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中小都市とはいえ、王都とこの地方一帯との中継都市に指定されているだけあって、俺たちが入ってきた西門から街の中心広場まで伸びる大通りはなかなかの賑わい様だった。
何人もの人や何台もの馬車が忙しなく行き交い、通りには商人たちの呼び込みの声や、買い物客の喧騒、どこからともなく聞こえてくる軽やかなリズムの音楽で溢れている。
瀟洒で活気に溢れた中世風の街並み。まさしくそんな風景が今、俺の目の前に広がっていた。
「うわぁ、人がいっぱい。ここがスパニエルかぁ!」
「うんうん。こういう光景こそ、異世界って感じだよな」
通りを歩いていた人たちの何人かが俺たちに視線を向ける。
馬車を引いているガルムを見て大騒ぎするか? という俺の心配とは裏腹に、街の人たちは一瞬顔を向けると、すぐにまた思い思いの方向に歩いて行った。
どうやら、ここの住民たちにとって荷馬車を引いている魔物というのはさほど珍しいものでもないらしい。よくよく通りを眺めてみれば、大きさこそ一回り小さいが、確かに俺たちみたいに魔物の類に馬車を引かせている者たちも何人か見受けられた。
「こんな荷馬車を引いて街歩き、というわけにもいきませんから、取り敢えずは宿に向かいましょうか? そこで一旦落ち着いてから出掛けましょう」
というラヴラの案内で、俺たちはひとまず宿に向かった。
ここに来るまでに寄ったいくつかの村々と違って、高級宿から素泊まりまで、スパニエルにはいくつもの宿があるらしくなかなか選ぶのが難しい…………と、思ったがそんなことは全然無かった。
馬車を留められて、その上魔物の同伴がオッケーで、かつリーズナブルなお値段。こんな風に条件を絞っていった結果、選択肢はぐっと狭まっていき、最終的にその中からラヴラが「ここなら問題無し」とした街はずれの一軒を、俺たちのスパニエルでの拠点に決めた。
「いや、悪いな。宿まで決めて貰っちゃってさ」
ナップザックを置き、先に行ってて、と言うジャックを残して本と貴重品だけを持って部屋を出た俺は、宿の前でガルムの頭を撫でていたラヴラに軽く手を振った。
……っていうか、おいこらワン公。魔物のくせに生意気だ。今すぐ場所代われこの野郎。
「いえいえ。先ほどは本当に助けられてしまいましたし、これくらいはさせて下さい」
にこっと微笑むラヴラ。一瞬後光が射しているんじゃないかと錯覚するほどのその聖女オーラに、俺は思わず諸手を合わせて拝み倒しそうになった。ラヴラ、どこまでも良い子!
「それにしても、シバケンさんは凄いですね」
「え? 何が?」
突然の賞賛に間抜けな声で返す俺を横目に、ラヴラが微笑みながらガルムの顎を撫でる。
「このガルムですよ。あれほど手際よく魔物を、しかもガルムの中でも特に気性が荒いワイルド種を手懐けてしまうなんて、腕利きの《猛獣使い》の方でもそうそうできることではないと思いますよ? シバケンさんの知識の深さには、私、すっかり感心してしまいました」
「ほぉ、《猛獣使い》……そういうのもあるのか」
言いながら、既に俺はブックホルスターの赤本からページを抜き取り、ラヴラの興味深そうな視線の下、サラサラとメモを取っていた。
少しの間、会話が途切れる。これのせいで話を中断させるのは忍びないことこの上無いのだが、新しい単語や知識を知った時には、俺はもう条件反射レベルで体がメモを取ってしまう。後で書こうと思っても絶対に忘れてしまうからだ。
訓練されたワナビに染み付いた、愛すべくも悲しき性である。
「……っと。悪い、続けてくれ」
「フフフ、熱心ですね。シバケンさんは本当に、文章を書くのがお好きなんですね?」
「ん? ああ、そうだな、好きだ。まぁそれくらいしか能が無いってのも、あるんだけどさ」
「たった一つのことを極めることだって、凄いことですよ。少なくとも、私はそう思います」
「そうか? そりゃ、ありがとうな。……うん、今のセリフもなかなか良いな。それも頂き」
「え? や、やだ、文章にされるとなると、何だか少し気恥ずかしい、ですね……」
ラヴラはほんのりと頬を赤らめて、照れ隠しのつもりかことさらにガルムを撫で回した。
赤面する美女と、獰猛な見た目の野獣。
なるほど、これは確かに絵になるな、おとぎ話の題材にもされるわけだ……などと呑気なことを考えていると、
『……ガウッ』
さすがに撫でられるのも鬱陶しくなってきたのか、ガルムがラヴラの腕を乱暴に跳ねのけて、そのまま銀燐に覆われた彼女の華奢な腕に噛み付いた。
「うおぉい? 何やってんのっ?」
飼い犬(飼いガルム?)の思わぬ逆襲に面食らって、俺は慌ててラヴラの下へ駆け寄る。
けれど、当のラヴラは驚いた表情こそ浮かべていたが、特に悲鳴を上げたり苦痛に顔を歪めていたりはしない。ガルムの方は結構本気で噛み付いている様子なのに、全然平気そうだ。
