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「へ?」
しばしの沈黙のあと、ジャックが素っ頓狂な声をあげる。
酔っ払い男の拳はラヴラの顔に届く直前で、彼女が反射的に構えた銀燐の腕に掴まれていた。
「いででででででで! お、お前、〈竜人種〉……!?」
「え? え? ど、どうしたんですか? 大丈夫ですか?」
拳を止めて腕を掴んだままのラヴラが、突然叫び出した男に動揺しながらも、ついさっき殴りかかって来た相手だというのにも関わらず心底心配そうに声を掛ける。
「て、手が、手が……!」
「手? 手がどうかしたのですか? もしかして、何か怪我をされているのですか? 大変、ちょっと見せて下さい!」
「ぎゃああ! ち、違う! それ以上強く握るな! 手を、手をはなしてくれっ! お前、俺の拳をね、ねじり取る気か……っ!」
「そんな! ねじり取る、だなんて……そ、そこまで力は入れていませんよ?」
「馬鹿っ、お、お前ら〈竜人種〉の握力と、俺たち普通の亜人種を一緒にすんじゃねぇ!」
息も絶え絶えの男の言葉に、ラヴラがようやく事態を飲み込めたという風に男の拳から手を放した。
ようやく解放された男は若干涙目になりつつ、しきりに自分の手を擦っている。
「あ、あの……」
「ひっ! く、来るな! わかった、俺たちが悪かったからっ!」
なおも心配そうに声を掛けるラヴラに怯えながら、男たちは転がるように酒場を後にした。その背中に手を伸ばしながら、ぽつねんと取り残されたラヴラが、少し悲しそうに俯く。
「あ、ああ……私ったら、また……」
うん、そうね。力加減は苦手だって、さっき言ってたもんね。
ラヴラには全く非はないのだが、俺は何となくさっきのチンピラたちに同情してしまった。
「いやいや、よく追い払ってくれたよ。ありがとう!」
「さすがはスパニエルの平和を守る騎士団員さんだ!」
男らが店を去ると同時に、店内に再び賑やかな喧騒が戻ってきた。
手に手にジョッキを持った酒場の客たちがラヴラの下に群がっていき、感謝の言葉を述べたり肩を叩いたりしている。瞬く間に、ラヴラの姿がほとんど見えなくなってしまった。
「ハハハ、凄いや。あっという間にあの酔っ払いたちを追い払っちゃったよ。大人しそうな子だなと思ってたけど、ラヴラってとっても勇敢なんだね。さすがは騎士だよ!」
いやまぁ、正確には追い払ったというより相手が勝手に自滅しただけな気もするけどな。
「それに、あんな最低男たちにも気遣いの心を忘れないなんてさ。ボク、同じ女の子としてちょっと気後れしちゃうなぁ。見習わなきゃ」
いやまぁ、それもただ単に地獄への道を善意で舗装していただけに見えなくもないがな。
「とはいえ……」
たしかに、あんなに可愛い上にこれほど献身的だなんて、今じゃほとんど絶滅危惧種扱いされているくらいのできた女の子だ。正に正統派美少女。清純派アイドル。
もし、「実は天女か女神の生まれ変わりだった」みたいな設定が彼女にあったとしても、俺はけっしてそれを「ご都合主義的な後付け」などとは思わないだろう。
大勢の人に囲まれて、恥ずかしいような困ったような顔であたふたするラヴラを遠巻きに見ながら、俺はしみじみと、そんなとりとめのないことを考えていた。
※
「私…………もしかして街の皆さんに嫌われてしまっているのでしょうか……?」
謝辞と称賛の雨あられを受けて、いよいよラヴラの羞恥心が限界近いことを感じ取った俺たちは、食事と勘定を手早く済ませると逃げるようにして酒場を後にした。
