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俺の言葉に、訝しげな表情を浮かべながらもおずおずとショコロの実を口にした王室席の人たちが、次には驚きに目を丸くしていった。
「な、なんて美味な果実なんだ。そして……そして彼の言う通り、甘い!」
「本当に甘いですわ! バーナード氏のお話では、とても辛い味ということでしたが……」
王室席の人たちは口々に批評を述べながら、セントに疑惑の眼差しを向け始めた。
明らかに雰囲気が変わった王室席に、俺たちを囲んでいた騎士たちもその動きを止め、セントに至っては面白いくらいに顔を真っ青にしていた。
「セント・バーナード氏。これはどういうことか、説明を願えますか?」
護衛の一人からの淡々とした質問に、セントはビクッと肩を震わせて、それでも苦し紛れに言い訳をし始めた。
「そ、それは……そ、そう! 私が現地で食べたのは、まだ熟していない実だったのです! ショコロの実は、熟していくにつれて甘くなっていく果物なのですよ!」
大嘘だ。
ウィペット村でショコロの実について尋ね回った時、村人たちは皆、「熟す前から相当甘いから、収穫時期は結構長い」と言っていた。
崖っぷちに立たされたセントの悪あがきに、半信半疑ながらも王室席の人たちは一応は納得したような顔を浮かべるが、まだまだこんなもんじゃ終わらせない。
この盗作野郎の化けの皮を剥がす為のカードは、まだあるんだ。
「それだけじゃないぞ。その紀行文には、たしか『スパニエル糸』っていうスパニエル特産の糸についても書かれてる筈だ。そこの部分をほら、ちょっと読んでみせてくれよ」
「な、何をっ……」
「あれれ~? おかしいぞ~? まさか、自分が書いた紀行文の内容を読めないのかな?」
「……シバケン君、すみません。その喋り方凄く気持ち悪いので二度としないで下さい」
「やかましい。これも作戦の内だ。っと、ほら、早く読めよ。レークランド一の学者さん」
問い詰める様な俺の言葉に、見物人たちも王室関係者たちも、今一度セントを注視する。特に見物人たちの視線は厳しいものだった。当然だ、今まで自分たちにさんざっぱら辛酸をなめさせてきた男が、あろうことか八百長をしていたかもしれないのだから。
セントの行動に怪しい所がないか、もはや彼らが見逃すことはないだろう。
「ぐっ……す、スパニエル糸は、中継都市スパニエルの特産品の糸でありまして……あ~、その、水に濡れるとはっきりと色が変わるという、特異なせ、性質があり……た、例えば元々白い糸は水に濡らすと赤色に、青い糸は黄色に……」
あえてこいつの感心するところを挙げるとするならば、それはその無駄に高い演技力だったのだが、それももはや見る影もなく、今のセントは書いてあることをただ口に出しているだけだ。
「よし、ラヴラ。出してくれ」
「は、はい! わかりました」
先ほどとは別人のようになってしまったセントに再び疑惑の眼差しが集中する。それを待って、俺はラヴラに合図を出してから二枚目のカードを切った。
「その通り。それじゃあ、質問だ。元々黒い糸だった場合は、どんな色になるんだ?」
俺のキラーパスに、よせばいいのにセントが無謀な賭けに打って出た。
「し……白だ! それはもう、美しい純白に変わるんだ!」
セントが答えると同時、取り出した黒いスパニエル糸で編んだ布に、ラヴラが水筒に入っていた水をゆっくりとかけていく。
「そうかい……あれが純白に見えるなら、お前は目の病気を疑った方がいいな」
セントを含め会場にいた全員が見つめる先で、ラヴラの掲げる黒い布が、風にはためきながらゆっくりと、美しい虹色の布に変わっていった。
「なっ! 虹色になったぞ!」
「なにが美しい純白だ! 全然違うじゃないか!」
今度こそ会場中が騒然となる中、顔を真っ青を通り越して蒼白にさせているセントに向かって、リアがツカツカと歩み出た。
「おい、リア? 何してるんだ?」
「何って、今からこの下衆に止めを刺そうとしているのです」
「いや……でも、多分これもう決着ついただろ? そういうのは『止め』って言わない、『死体蹴り』って言うんだ」
「上等なのです。昨日のこの男の振る舞いを考えたら、これでもぬるいくらいなのです」
うわぁ……やっぱりこいつを怒らせるとロクなことにはならんな。
「ん? でもお前、あいつに直接は何もされてないだろ? 何をそんなに怒って痛い!」
「…………やかましいのです」
理不尽な回し蹴りに襲われて脇腹を抑える俺を尻目に、リアは一枚の石板を取り出した。
「さぁ、インチキ学者。シバケン君が書いたその紀行文には、古代ポメラニア文明についての記述もある筈なのです。もしあなたが、本当に現地に行って古代文字を解読したというのなら、この石板に書かれている『古代ポメラニアの祭祀』についても、わかる筈です」
もう何も答える気力すら残っていなさそうなセントは、それでもどうにか執念で石板に目を向けると、歯を食いしばりながら言葉を漏らした。
「あ、ああ……その石板には、たしかに古代ポメラニアの祭祀についてが刻まれて…………」
「そうですか。これは今さっきリアが適当に書いた落書き文字なのですが、偶然にも古代ポメラニアの祭祀についての記述になっていたとは、自分の器用さが恐ろしいのです」
そんなセントに一片の情け容赦なく、リアは石板に書かれた文字を濡れた布でゴシゴシと拭っていく。石板に刻まれている筈の文字が、無情にもその姿を消していった。
会場に沸き起こる、大ブーイングの嵐。セントに向かってあちこちから罵声が飛び、しまいには物を投げつける見物人さえいる。王室の方々でさえも、軽蔑の眼差しを向けていた。
「あ……ち、違うっ……こ、これは何かの陰謀だ! 私を陥れる為の陰謀なんだぁ!」
四面楚歌の状態に陥ったセントは、髪を振り乱してやけくそ気味にそう喚き散らすと、
「…………許さん、許さんぞ、この下等種族どもめ! おい、お前たち! あいつらを叩きのめせ! この私をここまでコケにしたことを後悔させてやるのだ!」
額に青筋を立てて半狂乱になりながら、控えていた部下たちをけしかけてきた。
命令通りに疾走してきた奴の部下数人が、まずは一番手前にいたリアを標的にする。
「……ッ!」
「リア!」
「リアちゃん!」
強面の男が数人がかりで武器を片手に迫って来るという恐ろしい光景に、さすがのリアも石板を持ったまま足が竦んでしまったようで動けない。
だが、俺とジャックが叫ぶと同時、
「ぐはぁ!?」
「ゲフッ!」
リアの下まであと数歩の所で、部下の男たちはすかさず立ちはだかったシビルの拳とラヴラの盾に吹っ飛ばされた。そのまま綺麗な弧を描き、セントの前に落下する。
「やけになって実力行使か、まるで子どもだな。だったら俺たちが相手をしよう。勝負だ」
「皆さんには……私の大切な仲間たちには、指一本たりとも触れさせません!」
か、かっけぇ~! シビルさんもラブラさんもマジかっけぇ~!
