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第48ページ

「…………ケン……シバ……ンッ! シバケンッ!」


 誰かが俺を呼ぶ声で意識が覚醒する。どうやらいつの間にか眠ってしまったようだ。


「シバケン、起きた? もう、いつまで寝てるのさ! もうとっくに朝だよ、朝!」


 ベッドから上半身を起こし、まだはっきりしない頭で周囲を見回してみる。既に顔を出した太陽の光が窓から差し込む、ベッドと机があるだけの簡素な内装。宿屋の自室だった。


 机の上を見ると、書きかけの紀行文が一冊、夕べ置いたままの状態で開いていた。そしてその隣には、まだ傷も色褪せもない、新品の本がもう一冊。


「……うん、夢じゃあなかったみたいだな」

「な~に寝ぼけてるのさ。ほら、早く起きて顔洗ってきなよ。皆はもう準備できてるってさ。まったく、『明日も朝早いよ』って、夕べ言ったじゃないか」


 ベッドの横にはジャックが立っていて、横たわっている俺をしきりに揺り動かしてくる。いつもの旅装束ではなく、ここ数日と同じく、普通の女の子らしい服装だ。


 ふむ、可愛い獣耳の少女に起こされる…………たまらん!


「よし、ジャック。お前には『幼馴染』属性を付与してやろう。誇るといい」

「何を言ってるのかさっぱりだけど、またいつもみたくアホなこと言ってるのはわかるよ。そんなことより、どうせまた遅くまで本を書いてたんだろ? いつもは野宿なんだから、街にいる間くらいちゃんと寝た方がいいよ、シバケン」


 言いながら、ジャックが机の上の紀行文に視線を向け、おもむろにそれを手に取った。パラパラとページをめくり、あと数枚しかない白紙の部分を指で数えて、それからどこか寂しそうに呟く。


「……そっか。もうそろそろ、書き終わるんだね。紀行文」

「ああ、そうだな」


 ジャックの本を持つ手に、心なしか力が入った様に見えた。それからしばらくの間、黙って何も書かれていないページを見つめるジャックの尻尾が、段々と力なく下がっていってしまう。


「それは……何か寂しがっている時の尻尾だな」

「ふぇっ!?」


 突然の俺のセリフにジャックが慌てて本を閉じて、取り繕うように尻尾をピンと立てて見せる。顔の方に目線を上げると、明らかに目が泳いでいる上に、耳が片方だけ垂れていた。


「な、なな、何を言ってるのカナ? ぼ、ボクは全然、そんなことは……」

「そんでその耳は、お前が何かを誤魔化す時の癖だ」

「ひぇっ!?」


 素っ頓狂な声を上げて耳を抑えるジャック。

 本当にこいつはわかり易い奴だな。


「う~……なんだかボクの全部をシバケンに見透かされてる気がするなぁ……」

「バ~カ。当たり前だろ。だって俺とお前は」


 だって、俺とお前は。


「お前は、俺の一番の相棒だからな。今までも――これからも」


 弾かれた様に、ジャックが顔を上げる。耳も尻尾も、こいつがいつも驚いた時にそうするように、ピンと立っている。


「こ、これからも……って、ど、どういうこと? だ、だってシバケンは……」

「そうそう、そのことなんだけどさ……俺、この本を書き終わっても、もう少し旅を続けることにしたよ」

「え?」


 うわ、わかりやすっ! めっちゃ尻尾揺れ始めた。壊れたメトロノームみたいだな。


「…………ほ、本当? 本当に……まだ一緒に、旅ができるの?」


 心配そうに、何度も何度も尋ねて来るもんだから、「そんなに嬉しいのかよ」と何だかこっちまで照れ臭くなってきた。こいつと違って、俺はそんな素振り見せたりはしないけど。


 俺はベッドから起き上がって、机の上にある二冊目の本を開き、まだ何も書かれていないページをジャックの眼前に突き付けた。


「その証拠に、ほれ。紀行文の二冊目も手に入れてきた」

「あ、本当だ……で、でも『手に入れてきた』って、いつ、どこで? シバケン、昨日の夜に部屋に帰ったあと、どこか行ったの?」

「え? ああ、うん、ちょっと俺が個人的に持っている流通ルートへ、な」


 俺はそそくさと新品の本をナップザックにしまった。

 まぁ、「世界と世界の狭間に行ってきました」なんて、言っても仕方ないしな。


 しばらくは不思議そうに目をぱちくりさせていたジャックだったが、やがてその顔を嬉しさに綻ばせると、ようやくいつもの、底抜けに明るいいつもの彼女に戻った。


「でも……うん、そっか! なら、ボクたちの相棒関係も、もうしばらく続くんだね?」

「ま、そういうことになるな」

「オッケー、シバケン! だったらなおのこと、次の旅に向けての路銀を稼がなくっちゃね! ほら、そうと決まったらいつまでも部屋着でいないで、さっさといつもの黒いぱーかー? に着替えなよ。ちゃんと顔も洗ってね。ボク、先に行って皆と待ってるからね!」


