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「なんだか、気の毒だったよね。昼間の村長さん」
その日の夜。ひとしきり村を見て回り、昼にも寄った酒場での夕飯を終え部屋に戻ってきて寛いでいると、武具の手入れをしていたジャックがぽつりと呟いた。
「ボク、本にはあまり興味が無かったから、本があるか無いかで暮らし向きが変わるなんて、そんなこと、考えたこともなかったよ」
まぁ、俺だって普段からそんなことを考えているわけではないが、この〈アイベル大陸〉においての本の重要性が高いのは、今日一日だけでも充分わかった。誰もが低価格で何冊もの本を集められるなんて、この世界からしてみれば、俺は随分と恵まれた環境にいたものだ。
「何か力になってあげたいけど……本に関する手助けなんてできないしなぁ……」
溜息を吐くジャックを横目に、俺はナップザックの中から、昼間ジャックに貰った手鏡を取り出した。二、三度手の中で転がしながら、ジャックに尋ねる。
「なぁ、ジャック。さっきこの手鏡は『スキル』を占って、決める道具だって言ってたけど、その『決める』っていうのはどうすれば決めたことになるんだ?」
「んー? ああ、そっか。『スキル』を知らなかったんじゃ、当然まだ決めてないよね。でもやり方は簡単だよ? 習得したい『スキル』を……まぁキミの場合は一つしかないけど、選んで、その『スキル』の名前に触れる。あとは簡単な動作をすれば、習得完了だね」
なるほど。確かに簡単だな。それならいっちょ、習得してみますか。
「ポチッとな」
手鏡に浮かび上がっていた《物書き》の文字をタッチパネルの要領で押してみると、文字が消えていき、今度は別の文字が浮かび上がった。「紙に任意の文字を書く」と書いてある。
「簡単な動作、ってのはこれか。ほい、ほい、ほいっと」
指示通りメモ用紙に簡単な文を書くと、手鏡に「習得完了」の文字が浮かび上がると同時に、俺の体を一瞬青白い光が包み込み、それからまた何事もなかったかのように消えていった。
「ふむふむ。これで晴れて、俺も《物書き》の『スキル』を習得したわけだ」
特に体に変化は無いようだったが、手鏡を見てみるとまたぞろ表示が変わっていた。
マシバ・ケント 《物書き》
〈基本技能〉
【速読】、【速筆】、【製本の心得】
〈特殊技能〉
【念写】
基本技能? 念写? …………ははーん、読めたぞ?
俺は目の前のメモ用紙に、再び文字を書いてみた。
「――うおっ、速っ!」
先ほどまでとは、書くスピードが段違いに速い。十秒ほど経った頃には、メモ用紙一枚がびっしりと文字で埋まっていた。まるで魔法のようだ。
やっぱりそうだ。この〈基本技能〉だの何だのと書かれているのは、俺の《物書き》としての、言わばステータス画面だ。文字を書くスピードが格段に上がったのは、おそらくこの【速筆】という項目が関係しているのだろう。
「おお、ちゃんと習得できたみたいだね?」
「見ての通りだ。しっかし便利だな、この『スキル』っていうのは。習得前と後じゃ、作業効率が全然違う。最初から習得しておけば良かったよ」
「そりゃそうだよ。っていうか、普通は皆『スキル』を習得してから作業をするんだけどね」
おお、なんということだ。村での生活ぶりなどを見るに、文明レベルは地球でいうところのせいぜい中世ぐらいだと当たりを付けていたのだが、まさかこんな素晴らしいシステムがあるとは。
〈アイベル大陸〉め、やればできるじゃあないか。こういうので良いんだよ、こういうので。
ククク、と変な笑い声を上げながら俺が内心そんな上から目線なことをほざいていると、
「にしても、《物書き》なんて『スキル』は初めて見たよ。ちょっと見せてくれる?」
ジャックが横から手を伸ばし、俺のステータスが表示された手鏡を手に取る。
「【速読】に【速筆】ねぇ。なんだかぱっとしない技能ばかりだけど、キミにとっては便利なのかもね。そして〈特殊技能〉は……【念写】? これはどういう技能なのかな?」
たしかに俺もその点は疑問だったのだが、今さっきの魔法のような「スキル」の恩恵を目の当たりにして、ちょっと思いついたことがあった。早速、実行してみよう。
赤本から新しくページを抜き取り、机の上に置いたそれに手を乗せて、大きく深呼吸する。
「シバケン? 何してるのさ?」
「試したいことがあるんだよ。まぁ見てな……ムムムムムム」
俺は全神経を脳に集中させ、記憶の引き出しを必死に漁る。俺の推察が正しければ、これで上手くいく筈だ。瞳を閉じ、更に意識を集中させていく。
さぁ、思い出せ! 真柴健人! あれは、あの文章は確か――――
途端に、先ほどと同様の青白い光が、今度は俺の頭を覆う。光はやがて腕を伝い、手のひらを伝い、最後には手を置いていた紙に移り、一際強く光ってから掻き消えた。
「…………よし、どうやら成功みたいだな」
ゆっくりと目を開けて、俺は紙に視線を向ける。
ペンを使っていないにも関わらず、紙面にはちゃんとした文章が記されていた。
「わっ、凄い! 手を置いてただけなのに、紙に何か文字が浮かび上がったよ?」
「それが、この【念写】の技能なんだろう。多分、頭に思い浮かべた文章、それも前に見たことのあるものだったらこんな風に即座に再現できるんだろう。さしずめ『人力コピー&ペースト』ってところだな」
得意げにそういってやると、さすがにジャックも少し興味を引かれた様子だった。
「へぇ、それはちょっと便利そうだね。えー、なになに? 『俺は半ば強引にベッドのそばまで行き、嫌がるアリシアを無理矢理×××。薄暗い部屋の中に、悲鳴とも、あるいは喘ぎ声ともとれるようなアリシアの声が響き、それがことさらに俺をたかぶらせた。××もじれったいとばかりに、俺はそそり立つ自らの××をアリシアの×に…………』――って、何じゃこりゃあ!」
【念写】によって書き起こされた文章を読んでいたジャックが突如、顔を真っ赤にしながら叫ぶと同時にメモ用紙を机に叩きつけた。尻尾の毛がゾワゾワッと逆立っている。
「おお、すげぇ。ちゃんとこっちの文字に変換されてる」
「何も凄くないよ! 馬鹿、エッチ! 変態放浪作家! ボクになんてもの読ませるのさ! そんな、へ、へ、変な文章を読ませるなんて! 一体何を考えてるのかなぁ!」
「変な文章とは失敬な。エロゲのシナリオも立派な文学作品だぞ。……ちっ、しかし惜しいな。やはりコピペできるのは文字だけか。これでせめてイラストや挿絵なんかも一緒に【念写】できれば…………くそっ、俺に絵師の『スキル』が無いことが悔やまれる!」
「最低! 馬鹿! もう知らない! まったく、本当にこの変態作家は…………」
少しも悪びれる様子のない俺に愛想を尽かしたのか、ジャックはぶっきらぼうに「もう寝る!」と告げ、さっさとベッドに潜り込んでしまった。
当然というか何というか、枕元にしっかりと短刀を忍ばせて。
「はは……ちょっとふざけ過ぎたらしいな」
ジャックの話じゃ、明日は昼前には村を出発するらしい。あまり夜更かしもしてられない。
机に広げていた紙とペンを片付け、もう一度手鏡のステータスを確認してから、俺もいそいそと自分のベッドに向かった。




