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空になった馬車とガルムを置きに一度宿屋まで戻ってから、俺たちは再び目抜き通りに戻って来た。いよいよ人で埋め尽くされんばかりの通りを、昨日ラヴラに教わった近道や裏道なども使って練り歩き、そして食べ歩いて行く。
「ん~! んんん~! んん、んんんん! んんんっんんんんんんん!」
「すまねぇ、ハムスター語はさっぱりなんだ。飲み込んでから喋れ」
「モグモグ……ゴクンッ。ねぇ、シバケン! これすっごく美味しいよ!」
「わかったから落ち着けって。ほら、口元にソースが付いてるぞ」
「んっ……ふぅ、ありがとう。それよりほら、シバケンも食べてみなって」
「大袈裟な奴だな。言っても屋台の食い物だろ? そこまで美味いもんじゃ…………う、美味い!?」
気付けば俺たちもすっかり街のお祭りムードにあてられたようで、こんな調子でひたすらに美味い物巡りを楽しんだ。
そうしてひとしきり腹を満たしたあと、思い出したようにラヴラのことが話題に上がり、ジャックの提案で差し入れを持ってラヴラの陣中見舞いに行こうということになった。
目抜き通りにある屋台で適当なものを見繕って、俺たちは街の中央広場、『大演劇祭』の会場へと向かう。
「ラヴラ、昼休みの間なら会えるって言ってたよね?」
「ああ。でも、休み時間の間に捕まるかな? なにしろこの人の数だからなぁ」
「大丈夫! ラヴラの匂いなら覚えてるから、それを辿っていけばいいよ。任せて!」
中央広場に設営されているのは、会場といってもそこまで大掛かりなものではなく、広場の南半分に客席が、北半分に舞台と参加者や関係者のバックヤードが設けられているだけだった。サーカスみたいに天幕が張られていたりもせず、さしずめ野外ライブといった風体だ。
今は半分以上が空席になっているその客席部分を迂回して、俺たちは北側のバックヤードまで歩いていく。やがて、参加劇団が控えていると思しきテント群が見えてきた。
「さてと、この辺りだと思うけど。ラヴラはどの劇団の警護をしているのかなぁ」
一つ一つのテントを覗き見ながら、俺たちはぐるりとバックヤード沿いを進んでいく。と、
「――何をやってるんだ! この間抜け!」
「――は、はいっ! 申し訳ありません!」
ちょうど差し掛かった一つのテントの中から、何やら怒気を孕んだ大声と共に、聞き覚えのある謝罪の声が聞こえてきた。
この声は…………。
「……まったく。いいか? 本番までに何とかできなければ、その時は覚悟しておけよ!」
テントから、丈夫そうな鎧に身を包んだ中年の騎士団員の男が出てきて、振り向きざまにテントの中にそう告げると、何やら焦燥の面持ちで足早に俺たちの横を通り過ぎて行った。
「騒々しいな。一体何があったっていうんだ?」
「わかんないけど、さっきの声、あれラヴラだったよね? 何か謝っているように聞こえたよ?」
二人して首を捻っていても始まらないので、俺は意を決して騎士団員の男が出てきたテントの入り口に手を伸ばし、ゆっくりと布を引っ張った。
「えっと、ごめんくださ~い」
「さ~い」
恐る恐る中を覗く俺に続き、ジャックも俺の背中越しに首を伸ばした。
「は、はい。どちら様で…………あら?」
案の定、テント内にはラヴラがいた。浮かない顔で入り口の方を振り向いた彼女が、俺たちの姿を認めて目をしばたたかせる。
「し、シバケンさん? ジャックさんも……」
「よう、お疲れ」
「やぁ、ラヴラ。ぼちぼち昼休みだと思って、差し入れ持って遊びに来た……んだけど、何かあったのかい?」
ジャックの問いに、ラヴラはしばし逡巡する素振りを見せてから、呻くように呟いた。
「……はい。実は――――」
※ ※ ※
「――護衛対象がいなくなったぁ?」
素っ頓狂な声を上げるジャックの前で、ラヴラが力なく頷いた。
「いなくなった、って……なんでまたそんな事になっちまったんだ?」
「確かなことは言えませんが、恐らくは……逃げてしまったんだと思います」
「逃げた?」
「ええ」
今回『大演劇祭』に参加する劇団には、王女様一行もご覧になる重要なイベントへの参加ということもあって、スパニエルからかなり高額なギャラが支払われることになっていた。
参加劇団にはそれに加えて、街の人気飲食店の優先利用権、宿泊費の割引など、『大演劇祭』期間中における様々な特典が与えられるのだが、その中の一つに『ギャラの半分を前金として渡す』というものがあったらしい。
ラヴラが護衛をしていた劇団にも当然その権利が与えられていたのだが、今朝の開会式で参加劇団全てに前金が支払われたあと、あろうことかその劇団は、前金だけ持ってトンズラをぶっこいてしまった。
