだ。

 低く腰を落とした体勢で、交互に拳を突き出している。

 武術を修める者は早朝から修練を行っているイメージがあったが、セリもそれに違わずだったようだ。

 夜も明けきらぬうちから額に汗を滲ませ、全身に神経を張り巡らせているかのような彼女の姿に、気安く声を掛けられない。

 普段の明るくてゆるい感じの彼女とは全く違う、凛とした佇まいだ。

 ひとしきり修練が終わるまで眺め続けてしまったリルフィーナに、セリの方から声を掛けてきた。


「おはよー! 随分早いね、さてはおやすみ三秒ぐっすりで、起きたらこんな時間だった感じ?」


 全くもってその通りだ。

 何の言葉も返せないリルフィーナの許へと歩み寄りながら、セリは「うんうんわかるわー」と頷いている。


「疲れとか色んなモンが吹っ飛んだでしょ」


 屈託のない、あっけらかんとしたセリの様子に若干呑まれつつ頷く。

 すると「折角だし、リルも何かやってみる?」と手を引かれた。


「な、なにかって、なにを?」

「んー、そうだねぇ。いきなり拳で何かしましょうって言っても難しいし、ここは『気』の巡りについて学んじゃう?」


 気の巡り――モンクが駆使する気功術に関わるものだろう。


「ほら、魔法と気功ってちょっと似てるとこあって……でも違う部分もあるから、毛色の違うことを知ったら何かヒントになりそうじゃない?」


 昨夜の話を踏まえて、気を回してくれたようだ。

 リルフィーナの中に、一瞬申し訳ないような気持ちが首をもたげたものの、それはすぐに掻き消した。

 有り難い、が正しいのだと。

 自分のことを想ってくれているからこそ、自分のためになりそうなことを示してくれているのだと。


「やってみます……やってみる」

「よーし! じゃあまずはここ、おヘソの少し下の辺りね。丹田っていうんだけど、ここを意識して……」


 朝日が照らし始める庭に咲く、二輪の笑顔。

 その様子はそっと見守る使用人によって、屋敷の主の知るところとなるだろう。彼らは主人の意に従って、心に傷を負って帰ってきた少女が穏やかな休息を過ごせるようにと手を尽くす。

 少女の心身が、完全に癒やされるまで。


 しばらくそんな日々が、続くかに思われていた。

 あの事件が起きるまでは。

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