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ハッと気が付くと、俺は辺り一面瑠璃色のレンガに囲まれた、何やら静かな部屋に佇んでいた。
何がどうなっているのかと困惑する頭で、恐る恐る辺りを見回してみる。
床も、壁も、やけに高い天井も、全てが瑠璃色のレンガ造り。
電灯やランプといった灯りの類は一切見受けられないが、そこかしこをフワフワと漂っている小さな光の粒みたいな物のお陰か、部屋の中はぼんやりと明るく、それがまた幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「こ、ここは、一体……?」
これは、夢か? 夢の中なのか? いや、それにしては妙にリアルな感じがするが……。
黙って突っ立っていてもしょうがないので、俺はキョロキョロと首を動かしながら前進する。数分もしない内に、どこかの神殿のような雰囲気の、この謎空間の突き当りらしき場所に辿り着いた。
円形の広間の中央に大理石でできた簡単な丸テーブルと椅子があり、壁一面には天井まで続く巨大な本棚が置かれていた。当然、本棚にはそれ相応に大量の本が並べられている。
そして、その大量の本に囲まれながら椅子に座っている、真っ白いワンピースのような服を着た一人の美しい女性。
この謎空間に負けず劣らず、神秘的な空気を纏っている。
「××! ×××××。××××××」
呆然と立ち尽くす俺に気付いたらしく、女性が椅子から立ち上がり、何事か語り掛けてき
た。
年齢は俺と同じか、少し上くらいだろうか。服と同じ真っ白な髪をかき上げ、ゆったりと微笑んでいる。そのミステリアスな美貌に目を奪われ、俺は話し掛けられていることも忘れて、依然としてカカシのように突っ立ったままだった。
「? ×××××? ××××××? ×~×!」
ハッ! いかんいかん!
いくら相手が美人のお姉さんでも、見蕩れてばっかりで話もしないのは失礼だろう、俺!
のぼせた頭を冷やし、俺は女性の声に耳を傾けた。
しかし……うーむ、これは一体何語なんだろうか? 日本語ではないし、かといって英語にも聞こえないな。さっきから何を言っているのか、申し訳ないがさっぱりわからん。
俺が首を傾げているのを見て、そこでハタと何かに気が付いたのか、女性はポンと手を打つと、右手を俺に向けて小声で何かを呟いた。女性の手が、淡い光を帯び始める。
「×××! ××××えるようになったはずだけれど、どうかしら?」
次の瞬間、俺は女性が相変わらず話している謎の言語を、嘘みたいに理解できていた。
「あっ、なんて言ってるのかわかるようになった」
「良かったわ。ごめんなさいね、こちらから呼んでおいて言語の波長を合わせ忘れていたなんて、私としたことがうっかりしていたわ」
どうやらさっきの魔法みたいな光のお陰で、お互いの言葉がわかるようになったらしい。女性はちょろっと舌を出し、片目を瞑りながら自分の頭をこつんと叩いた。
「…………古い」
「ええっ? 本当? うーん、あなた達の世界のことは、少しは勉強したつもりだったのに」
思わずツッコミを入れてしまった俺を横目に、女性は残念そうに俯いた。
な、何だろうこの人。今までの神秘的な雰囲気が、一気に俗っぽくなったんだが。
「こほん。まぁいいわ。それじゃあ改めて……初めまして、真柴健人さん。この度は我が【ハザマ文庫】との契約を承諾して頂き、誠にありがとうございます」
仕切り直すように咳払いをして、女性が深々と頭を下げる。
「え? 【ハザマ文庫】? 【ハザマ文庫】って……それじゃ、さっき俺のパソコンにスカウトのメールを送ってきたのは……」
「はい。私――【ハザマ文庫】編集長の峰……もとい、ミネルヴァと申します。これからあなたの担当編集として執筆のお手伝いをさせて頂きます。よろしくね、真柴先生!」
編集長の峰さん改めミネルヴァが手を差し出しながら、再びにこっと微笑んだ。
※ ※ ※
古今東西、様々な小説の中で度々扱われる概念がある。
それが、俺たちの住むこの現実世界とは別の世界があるという概念――つまりは「異世界」という概念だ。
ある日突然、文化から何から全てが異なる異世界と現実世界が陸続きになったり、現実世界の人間が異世界に迷い込んでしまったりといった、そんな非現実的な物語は、昔も今も多くの人を魅了して止まない。
小説の中でも特に人気のある題材、それが異世界だ。
何故か?
――それは、異世界という概念が、あくまで空想上のものとされているからだ。
「でも! 異世界って、本当はちゃんと実在しているのよ? 実際に行った人が少ない上に、『行ってきました』って言っても大抵の人は信じないってだけで。現にこうしてあなたも、『文字通り』異世界に片足を突っ込んでいるわけだしね」
「ああ。さっきの魔法みたいなのといいこの謎空間といい、どうもあんたの話は本当らしい」
俺の下にスカウトのメールを送ってきた【ハザマ文庫】の編集長を名乗る目の前の女性、ミネルヴァの言葉に、俺は納得したという風に頷く。
彼女の言ったことを簡単にまとめると、概ね次のような話だった。
俺が住んでいる世界とは異なる世界、即ち異世界は、実際は空想でもおとぎ話でもなく、昔から当たり前のように存在しているという。例えば天国や地獄というのは、俺たちにとって一番身近な異世界であるという話だ。理由は、「誰でもいつかは行けるから」らしい。
当然、異世界というのはそれだけではなく、それこそ空想やおとぎ話に出てくるような異世界だってちゃんとあるそうな。
そして、そんな異世界同士の狭間にある『半異世界』……、
「その内の一つが、この【ハザマ文庫】というわけなの」
「ってことは、ここは俺たちの住む地球と、その、えっと……何だっけ?」
「『何だっけ』じゃないわよ。さっきも言ったでしょう? ここはあなたたちの住む世界と、もう一つの世界――〈アイベル大陸〉の狭間にある、二つの世界を結ぶ空間なのよ」
そう、〈アイベル大陸〉。
このミネルヴァの話じゃ、そんな名前の異世界が俺たちの住む世界と繋がっているそうだ。
「なるほどな。オーケー、大体話はわかったよ」
「それなら良かったわ。にしてもあなた、随分落ち着いているというか、あんまり驚いたりしないのね? 今の状況って、あなたからしたらかなりぶっ飛んでいると思うのだけれど」
ミネルヴァが人差し指を頬に当てて首を傾げる。
「まぁ、全く驚いていないと言えば嘘になるけど、これでも異世界に関しての造詣は一般人よりは深いつもりだからな」
なにしろ普段から異世界だのファンタジーだのといったジャンルのラノベを嗜み、自らその手の小説を書いたこともあったりする俺だ。
言わば普段から空想の中に生きているようなものなのだから、いざそんな世界が実在するとわかっても、案外「おお、やっぱりか」程度の感想しか出てこないのだろう。
…………夢を売る筈の小説家が、こんな夢の無いことを言うのもアレなのだが。
「それで、あんたは俺に異世界の実在を証明して、それから一体どうしようって言うんだ?」
丸テーブルを挟んで向かい側に座っているミネルヴァが、俺の質問を受けて頬に添えていた人差し指をピンと俺に向けた。
「勿論決まっているじゃない! あなたに〈アイベル大陸〉を取材して回って欲しいのよ」
…………はい? 取材?