とまぁ、ぽつりぽつりと語るラヴラの言葉をまとめると、大体このような話だった。
つまるところ、前金詐欺みたいなものだ。
「そのような事例があるという話は騎士団の先輩方からも聞かされていたので、私も注意はしていたのですが…………迂闊でした。どうしてあの時点で不審に思わなかったのか。私が護衛をしているのがどういう人たちなのかを考えれば、すぐにわかった筈なのに」
「その劇団は、ラヴラが朝からずっと監視、もとい警護してたんだろ? それでどうやって逃げおおせたんだ? お前に限って、見落としや注意不足ってことは無いと思うが」
自分では「まだまだ新米」なんて言っていたが、彼女の騎士としての信頼性や技量の高さは、昨日一日を一緒に過ごしただけでも充分に伝わってきた。あの様子なら、少なくともそんなお粗末なミスを犯したりはしない筈だ。
俺がそう指摘するも、ラヴラは俯きがちにフルフルと首を振る。
「……今となっては言い訳にしか聞こえないかも知れませんが、勿論、私は片時も彼らから目を離した瞬間はありませんでした。『他の劇団に知られたくない』という理由で隠れて劇の練習をする時も、彼らに付いていきました。けれど……」
ラヴラの銀の拳が、固く握り締められる。
「つい、一時間ほど前のことです。私が劇団を護衛している所に一人の騎士団員の方がやってきて、『交替の時間が早まった、あとは自分が引き継ぐから休んでくるといい』と言ってきました。知らない顔でしたが、ちゃんと騎士団員の腕章も付けていましたし、まだ新米である私が面識の無い団員がいるのも不思議はないと思って、言われた通りに詰め所で休憩を取っていたんです。そうしたら…………」
さっきラヴラをどやしつけていた騎士団員の男が詰め所にやってきて、ラヴラが護衛していた劇団員のテントがもぬけの殻だという事を知らせてきたという。
護衛をほったらかして何を呑気に休んでいるんだ、と怒り狂う上官に、ラヴラは先ほど交替を告げに来た団員の名前と、その事情の一部始終を必死に説明したらしいのだが、返ってきた答えは「そんな名前の団員は存在しない」という、とんでもないものだったそうだ。
「『ああ、やられた!』と思いました。彼らは劇団員です。普段から熟練した演技を披露し、精巧な衣装を繕う彼らには、騎士団員の腕章を偽造するのも団員のふりをして私を欺くのも朝飯前だったことでしょう。大急ぎでテントに戻り、せめて何か痕跡はないかと探したのですが、残念ながら何も手掛かりは得られなくて……」
「それで、今に至ると?」
俺が締め括ると、ラヴラが再び力なく頷く。すっかり参ってしまったといった様子だ。
「あちゃあ~……それはたしかにやられちゃったね。旅芸人や流しの一座にはそういう人たちもいるって話は、ボクも噂程度には聞いていたけど、まさか実際に遭遇するなんてなぁ」
隣ではジャックも、複雑な面持ちで頭を掻いた。
「かの劇団が演劇を披露する筈だったのは三日後、つまり『大演劇祭』最終日の午後の部の一番手。それはもう街中に伝わっている情報です。王女様もいらっしゃる大舞台で、まさか『劇団が逃げ出したので演劇はできません』ではすまないと、上官の方にはそれまでにこの事態を何とかしろと言われてしまったのですが…………ああ、一体どうしたら」
「そ、そんな泣きそうな顔しないでよ、ラヴラ……」
「うぅ……でも、このままでは私、私、騎士団から厳しい処罰を…………」
「だ、大丈夫だよ! よしよし、よしよ~し。ほら、取り敢えず落ち着いて。ね?」
ついには両手で顔を覆い震える声で弱音を漏らすラヴラを、ジャックが慌てて抱き締め、なだめすかす。母が我が子に向ける様な優しい口調で語り掛け、それからチラリと俺に一瞥をくれる。「何とかしてあげられないかなぁ?」とでも言いたそうだ。
そうは言っても、俺だって困る。
普通こういう場合は、異世界に転移した主人公――この場合は俺ということになるんだろうが――が、持ち前のチート能力やら主人公補正やらを使ってサクッと逃げた劇団を連れ戻すなり、なぜか都合良く代わりの実力派劇団と知り合うなりして乗り切る、という展開がセオリー。『大演劇祭』は無事終わり、ラヴラも助かる、万々歳、ってな具合だろう。
しかし! 何度も言うが俺は単に人より本を書くのが得意なだけの、ただの冴えないもやし野郎な男子高校生なのだ。哀しいかな、異世界に来ようとそれは変わらなかったのだ!
そんな俺に、一体何を期待しているのかね? とばかりにジャックの前で大仰に肩をすくめて見せるも、ジャックはやや不満そうに口を尖らせ、なおもジトっとした視線で俺をせっつくだけだ。
う~ん、弱ったなぁ。そりゃ、俺だってラヴラは助けてやりたいが…………。
「……いや、待てよ?」
と、そこで俺の脳裏に、ふと気になったことが重い浮かんだ。




