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第13ページ

 信じられない、といった顔でジャックは恐る恐る荷馬車から下りると、若干へっぴり腰になりながら俺の背後まで歩いて来る。


「ね、ねぇ? いま何したのさ? さっきまであんなに凶暴だったじゃないか。ボク、絶対シバケンの首が千切れちゃうって思って、すっごく怖かったのに…………」


 おい、恐ろしいことを言うな。なまじそうなる可能性もあっただけに笑えないぞ。


「何か、薬でも使ったの? どんな猛獣も大人しくさせるお香、みたいなさ?」

「違う違う。ただ単に、昔読んだ本に書いてあった犬の弱点みたいなのを思い出しただけだ」


 俺の顔と、完全にリラックスして寝転んでいるガルムとを交互に見やり、そこでようやく安心したらしい。ジャックは安堵の溜息を漏らし、そのまま脱力気味に地面にへたり込んだ。


「はぁ~…………なるほどね。キミが今までどうやって一人で旅を続けてこられたのか、なんとなく、わかった気がするよ……」


 呆れ半分、感心半分といった様子でジャックが首を竦めていると、


「あ、あの……お二人とも、大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」


 リーダーが籠絡されて統率を失ったガルムたちが方々に逃げ去ったことで、立ち往生していた旅人さんがこちらに走り寄って来た。


「あ、はい。ボクたちは何ともないですよ」


 ジャックがヒラヒラと手を振って、それから申し訳なさそうに「さっきはごめんなさい」と手を合わせる。それに「いえいえ、お互い無事で何よりです」と穏やかに返すのもそこそこに、旅人さんは頭まですっぽりと被っていた外套をまくり上げ、俺の方に向き直った。


「……凄い、ですね。まさかこんなに手際よく、魔物を手懐けてしまうなんて」

「いやいや、俺も上手くいくかどうか半信半疑だっ……た……?」



 と、外套の下に隠れていた旅人さんのその美貌に、俺は思わず言葉を詰まらせてしまった。


 一本一本が本物の金なんじゃないかと思ってしまうほどの、背中で一本の三つ編みにした長く艶のある金髪。よくできた人形のように長いまつ毛と、ぱっちりとした瞳。


 出っ張り過ぎずへこみ過ぎずのバランスの取れた美しい肢体を、向日葵を思わせる山吹色の服と、手入れの行き届いているらしい銀製の手甲や胸当てなどが覆い、より一層その美麗さを引き立てている。


「お陰で助かりました。本当に……ありがとうございます」


 外套の下から現れたのは、鎧に身を包み立派な槍を携えて聖女のように優しく微笑む、これぞ正統派美少女であると断言できる、そんな目の眩むような美人さんだった。


 隣では、自身もそれなりに人目を引く容姿をしているジャックですら、「うわぁ……綺麗」と思わず声を上げてしまっているほどだ。いわんや俺みたいな童て……純粋無垢な少年がその美しさに平静を保っていられるわけもない。


 俺はガルムを撫でる手を止めて無言で立ち上がると、


「…………お姉さん」


 つかつかと彼女に歩み寄り、目線を合わせる。


「え? は、はい、何でしょう?」


 やけに真剣な雰囲気の俺に若干怯えながらも返事をする彼女に向かって、今際の際に「叶うなら……もう一度、故郷の土を踏みしめたかった」と涙する老兵の如く、俺は懇願した。


「……一度でいい。何も訊かずに――――『くっ……殺せっ』って、言ってくれまいか?」

「え? えっと…………え?」


 当然ながら、ますます困惑する少女。どう反応すれば良いのかわからずオロオロするその姿もまた可愛いらしい。実に素晴らしい。この可愛さだけでご飯何杯でもいける。


 いきなり脈絡のないこと(俺にとっては重大なことなのだが)を口走った俺を訝しんだのか、立ち上がって砂ぼこりをはたいていたジャックが、にわかにジトッとした視線を送ってくる。


「……あのさ、シバケンがどういうつもりで何を言ってるのか、ボクにはさっぱりわからないんだけど、キミがそういう顔をする時って、大体変なこと考えてる時なんだよね。……ねぇ、彼女に何かいやらしいことをさせようとか、まさかそんなことは考えてないよね?」

「黙らっしゃい。いま大事なところなんだからちょっと下がってろ」


 疑惑の眼差しを向けてくるジャックを背後に追いやり、俺は再び少女の顔前で人差し指をピンと立てた。


「一度でいいんだ。頼む、人助けだと思って、何も訊かずに言ってみて欲しい」

「あ、あの、これは一体、どういう意図が……」

「何も訊かずに!」

「ぴっ!?」


 更に半歩ほど距離を詰めた俺に、さすがに恐怖を隠せなくなったのか、先ほど魔物たち相手に奮戦していた時の凛々しさも忘れ小さく悲鳴を上げる少女の顔が、みるみる引きつっていく。


 花も恥じらう清楚な美少女に怯えられる…………うーん、これはヤバいな。何という背徳感と高揚感。俺の中で、何か新しい扉が開く音がしてきたぞ。


 とうとう耐え切れなくなったのか、少女は二度、三度と躊躇う素振りを見せた後、


「……え……えっと…………く、『くっ……殺せ』…………?」


 もはや半分泣きそうになりながら、それでもなんとかそう呟いた。


 ――次の瞬間。


 晴れ渡る空の下。石畳の街道に一人の健全な男子高校生の雄叫びが響き渡り、直後にその雄叫びが、一人の少女の罵声とハンマーの一撃によって苦痛の悲鳴に変わったのは、言うまでもないことだった。


※   ※   ※


 動力である馬が逃げてしまい、一時はどうなるかと焦ったものだったが、そんな心配も今、目の前で馬車を引いているガルムが全て解消してくれた。


 よほど俺のマッサージが気に入ったのか、このワン公は仲間になりたそうな目でこちらを見つめてきたので、馬役として採用することにしたのだ。俺よりも仕事を見つけるのが上手いやつだ。


「それでは、お二人はスパニエルを目指しているのですね?」

「はい。レークランドの方に行くつもりならスパニエルに寄るのが良いって、ウィペット村の村長さんに教えてもらったんです」


 まだ鈍い痛みが残っている後頭部を擦りつつ手綱を握る俺の背後から、ジャックたちの親しげな会話が聞こえてくる。



「レークランドですか。行ったことはありませんが、ペンブローク王国の中でもかなりの大都市と聞いています。この辺りからも距離があるそうですし、途中には大きな町もありませんからね。そういうことなら確かに、スパニエルで旅支度を整えるのが良いでしょうね」

「そうなんですか? う~ん、そういうことなら何日か腰を据えて、じっくり準備した方がいいかも。別に急ぐ旅でもないしなぁ」

「それなら、私が街を案内しましょうか? 私、こう見えてスパニエルの街の騎士団に所属している騎士なんです。と言っても、まだまだ新米ですけれど。

 でも、武器や防具、その他道具や素材のお店など、色々と紹介できると思います。勿論、お邪魔でなければ、ですが」

「え、本当に? ありがとう! それは助かります!」

「フフフ、はい。了解しました」


 終始穏やかで、言葉の端々から俺たちへの無償の気遣いが滲み出ている美少女騎士さんの口調に、俺は心底癒されると同時に、心底罪悪感に押しつぶされそうになる。


 ああ、こんなよくできた娘さんに、俺はなんてひどいことをしてしまったのだろうか。反省しよう。


 そして次からは、もっとソフトなイタズ……コミュニケーションを図っていこう。


 ああ、そうしよう。


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