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第3ページ

「これは?」


「見ての通り、本よ」


「知ってるわ。何の本なのか訊いてるんだよ」


 ミネルヴァから手渡された二冊の本を掲げ、俺は尋ねた。

 一冊は緑色の表紙に金色の装飾が施されたもの。もう一冊は赤い無地の表紙で、小口の真ん中辺りに留め金のあるもの。


 緑の本の背表紙に書いてある金色の文字は初めて見る文字だったが、さっきミネルヴァが施した「言語の波長合わせ」とやらのお陰か難なく読めた。【ハザマ文庫】と書かれているようだ。


「その緑の本に、あなたがこれからの旅で見聞きしたことを書いていって頂戴ね」

「書いていって頂戴ね、って……結構な厚さだぜ? 人差し指の半分くらいはあるぞ?」


 表紙に手を掛けて、ざっとページを捲ってみる。文字が書いてあるページは一ページもない。

 これ、全部埋めるのにどれくらい掛かるんだろうか? 早くも先が思いやられるな。


「それじゃ、こっちの赤い本は?」

「そっちの本は少し特殊でね。いくらページを埋めても破ってもページが尽きることはない、っていう便利な本よ。使い方は色々あるけれど……まぁ、そっちはおいおい使いこなしていけばいいわ」


へぇ、それは確かに便利そうだ。さすがは異世界、こんな魔法みたいな本もあるなんてな。

そういうことならありがたく…………差し当たっては、メモ帳にでも使わせて貰うか。


「ああ、それからこれと、これも渡しておくわね。私からのささやかな餞別よ」


 ミネルヴァが、今度は何かが入っているらしいナップザックと、左右にブックホルスターが付いた革製の腰ベルトのようなものを手渡してきた。


 ナップザックを背負い、ホルスターを装着して左右それぞれに一冊ずつ本を装備してみる。サイズは、丁度ピッタリだった。


「うんうん! なかなか似合っているじゃない。くたびれたパーカーとそのクセっ毛も相まって、どこから見ても立派な放浪作家って感じね。そのクセっ毛も相まって」

「それ、二回言うほど大事なことじゃないからね? 好きでクセ毛なわけじゃないからね?」


 俺が溜息を吐くと、ミネルヴァが居住まいを正してコホンと咳払いをした。


「さて、これで旅の準備は整ったわね。まぁ、とはいえあんまり気を張らなくても大丈夫よ。諸々の違いはあるだろうけれど、少なくとも地球出身のあなたでも普通に生きていくのには不自由がない程度の世界ではある筈よ。そこは安心して頂戴」

「だといいけどなぁ」

「フフフ……それじゃあ真柴先生。あなたが無事、その紀行文を完成させられることを祈って、これから〈アイベル大陸〉へと送り出します。しばらくは地球にもここにも戻って来られないけれど……心の準備は、良いかしら?」

「さんざっぱら脅迫しといて今更だろ? それに考えてみれば、どうせ俺もしばらくは休暇みたいなモンだったしな。バイト代の出るちょっと長めの旅行、とでも思っておくさ」


 皮肉っぽい俺の答えを聞いて満足そうに頷くと、ミネルヴァが再び俺に手を向けた。


 さっきよりも強い光が、彼女の手から発せられる。


 いよいよ異世界転移ってわけか。正直不安だらけだが……ま、腹をくくるとしようかね。


「――さぁ、真柴健人! 世界を救う英雄でも、世界を統べる魔王でもない。世界を歩き、識り、そして記す一人の物書きとして、今、旅立つのです! …………なんてね?」


 高らかに言い放つミネルヴァの声に呼応するように、辺りが眩い光に包まれていった。


※   ※   ※


 モンゴルフィエ兄弟、という兄弟がいたそうだ。


 十八世紀の終わり頃、フランスはアヴィニョンに住んでいた兄ジョゼフが発案し、弟エティエンヌが行った数々の試行錯誤と公開実験の末に、兄弟は世界で初めて熱気球を発明したという。


 のみならず、彼らは同時に世界で初めての「有人飛行」を成し遂げた者として、その名前と莫大な恩恵を後世にまで残しているのだ。


 今日、俺達が飛行機だのヘリコプターだのを使って当たり前のように空を飛んでいられるのも、ひとえに彼らの天才的な閃きと血の滲むような努力があったからこそであろう。

 人類はこの素晴らしい兄弟に、心底感謝して空を飛んで然るべきだ。


 ……しかし。しかしである。


 所詮、人類は飛べはしない。

 あくまでも気球という、言わば外部ユニットがあったればこその飛行だ。


 だから当然、何の装備も無しにいきなり空中に放り出された人間がどうなるかは……、


「――うそでしょぉぉぉぉぉ!?」


 ……お察しだろう。


「あの自称編集長、とんでもない所をスタート地点にしやがった……!」


 準備万端整えて【ハザマ文庫】から飛ばされた俺は、次の瞬間には高度数十メートルはあろうかという空中に投げ出されていた。特別な超能力や特別な石などは身に着けていない俺は当然、そのまま落下する。ここは既に異世界なのだろうが、地球と同じく重力は存在するようだ。


 …………とか、冷静に分析してる場合じゃないな。どうすんだこれ? いきなり俺の人生と旅がここで終わっちまうぞ? 


 そんなことを考えている間にも、地面はどんどん近付いて来る。


 あとはもう異世界モノでよくある「地球の重力の何分の一の重力」みたいな設定があることに希望を託すぐらいしかないが、この落下速度じゃ、どうもそれも望み薄かも知れない。


 ああ、心なしか走馬灯っぽいものも見えてきた気がする。凄いな、これが噂の走馬灯か。何だか不思議な気分だ。


 ……でも、意外とどうでもいい思い出ばっかりなんだな。なんか残念。


「げふっ!?」


 目を瞑りながらそんな馬鹿なことを考えていると、突然背中に衝撃を感じた。

 

 いよいよ地面に叩きつけられたかとも思ったが、あまり痛みが無かったのと、やたら地面がガタガタ揺れていることに違和感を覚え、俺は固く瞑っていた目をおもむろに開けてみた。


「ここは……乗り物の上か?」


 まず目に入ってきたのは、物凄いスピードで右から左へと流れていく、背の高い雄大な木々の風景だった。


 次に自分の体に目を向けてみる。五、六人は乗れそうなほどの広さの木製の荷台の隅にある、柔らかい布袋の集まり。どうやら俺は、幸運にも移動中のこの乗り物に乗せられていた布袋に上手いこと落下したお陰で、どうにか九死に一生を得たようだ。


「…………あっぶな」


 と、ようやく事態を把握してそう呟くや否や、


「――え? ちょ、ちょっと! キミ誰!? いきなりどこから乗り込んで来たのさっ?」


 ひどく慌てた口調で、乗り物の進行方向、馬車でいう御者が座る所にいる人物から声が掛かった。


 弾かれたように顔を上げて、俺は声のする方に顔を向ける。


「…………おおっ、すげぇ」


 思わず感嘆の声を上げてしまった。


 荷馬車の御者を務めていたのは、ツナギのような服の上から茶色いローブを羽織り、肩までの空色の髪を風に揺らす――――


 ――――獣の耳をした人物だった。


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