受付嬢、自由へ羽ばたく3
「着いたにゃ。」
マルテさんの声に我に返りました。私はどうやらマルテさんに腕を抱えられながら立っているようです。
「ここは?」
「ミカさんの家にゃ。違ったかにゃ?」
辺りを見渡すと屋敷の門の前でした。どうやってここまでたどり着いたのか全く覚えていません。
「大きな家にゃ。」
「父が領主ですからね。」
「ふーん。」
私はちらりとマルテさんを見ました。聞いても変わらないで欲しいと願いながら。
「どう思います?」
「どうとも思わないにゃ。ミカさんはミカさんにゃ。」
私はその言葉に思わずマルテさんの顔を抱き締めていました。分かっていても嬉しいものは嬉しいのです。
「く、苦しいにゃ。ミカさん胸が大きいにゃ。」
「マルテさんには敵いませんよ。」
「にゃ。あたしはにゃいすばでぃだからにゃ。」
私は暫くの間マルテさんと抱き合いました。
「マルテさんが送ってくれたんですか?ヴィータさんは?」
「にゃ。師匠は酔い潰れてギルドの床で寝ていたにゃ。」
そう言えばマルテさんはアルコール度数の高いお酒を樽ごと飲んでいましたが、大丈夫なのでしょうか?幻だったのでしょうか?
「ミカさんは師匠が好きなのかにゃ?」
マルテさんは不意に私に尋ねました。
「んー、どうなんでしょうかね。人を好きになったことがないので…でも、他の人とは違う感情は確かに持っていますね。」
私は正直に答えました。これが恋心というものなのかどうかは私には分かりません。
「じゃあ、あたしたちはライバルってやつかにゃ?デハルデが友と書いてライバルと読むとか言っていたにゃ。」
「でも、もうすぐマルテさんたちは旅立つんですよね?」
「にゃ。でも友に距離は関係ないにゃ。」
マルテさんは私に向かって手を差し出します。私はその手を握ります。友…いい響きですね。私は一生マルテさんの友でいたいです。
「ミカさん、また明日にゃ。」
マルテさんは私の手を離すと振り返り去って行きました。私は見えなくなるまでその後ろ姿を見送りました。
私はフラフラとした足取りで門をくぐり玄関を開け玄関ホールに入りました。
「遅かったな、ミカエラ。」
父が食堂から赤いワインの入ったワイングラスを揺らしながら現れました。私は一瞬で酔いが醒めました。
「申し訳ありません。」
私は父に向かって頭を下げます。そして自分が冒険者ギルドの制服のままだということに気が付きました。
「理由は?」
「はい。冒険者ギルドで宴会がありまして」
「馬鹿者!」
私の言葉は父の罵声にかき消されました。
「平民と酒を飲んだというのか!お前はなんだ!」
「ギルド職員です。」
「その前に貴族だろうが!」
そう言って持っていたワイングラスを私に投げつけました。ワイングラスは私のお腹に当たり、制服と床が赤く汚れます。
「ヴィータという男はどうなのだ?籠絡出来そうなのか?」
「いえ、私には…」
「馬鹿者!」
「きゃっ。」
私は何かの衝撃で床に転がりました。そしてじわじわと左の頬に痛みが。どうやら私は平手でぶたれたようです。
「俺がどうやって籠絡するか教えてやる。」
「え?」
私は父の言っていることが理解出来ませんでした。父は床に転がる私にのし掛かってきて制服の首元を両手で握りました。そして、力任せに制服を引き裂いたのです。
「きゃーー。何を、何をするのですか!」
「うるさい、黙れ。」
また平手が飛んできて左の頬をぶたれました。一瞬意識が飛びました。その隙に父の右手は私の下着に包まれた乳房に伸びてきました。
「いや、いや、止めて。」
今までの私ならもう諦めていたかもしれません。しかし、私の頭にははっきりとヴィータさんの顔が浮かびました。そして戦う勇気をくれました。
私の足を抑え組み敷こうとする父に対し、両腕を振り回し足をバタつかせて抵抗しました。すると父は諦めたのか立ち上がりました。私がホッとしていると今度は腹部に強烈な痛みが。父は私の腹を蹴ったのでした。
父は私の腹の上に馬乗りになり左右の拳を交互に振り下ろします。私も腕を交差させて防ごうとしますが、私の細い腕では防ぎきれません。一発二発と父の拳が顔面を捉えます。不思議と痛みはありません。しかし、徐々に視界が塞がってきます。時折、胸や太ももに手が伸びてくるので必死に振り払います。
交差させた腕の隙間から垣間見た父の顔は劣情一色で身震いがしました。
父はこれまでも良い父ではありませんでした。人の言うことを聞かず、劣等感と選民思想の塊。屋敷内の雰囲気も最悪です。私をこの街に閉じ込め人生を狂わせた張本人でもあります。
しかし、だがしかし、こんな、娘を暴行して興奮を覚える変態だったなんて…
「ミカエラ、お前は平民に、ヴィータという男に惚れたのか?」
私を殴りながら父は聞いてきます。私は途切れそうな意識の中で叫びました。
「惚れましたよ。悪いですか?」
すると父の動きはピタリと止まりました。
「悪くない、最高だ。お前はその男を想いながら俺に抱かれるのだ。その男のこと想いながら俺を相手に初めてを散らすのだ。ああ、お前はどんな顔で俺を睨むだろうか…ああ…」
