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第32ページ

「〈狼人種〉のシビル・ハスキーだ。歳は十八。本来は薬草や薬などを各地で売り歩く旅商人をやっているのだが、今は訳あってこの辺りを拠点にしている。一つ、よろしく頼む」


 薬屋の狼青年、シビルが名乗るのに続いて、俺たちもそれぞれ自己紹介を済ませる。

 一通り挨拶が終わったところで、シビルがふと、擦り傷だらけのジャックに視線を止めた。


「おっと、これはいかんな。どれ、ちょっと見せてみろ」

「え? 足?」

 ジャックがスッと上げた足の擦り傷を眺めてから、シビルは背中の麻袋から何かの植物の葉に包まれた軟膏のようなものを取り出して、傷口にサッと塗っていく。すると、みるみる内にジャックの足の擦り傷が綺麗さっぱり消えていった。


「わっ、凄い! よく効くんだね、その薬」

「ああ、何しろ腕利きの《調合師》が調合した一級品だからな。当然だ」

「まぁ、さすがは旅の薬師さんですね」


 ジャックたちが感心する横で、俺もメモを取りながらまじまじと観察した。


 なるほど、優れたテクノロジーなんかは無い代わりに、この〈アイベル大陸〉では武具や料理、薬などの医療品は、それぞれの「スキル」の持ち主によって地球よりもはるかに高品質なものが生み出されているのだろう。段々と、〈アイベル大陸〉と地球の文化の違いがわかってきたような気がする。


「それで話は戻るが、お前たち、ラサ・アプソに行くつもりなら止めておいた方がいいぞ?」


 慣れた手付きでジャックの手当てを終えたシビルが、再度警告する。


「ええっと……ちなみに、どうしてなんでしょうか? 危険、と仰っていましたが?」


 ラヴラの疑問に、シビルが苦々しい顔を浮かべる。


「…………ラサ・アプソでは今、タチの悪い流行り病が広まっている。既に村人の半数以上が寝たきり状態でな。宿屋や酒場もほとんど休業中だ。立ち寄ったところで休息を取るどころか、お前たちまで病を貰ってしまう可能性もあるだろう」

「まぁ……それは、気の毒に……」

「そうだったんだ。う~ん、それじゃあたしかに村には寄れないよね」


 シビルの言葉にラヴラもジャックも俯いてしまう。俺もどうしたもんかと腕を組み考え込んでいた。そんな暗い雰囲気を払拭させようと、シビルが不意に声を明るくする。


「なに、案ずるな。それを何とかしようと今、俺と俺の相方の《調合師》で、村で特効薬の研究と診療を行っているのだ。流行り病を治す為の薬の調合になかなか苦戦しているが、俺たちできっと、すぐに村を救ってみせるさ」


 朗らかに笑ってみせるシビルに、ジャックもラヴラもいくらか気分が楽になったらしい。ホッとしたように胸に手を当てると、口々に応援の言葉を送っていた。


「しかし、それならどうするかな? レークランドに行くにはこの山脈を超えなきゃいけないけど、途中で村に寄れないとなると…………やっぱり山中で野宿か?」

「それについても案ずるな。舗装や整備など全くされていないが、馬車でも夜には山脈の向こう側まで行ける近道を知っている。俺でよければ、道案内をしてやるぞ?」

「マジでか? それは助かるな、是非お願いするよ」


 隣ではジャックたちもうんうんと頷き、シビルに道案内を頼むことに賛成のようだ。


「いいだろう。では、早速行くとしようか。出発だ」


 シビルの号令に従い、俺たちも手早く荷物をまとめて荷台に載せて、山道入り口に通じる横道へと馬車を進ませた。横道は、横幅は馬車がギリギリ通れるくらいだったが、高さはそれなりにあるようで、上を見上げれば光が差し込んで来る天井の割れ目が小さく見えた。


「それにしても、さすがに洞窟遺跡ってだけはあるな。あっちこっちに壁画だったり文字だったりが書いてあるぞ」


 天井からの光に照らし出された両側の壁には、明らかに人の手によるものと思しき亜人種や動物の絵が彫り込まれており、所々には何やら記号のような文字も刻まれている。


「この洞窟遺跡は、おそらくは古代ポメラニア文明時代のものだと言われているな。なんでも、既に『そうだ』と断定された王都近くの有名な遺跡と、内部構造や描かれている古代文字に共通点が多いそうだ」


