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「それで、お前らはこれからどうするんだ?」
目の前の皿にのった、チーズのようなものが練り込まれたパンを掴みながら、俺は対面に座る狼兄妹に尋ねる。
明くる朝、場所はラサ・アプソ村唯一の酒場。数週間ぶりの開店ということで、大勢の村人がおしかけた所為で賑やかな酒場の一角で、俺たちは今後のことについて話していた。
「ふむ。流行り病の脅威は去ったし、もうこの村に留まる理由もなくなったからな。またあちこちを巡って薬を作ったり売ったり、旅の薬師をやるつもりだ」
「しばらくここにいたので、リアも自分の新薬の研究が進んでいないのです。早く旅を再開して、まだ見ぬ材料や調合法を探します」
シビルとリアの答えに、すかさずジャックが手を挙げた。
「はいはい! それならさ、二人もボクたちと一緒に旅をしない? 二人が加わってくれれば、きっともっと楽しい旅になるような気がするんだ」
案の定、ジャックは二人を勧誘し始める。
隣に座っていたラヴラも嬉しそうに手を合わせていた。
「まぁ、素敵ですね? お二人さえよければ、私も大歓迎ですよ。それに薬師さんがいてくれれば、心強いですしね」
その後も何やかんやと理由をつけて、二人を引き入れようとするジャックたち。色々それらしいことを言ってはいるが、彼女らの狙いは明白だ。ズバリ、折角仲良くなれたリアと別れたくないのだろう。先ほどから「二人」と言いつつ、その目はリアに向きがちだった。
シビル…………俺はお前の味方だからな?
「と、言っていますが?」
ジャックに迫られたリアが、困ったような顔でシビルを見上げた。
「俺は、リアが決めたことならどちらでも構わん。まぁ、断る理由も特にないとは思うがな」
「そんなことはないのです。もっと慎重に決めなければいけませんよ、兄さん。なにしろ向こうには約一匹、既にこの世から存在を抹消されたのに動いている珍獣がいるのですから」
それってもしかしなくても俺のことですかね?
相変わらず、感心するほどサラッと毒を吐く奴だな。
「…………まぁ」
ひとしきり俺たち一行に加わった時の懸念点(主に俺)を列挙したリアは、けれどやがて短くそう言うと、やぶさかではないといった感じで頬を掻いた。
「とはいえ、リアもちょうど今、偶然、たまたま、奇遇にも、そろそろ実験動物の一匹くらい欲しいと思っていたところなのです。で、ですから…………」
多分、今までで一番年相応な女の子らしい表情を見せたリアが、照れ隠しのようにそっぽを向きながら呟いた。
「……一緒に行っても、いいの、です」
苦笑しながら、シビルも頷く。
「決まりだな。そういうわけだ、お言葉に甘えて、妹共々よろしく頼む」
「本当!? やった! それじゃあよろしくね、リアちゃん、シビル!」
「お二人とも、改めてよろしくお願いしますね」
やれやれ、また賑やかになりそうだな。
はしゃぐジャックたちを横目にそんなことを考えていると、ふとリアと目が合う。
何も言わないのも変なので、俺もジャックたちにならうことにした。
「ま、これも何かの縁ってやつだろ。よろしくな、リア先生」
「ええ。よろしくなのです、助手のシバケ…………間違えました、魚の死体君」
お~い、間違ってないぞ~。もっと自分に自信持て~。
苦々しい笑みで見返すと、リアは再びつんとそっぽを向いてしまった。
……その口許を、ほんの少しだけ緩めながら。
「さて、話はまとまったな。であれば……さぁ、どうか思う存分食べて飲んでくれ! ささやかではあるが手土産も兼ねて、手伝ってくれたお礼をしようではないか」
シビルの太っ腹な気遣いをありがたく頂戴することにして、俺たちはすっかり元気になった村人たちとともに、心ゆくまで食べて飲んで騒ぎ続けた。
※ ※ ※
〈バーニーズ山脈を超えて、北側に広がっていたカバリア大草原の、今はちょうど中間辺りまできただろうか。山脈の麓で出会った遊牧民たちが言うには、ここから先は筆者たちとは進む方向が違うとのことだった。彼らとの移動生活もどうやらここまでのようだ。ほんの数日のことだったが、共に遊牧生活を送った旅人には礼を尽くすというのが彼らのならわしだそうで、今晩は筆者ら一行の為に盛大に宴を開いてくれるらしい。広大な草原の民らしく、何者でも受け入れるその懐の広さには、筆者もただただ感動するばかりだった。