 矢継ぎ早にそう言うと、ジャックは部屋のドアに向かって歩き出した。


「なぁ」


 部屋を出ようとするジャックの背中に、俺は一言、声を掛ける。


「ん? どうしたの?」


 ジャックの穏やかな笑顔に、俺は悪戯っぽい笑みで返して。


「改めて、これからよろしくな――――ジャクリーン!」

「そ、その名前で呼ぶなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


※   ※   ※


「やっと来ましたか。もうそのまま永眠してしまったのかと思ったのです。あ、それはいつもでしたね。すみません、これは完全にリアの落ち度でした。本当に申し訳ありません」

「これほどムカつく謝り方は、俺は初めてだよ……」


 宿屋の入り口には既に馬車が横付けしてあり、荷物も万端積み込んで、あとは俺たちが乗り込むのみとなっていた。どうやら、俺は結構な寝坊をしてしまったらしい。


「悪いな、ちょっと夜更かしし過ぎちまった」

「まぁ……シバケンさん。本を書くのは良いですけれど、あまり無理してはいけませんよ?」

「ありがとうな、ラヴラ。そんな優しい言葉をかけてくれるのはお前だけだよ、チラリ」

「な、何ですかその反抗的な目は」

「別に? 特に意味はありませんよ、リア先生」

「ははは、そう言ってやるな、シバケン。口ではこんなことを言っているが、リアは今度シバケンの目の疲れを癒す為の新薬を作ろうと一生懸命に鼻がっ! 鼻に刺激臭がぁ!」

「今日一日、兄さんの鼻に休暇をあげるのです。感謝して下さいね」


 御者席で鼻を押さえてもんどりうつシビルの背後で、リアが鬼の形相を浮かべていた。

 こいつ、もう薬師じゃなくマッドサイエンティストを名乗った方がいいんじゃないか?


「ほ~ら! 二人とも馬鹿やってないで、早く出発するよ! 今は街のあちこちがお祭り騒ぎなんだから、このチャンスにバンバン稼がなきゃ!」


 パンパンと手を叩く我らがジャック・ラッセル商隊長の掛け声に、俺たちはもはや慣れた手付きで準備を整えると、全員が馬車に乗り込んだ。


「それじゃ、出発!」


 馬車がゆっくりと動き出し、賑わい始めた朝のレークランドの街へと進んでいった。


 ジャックの掲げる本日のノルマは、五人旅一か月分の路銀。なんでもこのレークランドから次の目的地までのルートには、一番短くても十日はかかるほどの距離ごとにしか、村や街が存在しないらしい。


 聞くだに過酷な旅路になりそうで早くも帰りたくなってきたが、過酷な旅ということは、それだけ話のネタにも困らないということだろう。何が来ようと起きようと、せいぜい俺の小説の血肉としてやろうじゃないか。ハングリー精神ならぬ、ワナビ精神だ。


 俺はブックホルスターから一冊目の紀行文を取り出し、あと数ページ残っている白紙を開きながら、さて今日はどんなことを書こうかと思いを巡らせた。


「そういえばさ、シバケン。その本って、タイトルが書かれてないよね?」


 隣から俺の手元を覗き込んで来たジャックが、思い出したようにそう言った。

 たしかに本の表紙には、タイトルがあるべき場所は金色の装飾で囲まれているだけで、特に何も書かれてはいない。空白だった。


「そうだな。たしかに書かれてない」

「シバケンは、何かタイトルは考えてるの?」

「ふ~む、そうだな。紀行文だから『なんとか旅行記』とか『なんとか手記』とか、あとは『なんとか周遊記』とかかな」


 考えたこともなかったが、いざこうしてタイトルを付けるとなるとなかなか良いアイディアが出て来ないものだ。俺、小説でもタイトルとか小題とか付けるの、苦手なんだよなぁ。


「だめだ、思いつかないや。お前は何か、アイディアとかあるか?」


 どうしても思いつかないので、俺は戯れにジャックに知恵を借りてみることにした。


「え? ボク? う~ん、そうだなぁ……シバケンが、〈アイベル大陸〉中を歩き回って書いた本だろ? だから…………」


 しばらくの間、腕組みをして頭を捻りうんうんと唸っていたジャックだったが、やがてハタと閃いたように手を叩き、満面の笑みで人差し指をピンと立てた。



「そうだ、シバケン! それならさ――――」


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