時刻はそろそろ夕方に差し掛かろうかというところ。テラスでティータイムを楽しむ老夫婦や、噴水のそばで水浴びをして遊んでいる子どもたち。
そこかしこで、思い思いに安らかな午後のひと時を過ごしている人たちが見受けられる、そんな小広場の一角で……。
ラヴラの表情は暗い。
「あんなに大勢で私を取り囲んで……全然身動きが取れなくて、凄く、怖かったです……」
「い、いやいや! 何もラヴラを怖がらせる為にやったわけじゃないって! 皆ラヴラにお礼を言いたくて、集まってたんだよ。皆ラヴラが大好きなんだよ、ね?」
諭すようなジャックの言葉にも顔を上げず、ラヴラは俯いたままシュンとしてしまっている。その様子を見たジャックが、気まずそうに頭を掻きながら俺の脇腹に無言で肘鉄を食らわせてくるのは、「キミも何とか言ってやりなよ」というところだろうか。
そう言われてもなぁ、と何を言えば良いのか俺が決めあぐねている間にも、なおもラヴラの泣きべそは続く。今にも本当にシクシクと泣き出してしまいそうな雰囲気だ。
「それに、あんなに何回もバシバシ体を叩いてきて……あれ、地味に痛かったんですよ?」
いや、おそらくだが痛かったのはむしろ、ラヴラを叩いた人たちの方だろう。
ラヴラの体の頑丈さは、やはり普通の人間はおろか、亜人種の中でも飛びぬけているらしい。何人もの人が笑顔でラヴラを叩いたあと、赤くなった自分の手を擦りながらその笑顔を痛みに引きつらせている光景には、さすがの俺も少しばかり頬が緩んだものだった。
「そう悪い方に考えることはないだろ? 誰もお前のことを嫌ってなんかいないよ」
「シバケンさん……本当に、そうでしょうか……?」
仕方なく俺も励ましの声を掛けるが、ラヴラはまだ半信半疑といった感じだ。まだまだ短い付き合いではあるが、どうもこの女騎士さんは、フィジカルの強さに反してメンタルが弱いきらいがあることはわかってきた。難儀な性質をしているものだ。
「さっきも言ったろ? もっとポジティブに考えようぜ。人生ちょっとばかし楽観的に生きた方が、案外上手くいくもんだ」
「ぽ、ポジティブに?」
「ああ。お前、自分でも言ってたじゃないか。『もっとポジティブに考えなきゃ』ってさ」
「……そ、そうですよね。こういつも悪い方に悪い方に考えてちゃ、私、ダメですよね?」
「おうともよ」
「私、もっともっとポジティブにならないとダメですよね!」
「イグザクトリィ」
「はい! 嫌われているかもとか、疎まれているかもとか、そんなことを心配する必要は全く無い! そもそも皆さん、好き嫌い以前に、私のことなんかには無関心ですよね!」
――そしてどうやら、ちょっとばかし天然ボケが入っているらしい。
目をキラキラと輝かせながら、そんな前向きに後ろ向きなことを言うラヴラの横で、俺とジャックは顔を見合わせて溜息と共に肩を竦めた。
「わかりました。弱気はここまでにします。いずれにせよ、私がするべきことは街を、そして何より市民の皆さんの平和な暮らしを守る為に、できることからコツコツとやること」
伏せていた顔を素早く上げてそう言うと、漂っていた気まずい空気を払拭させるように、ラヴラは自分の両頬をパンパンと叩く。
「これに、変わりはないのですから。ね?」
ラヴラの顔に、天使の微笑みが舞い戻る。その瞳にはいつもの澄みきった優しさとともに、高潔で誇り高い騎士の凛々しさも垣間見えた気がした。
「はは……いろんな意味で眩しいな。見ているだけで、体中が浄化されていく気分だ」
思わず口をついて出た。すかさずジャックが肩を突いてくる。
「ねぇねぇ。シバケンが浄化されちゃったら、何が残るの?」
「俺そのものが不純物みたいな言い方イクナイ」