父の表情は恍惚でした。恍惚とした表情で天を仰ぎ見ていました。そしてすぐにいつもの父の顔になり私の腹の上から立ち上がりました。
「当分仕事は休め。あとで俺の部屋に来い。」
父はそう言い残して2階の自室へと姿を消しました。
私は倒れたまま動けませんでした。メイドたちが割れたワイングラスと溢れたワインの掃除を始めました。分かっていたことですが誰も助けてくれません。
「邪魔ですよ。」
ひとりのメイドの言葉に私は痛む体を引き摺りながら3階の自室まで行きました。部屋に入ると直ぐに内鍵を掛けました。
私は這うように移動し、机の引き出しを開けました。入っていたはずの回復薬がありません。誰かに盗まれたようです。この部屋は外から鍵が掛けられませんからね。
私はベッドの横まで移動し、ベッドを体を使って少しずらしました。そして床板を外し隠してあったバッグを取り出しました。そして中から回復薬を取り出して飲みました。職業柄、回復薬入手には事欠きませんから。
暫くすると体の痛みは消えました。しかし、心の痛みは消えません。実の父に襲われそうになった事実…さっきまであんなにも楽しかったのに…これではまるで天国から地獄です。
ポツリポツリと自分の手の甲に水滴が落ちました。どうやら私は泣いているようです。しかし、泣いている場合ではありません。父やメイドがいつドアを壊し踏み込んで来るかもしれません。
私は本棚やベッドをドアの前に動かしバリケードを作りました。ここは私を閉じ込めておくための部屋。トイレや洗面所は部屋の横にあります。不幸中の幸いです。
私は不意に自分の胸や太ももに残る父の手の感触を思い出しました。背筋がゾクッとなりました。
「うぅ……」
私は私は口を両手で抑え洗面所に走りました。私は胃の中の物を吐き出しました。良い思い出も一緒に吐き出している気分になり悲しくなりました。
破れた制服を脱ぎ体を拭いてから着替え、バッグからナイフを取り出し、それを握りしめながら背を壁に持たれ掛けて目を閉じました。
次の日、ドンドンドンとドアを叩く音で目を覚ましました。どうやら少しは眠れたようです。
「お嬢様、お館様が呼んでおります。」
メイドはドアを叩きながらそう叫びましたが、まるっと無視しました。お腹が空きましたが、この部屋に食べ物は小鳥にあげるためのパン粉しかありません。水だけはあったのでそれで空腹を紛らせました。
その次の日。屋敷の外から賑やかしい声が聞こえてきました。よく耳を澄ませると怒声のようでした。私は窓を開けずに外の様子を伺います。どうやら冒険者たちが門の前に集まっているようです。私のためでしょうか?
あの中にヴィータさんとマルテさんはいるのでしょうか?いや、あの二人がもうガネイに留まる理由はありません。きっともういないでしょう。
ああ、一言お礼を言いたかったな。今まで生きてきた中で一番幸せな時間だった。これから私はどうなるのだろう。食料もない状態ではそう長くは持たない。きっと明日には力尽き、ここから引き摺り出されるのだろう。そして父に犯されるのだ。
最悪だ。この先、私に幸せは訪れるのだろうか。いや、訪れないだろう。父の慰み物になる日々はきっと辛いだろう。死のう。死んで楽になろう。
私はナイフを鞘から外し首筋にあてがいます。もう覚悟は決まっていました。
そのときです。コンコンと外の窓が叩かれる音が聞こえました。きっと気のせいでしょう。ここは3階なのです。首筋に当てたナイフに力を込めようとします。
コンコン。今回ははっきりと聞こえました。私はナイフを床に置いて窓を開けます。
「無事か?ミカさん。」
「大丈夫かにゃ?」
そこには会いたいと思っていた二人の顔が…
「どうしてここに?ここは3階ですよ?」
「3階なんてオレたちにはあってないような高さだから。」
ヴィータさんは笑顔でそう言いました。その笑顔は何処か辛そうです。
「入っていい?」
「どうぞ。」
ヴィータさんとマルテさんはスルリと窓から私の部屋に侵入しました。二人は部屋を見渡し声を失っています。私は二人に会えたことで安心して床に座り込みます。
ヴィータさんとマルテさんは無言で私の部屋を見て回ります。私はそれを止めません。ヴィータさんはついに破られた制服を見つけ、手に取りました。ヴィータさんの手は震えています。
「マルテ。オレやっちゃいそうだわ。すまん、謝っておく。」
「大丈夫にゃ。あたしもやっちゃいそうにゃ。」
「止めろよ。やっちゃったらオレたち犯罪者だぞ。」
「別にいいにゃ。この3人なら逃亡生活も楽しそうにゃ。」
「だな。」
二人の会話…頭数に私が入っていることが嬉しくて…
「マルデざん。」
「よしよし。」
私はマルテさんに抱き付きました。マルテさんは私の頭を優しく撫でてくれます。涙が止めどなく流れ落ちます。マルテさんの胸にすがり付き嗚咽と共に大声で泣きました。マルテさんの服は私の涙と鼻水でベタベタです。しかしマルテさんはそんなのお構い無しに私の頭を撫で続けてくれました。私はその優しさにすがり付き声の限りに泣き叫んだのでした。