さすがはウチのメイン戦闘員、今にも二人の背景に「ドンッ!」という文字が浮かび上がってきそうだ。
「ぐ、ぐぬぬ……!」
その後もシビルたちに次々と部下を倒されていき、血が流れるほど唇を噛むセントだったが、最後に昨日酒場にもいた大柄な護衛が倒されると、ドサッと尻餅をついてしまった。
情けなく地面にへたり込みながらこちらを見上げて来るセントの下へ、俺はツカツカと歩み寄ると、奴がこの期に及んでも大事そうに抱えていた紀行文を掴み上げた。
「さてと、いくらでも量産できるとはいえ、やっぱりオリジナルは世界にこれ一冊だけだからな。返して貰うよ。それでどうだ? 腐った豆腐を食わされた気分はさ」
「腐った、トーフ……? な、何の話だっ……」
「知ったかぶりは痛い目を見る、って話だよ」
「!? ……ぐ、き、貴様ら、こんなことをしてただで済むと思うなよっ! 私には王室の後ろ盾があるのだ! 貴様ら根無し草の旅人なぞ、私の権力をもってすれば簡単に消す――」
「その王室の人たちが、今のお前のどうしようもない姿を見ている件について」
ちょいちょい、と俺はセントの背後に人差し指を向ける。
片眉を上げて後方を振り返るセントの前にいたのは、王室関係者の護衛の方々だった。
「――セント・バーナード氏。貴賓の皆さまがお呼びです。ご同行をお願いします」
彼らの、いっそ冷徹と言っても過言ではないくらい淡白な口調で言い渡された遠回しな破滅宣告に、とうとうセントは、がっくりと力なく項垂れた。
「やったね、シバケン! お疲れ様!」
護衛の人たちに引きずられるようにして連行されていくセントの背中を見送っていると、ジャックや皆が笑顔で駆け寄ってきた。
「本当だよ。はぁ、疲れた。セントの奴め、まったく実にいらんことしてくれたよな。お陰で着いたばかりだってのに、もうこの街を出たくなったよ」
「なに捻くれたこと言ってるのさ! 本は無事だし、シバケンの苦労がパーになることもなかったんだし、もっと喜びなよ!」
「やかましい。別に捻くれてなんかないやい」
「ふふっ。でも、本当に良かったですね、シバケンさん。本当の意味で、本を取り返すことができて。今までシバケンさんが一所懸命にこの本を書いていたのはずっと見てきたので、何と言えばいいか……そう、まるで我が子が帰って来てくれたように、私も嬉しいです」
「お、おう。そう思ってくれるのは、俺も凄く嬉しいよ。ありがとな」
でもその言い方だと何やら良からぬ妄想が膨らんできてちょっと、いや非常に股間によろしくないので、できれば止めて貰えると俺が助かるかな、社会的に。
「まぁ、そもそもシバケン君がお間抜けにも本を取られなければ、こんな苦労はしなかったのでしょうが…………はっ。まさか、普段ぞんざいに扱われているからと、リアたちに構って欲しくてわざと……? な、なんて歪んだ性根をしているのでしょうかこの男」
「そんなわけないよね? そんなしょ~もない理由で大事な紀行文を危険に晒すわけないよね!? お前の中の俺はどんだけの畜生なんだよ!」
「この世の全てのゴミ屑を集めて煮込んだものから不純物を取り出した不純物、くらいの畜生なのです」
「どこまでいっても不純物じゃねーか……」
「まぁまぁ、リア。お前もそう捻くれたことを言ってないで、素直にシバケンの本が無事だったことを喜んでやれ。お前だって、昨日の夜はあんなに心配して涙まで目が! 目がぁ!」
「兄さん、それ以上喋ったら次は本当にシャレにならない目薬をさすのです…………馬鹿」
「ほらほら、お前ら。いつまでもここで駄弁っていても邪魔になるから、早く帰るぞ」
笑い合ったり手を叩き合ったり、毒舌を吐いたりヤバい目薬の餌食になったりしながら思い思いに安堵の表情を浮かべている仲間たちに声を掛ける。
「はい、撤収」
「お~」という皆の掛け声を背中に受けつつ、俺はいまだ興奮冷めやらないといった雰囲気の会場を横目に、ツカツカと壇上を後にした。