「あ、あらあら……どうしましょう?」
「お、おい。大丈夫か? 思いっきり噛み付かれてるぞ?」
「ああ、いえ。私の方は何ともありません。こう見えても体は頑丈な方ですから」
いや……サメやワニもかくやというほどの凶悪な牙にガッチリ噛み付かれているのに何ともないってのは、さすがに頑丈どころの話じゃない気もするんだが……。
「あ……そう、か? まぁ、ラヴラが大丈夫って言うなら、良いんだけどさ……」
見ている分にはかなり痛々しいのだが、ラヴラのそんな落ち着いた様子を見て、俺もほっと胸を撫で下ろした。まったく亜人種っていうのは、本当に人間離れしている。
「でも、困りました。鱗が牙に引っ掛かってしまったのか、引っ張っても全然抜けなくて」
「犬に、っていうか動物に噛まれた時は、引っ張るんじゃなくて逆に押し込むといいらしいぞ」
「押し込むんですか? ……はい、わかりました。やってみます」
しばらく逡巡していたラヴラが、やがて視線を上げてガルムの正面に回り込んだ。そのまま少しだけ態勢を低くして、体全体を使って噛まれた腕を押し込んでいく。
『ガォ? ガ、オォ……』
「うわ、すげ…………」
ラヴラが力を込めると同時、苦しそうに口を開けようとするガルムもろとも荷馬車――断っておくが、旅の道具やらジャックが作った武具の数々が荷台に満載の状態だ――がゆっくりと後退し始めた。一目見るだけで、それがとんでもない膂力の成せる業だとわかる。
馬車はやがて近くの石塀に当たって止まり、ガルムも遂に逃げ場をなくしてラヴラの腕を吐き出す。最後はヘッヘッ、と荒い息を吐き、何やらくたびれたような顔で座り込んでしまった。
「なるほど、動物に噛まれた時には引くのではなく押し込む……すごく勉強になりました! やっぱりシバケンさんは凄いですね! もっともっと、色々なことを教えて貰いたくなってしまいます」
「それはどうも。でも、『凄い』ってのはこっちのセリフだよ。力持ちなんだな、ラヴラは」
ここに来るまでにも何人もの亜人種を見てきたし、彼らの身体能力が人間より遥かに優れていることはもう充分わかっていたが、こと頑丈さとパワーに関して言えばラヴラはずば抜けているように見える。
見た目は至って普通の美少女だが、これなら騎士であるという話も納得だ。
俺が褒めると、ラヴラはまた照れ臭そうに頬をかき、それから何故か申し訳なさそうな顔でガルムの方に目を向けて溜息を吐いた。
「あの子には、少し悪い事をしてしまいました。私のこんなザラついた腕で撫でられたら、それは嫌ですよね。……せめて、もう少し目立たない所に竜の特徴があれば良かったのに」
「おいおい、ラヴラが謝ることはないだろ? 悪いのはこのアホ犬だよ、アホ犬」
まったく、こんな美少女に頭を撫でられてるっていうのに、罰当たりな野郎だ。
…………そしてどうせ嫌がるのなら、俺の方に突き飛ばしてラッキースケベの一つや二つ起こしやがれってんだまったく。
「いえ……力加減も不得意なくせに無遠慮に撫で回して……やっぱり、私なんかが……」
だが、ラブラは依然として済まなそうに呟いた。喋りつつも、段々と伏し目がちになってシュンとしてしまう。さっきの馬鹿力とのギャップもあり、何だか急に弱々しく見えてきた。
「いや……何もそこまで卑屈にならんでも。確かにラヴラの腕はちょっとザラザラしてるかも知れないし、力も加減できてなかったかも知れないけど、そんなの全然気にすることないって。個性があっていいじゃないか。もっとポジティブにいこうぜ、な?」
さすがにいたたまれなくなって、俺は努めて明るい口調でそう言った。
その励ましがラヴラに通じたのかはわからないが、俺の言葉に俯いていた顔を上げて、ラヴラもおもむろに頷いた。
「……そ、そうですよね。私、こんな後ろ向きなんじゃ、ダメですよね」
「おうともよ」
「もっとポジティブに考えなきゃダメですよね!」
「その通りだ」
「はい! ザラザラの腕とか、不器用とか、そんなこと全く関係無く、そもそも私なんかに触られるのが嫌ですよね!」
「間違いない! …………あれ?」
おや? 何か、最後にちょっとズレたこと言わなかったか、この子?
「わかりました、シバケンさん。私、もう少し前向きになれるよう頑張ります!」
「お、おう、頑張ってくれたまえ」
何か違う気もするが……ま、いいか。本人もこう言ってるし、俺が気にしても仕方ない。
「ごめーん! お待たせ!」
と、ようやく出掛ける準備を終えたのか、ジャックの声が宿屋の入り口から聞こえてきた。
遅いぞ、どれだけ待たせるつもりだよ、と文句の一つでも言おうと振り返った俺は、
「…………え、誰?」
しかし、入り口から現れたその人物の姿を目の当たりにして、ほとんど無意識にそう言っていた。