 シビルのガイドを聞きながらメモを取る横では、ジャックも「へぇ~、そうなんだ~」と呑気に感心している。


「お前、仮にも『トレジャーハンター』名乗ってるなら、そのくらいのことは知っとけよな」

「い、いやぁ……ぶっちゃけボクは素材やお宝が見つかれば、それでいいんだよねぇ……」


 てへっ、と言って舌を出すジャック。こいつは絶対、博物館とか美術館とかに行ったら展示品そっちのけでかくれんぼとかやり始めるタイプだな。


「む? そうか、ジャックは何か武具の素材になりそうな物を探しているのだったな。なら、この先に小さいがテリア鉱石の鉱脈があるぞ。そのすぐ近くにもグービル草が自生している場所があったな。矢尻に塗る麻酔薬の材料には持ってこいだ」


 途端にジャックが耳と尻尾をビィンと立てた。


「本当!? やったぁ! そこっ、そこに行きたいっ! 案内してよっ!」

「お? わかった。山道への道すがら寄っていこう。採集だ」


 おいコラ、バカ犬。鼻息が荒すぎるぞ、シビルが若干引いてるじゃないか。


 興奮するジャックの耳を摘まんで大人しくさせてから、俺は改めて横道両側の壁画に目を向けた。ちょうど目線の高さの所に、古代文字で記された短文が流れてくる。


 ……ふむ、ちょっと試してみるか。


 俺はブックホルスターの赤本から新しくページを抜き取り、手綱を二本とも左腕に巻き付けて、空いた右手を膝の上に置いた紙にあてがう。


「シバケン? 何か、【念写】するの?」

「ああ。この古代文字がなんて書いてあるのか気になってな。紀行文のネタになるかもしれないし、ちょっと見てみようと思ってさ」


 さして興味なさそうに「ふーん」と鼻を鳴らすジャックの横で、シビルが眉をひそめた。


「……【念写】? シバケンは一体、何をするつもりなのだ?」

「ボクもよくわかっちゃいないけど、でも結構面白いよ? まぁ、見てなって」


 ジャックの曖昧な返答に更に怪訝な表情を浮かべつつも、シビルは俺の右手に興味深げな視線を注いできた。


「ほい、【念写】……っと」


 青白い光が俺の頭を包み、そのまま腕、手のひらと移動していって、最後には白紙のメモ用紙が光に包まれると、数秒もしない内に、紙に文字が映し出された。


「えっと……『主神ビアヌスが七日七晩に渡り作りたもうたデュルベッヘラーの地に、遠きドレイハウングの丘より我らついに帰還せり。かの地は喜びに満たされた――』…………」


 う~ん、何の事やらさっぱりだ。こんな時、ムチを武器にする学者の皮を被った異能生存体の人とかにかかれば簡単なのだろうが、俺はあくまでも物書きであり考古学者ではない。


「ダメだ。俺にはさっぱり意味がわから――」

「シバケン! お前、古代文字が解読できるのか!?」


 メモ用紙を折ってナップザックにしまおうとすると、今度はシビルが興奮気味に詰め寄って来た。突然のことに、ジャックもラヴラもきょとんとした顔でシビルを見やる。


「ちょ、ちょっと落ち着けって。たしかに読めはしたけど、解けはしないって。急にどうしたんだよ?」


 俺が言うと、シビルが「す、すまん」と一言謝ってから、再度俺に問い直した。


「……『デュルベッヘラー』というのは、たしかこのバーニーズ山脈の古い名だ。シバケン、お前、その【念写】とかいう技能で今、古代文字を公用語に翻訳したのか?」


 やけに真剣な雰囲気のシビルに、俺は緊張気味に頷いた。


 前に、ウィペット村の宿屋で俺がジャックの前でエロゲのシナリオを【念写】した時、原文が日本語である筈の文字が自動でアイベル公用語に変換されていた。


 さっきはそれを思い出し、同じ要領でやってみたのだ。


「そうか…………」


 俺の説明を一通り聞き終わったシビルは、しばらくの間腕組みをして何やら逡巡してから、大きな溜息とともに深々と頭を下げた。


「――すまない、皆。やはり俺と一緒に、ラサ・アプソまで来てくれないか?」


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