遮るものは何もない見渡す限りの大草原。ふと顔を見上げれば、どんな宝石をどれだけあしらわれた高級ドレスよりも美しい、無数の星が散りばめられた自然の天幕を独り占めだ。
旅を始めた時から、カメラを持ってきていないことをずっと後悔していたのだが、いま目の前に広がるこの満天の星空は、しっかりと筆者の目に焼き付いたことだろう…………。
【ラサ・アプソ村】
バーニーズ山脈のカバリア大草原側の中腹部に位置する、人口百人弱の小さな山村。一年の内にほとんど毎日のように降雪があり常に雪に覆われているため、村民の服装や家屋の造りにも雪国独特の特徴がある。特に家屋の屋根には降雪に耐える為の工夫として、バーニーズ山脈各地に群生している「エドモサ」や「サルーキ」といった、節目がよく通り耐水性にも優れた木材を使った独自の建築技術が組み込まれていた。
村の生活は基本的には自給自足で、地形的な要因もありあまり外部との交流はなされていないようだが、バーニーズ山脈を超える旅人や、ラサ・アプソ村周辺に点在する古代ポメラニア文明時代の遺跡を調査する学者などが時折村に立ち寄ることもあることから、少ないながらも一応宿屋や酒場といった村外から来る人たち向けの施設もある。
筆者らもレークランドを目指してバーニーズ山脈を超える際、数日間この村に滞在させてもらった。村民たちは皆よそ者の筆者らにも温かく接してくれて、村で作られているチーズにも似た固形乳製品を使った郷土料理も素晴らしく美味であり、厳しい環境ながらもとても居心地の良い村だった。
唯一苦労した点を挙げるとするならば、村民たちとのコミュニケーションである。山村という性質上やはりそれなりに閉鎖性が強いようで、それゆえ村ではアイベル公用語と土着の言語が混ざったような非常になまりのひどい言葉が使われている。その上、口を長く開けていると冷気で肺を痛めてしまうからか、村民たちはなるべく言葉を短縮する癖がある。結果、聞き取り辛い上に短すぎる言葉を情け容赦なく使用してくる村民たちとの会話は、わかりにくいというレベルではなくもはや聴取不可能な域であった。
村外から来る者たちと多く話す機会がある為、ある程度はしっかりとした公用語を扱えるラサ・アプソ村長夫妻の存在は、名実共にこの村の支柱になっていると言えよう――――
【古代ポメラニア文明】
アイベル大陸の、特に現在のペンブローク王国地域を中心として栄えたと言われている古代文明である。ペンブローク王国各地で古代ポメラニア文明時代のものと思われる遺跡が発見されており、またそれらの遺跡が地層年代的にかなり離れた二地点から見つかった例もいくつか報告されている為、ペンブローク王国を中心としたかなり広い範囲を、比較的長い期間に渡って支配していた一大帝国だったとする説が有力のようだ。
筆者もバーニーズ山脈の麓にある古代ポメラニアの洞窟遺跡に描かれていた壁画文字の調査、解読を試みたのだが、継続的かつ広域的な調査を行えなかったこともあり、残念ながら読み取った文言の内容を全て解き明かすまでには至らなかった。しかし、古代ポメラニア文明時代の古文書の中で、古代ポメラニア人に主神と崇められているらしき神の名前が七十柱以上は確認でき、それぞれの信仰形態や祭祀の執り行い方にも一貫性が無い印象を受けた。
あくまでも仮説に過ぎないが、古代ポメラニア文明というのは一つの大帝国などではなく、ひょっとしたら数多の中小文明を内包した、連合国家だったのかも知れない――――
………早いもので、この紀行文も気付けば八割ほどが埋まっていた。私が〈アイベル大陸〉を旅する際に身に着けた例の「スキル」のお陰か、当初想定していたよりも早く本書を完成させることができそうだ。地図によればあと数日でいよいよ当面の目的地であったレークランドに辿り着くらしいので、おそらくはそこが今回の筆者の旅の終点になるだろう。
最後の街では、どんな旅が筆者を待っているのだろうか…………。
大陸歴五〇××年 オデムの月 十八日〉




