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怒涛の練習と調整の連続により、ここ数日は一日がとても短く感じられた。
その所為なのかは知らないが、気付けば早くも俺たちは『大演劇祭』四日目、つまりは本番当日の朝を迎えていた。いよいよ勝負の時だ。
午前の部が全て終了し、今は昼休みも半分を過ぎた時分。
ジャックと一緒に買い込んで来た屋台の食い物を控えのテントに運び、ラヴラをはじめ演者の皆に振る舞いながら、俺は最後のミーティングを行っていた。
「さて、いよいよ本番だ。皆、今日までよく過酷な練習に耐え抜いてくれた。皆ならきっと、この大一番を乗り切れると俺は信じている」
「うんうん! 皆凄く頑張ってたもん! きっと良い劇になるさ! 目一杯盛り上げて、騎士団や逃げた劇団の連中にも見せつけてやろうじゃないか!」
「はい! ここまで頑張ってくれた皆さんの為にも、『大演劇祭』を楽しみにしていらっしゃる王女様や観客の皆さんの為にも、何より私たちに一筋の希望の光を示して下さったシバケンさんの為にも、私、必ずやり遂げて見せます」
ジャックとラヴラが大きく頷くのに続いて、従者の面々も頼もしい笑顔を見せる。
「勿論ですとも! 必ず成功させましょう!」
「うぉぉぉッ! やってやる! やってやるっスよぉぉ!」
全員、気合は充分のようだ。肩を組み、杯を酌み交わす彼らの顔には、つい三日前、このテントで見せていたあの全てを諦めた様な暗さなど微塵もなかった。
観客席の方が、段々と騒がしくなっていく。ぼちぼち昼休みも終わりを告げ、午後の部が始まろうとしていた。
「さてと……そんじゃあ一丁、行ってみようか」
「応!」という掛け声とともに、俺たちは歓喜に沸く中央広場へと歩き出した。
※ ※ ※
舞台袖からチラリと客席を覗いてみれば、超満員も超満員、とてつもない数の人数が『大演劇祭』最終日を見物しようと押しかけていた。
一応覚悟はしていたとはいえ、こうして舞台側から見てみるとさすがの迫力だ。客席側から見るよりも、何十倍もの人数がいるように見えてしまう。
回れ右して皆の顔色を窺うと、やはり大半の者が緊張に体を強張らせているようだった。無理も無い。裏方の俺ですら多少身震いするほどだ。いわんや実際に劇を披露する彼らにかかるプレッシャーは相当のものなのだろう。
「あ、す、すす、凄い……人です、ね…………あ、あは、ははは…………」
隣ではラヴラも人一倍のメンタルの弱さを遺憾なく発揮し、右手に構えた愛用の銀槍を縋りつくように抱き締めて、若干顔を青ざめながら乾いた笑いを漏らしている。
おいおい、始まる前から既にクライマックスじゃねーか。大丈夫か?
俺は盛大に目を泳がせているラヴラに歩み寄り、震える肩を優しく叩いた。
「あんまり気を張ってると、舞台の上でもたないぞ? リラックスだ、リラックス」
「シバケンさん……私、やっぱり不安です。こんな大勢の前で、しかも私なんかが主役なんて……」
弱音を吐くラヴラを励ます様に、ジャックも親指をビシッと立てた。
「心配無いって! ラヴラの頑張りは、ボクたち皆がずっと見てきた。練習通りやれば、絶対上手くいくよ!」
「ジャックさん…………」
「それに、舞台の上ではボクたちだって付いてるんだ! ラヴラは一人じゃないよ!」
「私一人じゃ、ない……」
伏せていた顔を上げ、ラヴラが皆を見回した。
シェパードも、パピヨンも、パグも、皆一様に緊張に身を固くしているものの、自分たちが力を合わせれば大丈夫と、力強く頷き返す。
ラヴラの全身から、震えが消えていった。ゆっくりと目を瞑り、その端麗な顔に微かに笑みをたたえる。胸中に渦巻く不安は、どうやら和らいだみたいだ。
「そう……ですよね。私、一人じゃないんですよね」
「勿論だ。ジャックも、皆も、俺だっている。あの大観衆の前には、俺たち全員で立つんだ」
「そうですよね。演劇は、皆で作って、皆で披露するものですもんね!」
「おうともさ」
「私一人で気負うことは、ないんですよね!」
「ザッツライト」
「はい! 観客の皆さんが楽しみにしているのは、この演劇全体ですものね! 私一人なんかの細かい所作やセリフなんて、誰もいちいち見てはいませんものね!」
「なんで! なんでそう変な方向にばかり思い切りがいいんだお前は!」
主役なんだから思いっきり見られるわっ、と鋭く響いた俺のツッコミに、ジャックや従者の皆の穏やかな笑い声が被さる。図らずも、皆の緊張が解れていくようだった。
「――お集まりの紳士淑女の皆さま! 大変長らくお待たせ致しました! 只今より『大演劇祭』最終日、午後の部を始めさせて頂きます!」
司会進行役の男性が、拡声器(ジャック曰く、ある魔物の声帯を使った、音を増幅させる道具だという)を片手に壇上で挨拶を始めた。
湧き上がる歓声に、俺たちはいよいよ覚悟を決めて背筋を伸ばす。
「それでは午後の部一番手、『白銀の日暮れ』団の舞台です! 演目は【騎士モモタロスの冒険~ロード・オブ・ザ・オニガシマ~】! どうぞ最後までお楽しみ下さいませ!」
※ ※ ※
「〈……むかーしむかし、ある片田舎の村に、お爺さんとお婆さんが住んでおりました。ある日、お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行きました――〉」
開演を出迎える拍手が静まり、観客全員が舞台を注視する頃合いを見計らって、俺は台本を朗読し始めた。何度も練習はしたのだが、いざ本番となるとやはり勝手が違い、トチらないように必死に気を落ち着かせるので精一杯だ。
こんな緊張感を味わったのは、応募原稿が初めて一次通過した時以来だろうか。まったく心臓に悪いったらありゃしないが、ここで俺がつまらないミスをするわけにはいかない。
気張れ、俺!
その後も何とか大きなミスもなく朗読ができたことで余裕が生まれ、俺はチラリと観客席を盗み見る。一番舞台に近い位置にいる集団の何人かが、怪訝そうに腕を組んでいた。
たしかに、この最初の朗読はいかにも子供向けのおとぎ話の冒頭といった感じで、客のほとんどを占める大人の観衆には、いまいちウケがよくないのだろう。
会場全体に、期待していたほどのものではないのでは? という不信感が漂う。
だが、これはただの朗読じゃない。
――演劇なのだ。
「〈モモタロスと名付けられたその子どもは、お爺さんとお婆さんの愛情をたっぷりと注がれて、すくすくと成長していきました。そして、彼女が成人になった日の朝のこと――〉」
俺の語りと共に、場面転換の為に閉じられていたカーテンが開かれる。
瞬間、会場中を支配していた白けた空気が、物の見事に霧散していった。
ステージの中央。見惚れるほどの綺麗な金髪を風になびかせ、やや西の空に傾きかけた陽の光を受けて宝石のように輝く銀燐の右腕を、客席に向かって真っすぐに伸ばし、鈍色に光る銀槍を片手に颯爽と、そして厳かに佇む、美しい女騎士の姿がそこにはあった。
会場のあちらこちらから陶然とした溜息が漏れ、退屈に目を細めていた者はほぼ真円にまでその眼を見開いた。今、この場にいる全員が。俺でさえも。一瞬として、彼女から目を離せなかった。
「〈――お爺さん、お婆さん。こんな私を今まで育てて頂いたこと、感謝してもしきれません。今や王国全土に暗い影を落とす、邪悪で強大のオーガ退治への危険な旅路。いつ果たせるとも、いえ、もはや生きて帰って来られるとも知れないこのような旅に、これまでお二人から頂いた沢山のものへの報恩もままならぬまま向かうのは、大変心苦しく思います――〉」
本番前の頼りない雰囲気はどこへやら。どこに出しても恥ずかしくない主人公然としたラヴラの演技は、「素晴らしい」の一言に尽きるばかりだった。
「……ハハッ、やっぱりあいつ、メンタルの弱さが玉に瑕だな」
開演直後から一変、大多数の観客が食い入るように壇上を見つめる様を俯瞰して、俺は小さくそう呟いた。




