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第12ページ

『たったいま助太刀に現れたと思った通りすがりの少女が、次の瞬間には何もしないまま逃げ出していってしまった。あの少女は一体何をしに出てきたのだろうか? 馬鹿なのだろうか?』


 走り去るジャックの背中を見つめ、心底困惑した様子のあの旅人さんの心境を文字に書き起こしたら、きっとこんな感じなんだろう。


 などと考えている内に、息せき切ってこっちに戻ってきたジャックは素早く荷馬車の荷台に飛び乗ると、顔だけを荷台から覗かせて、耳を丸めて縮こまってしまった。


「お、おい、どうしたんだ? あの人に加勢するんじゃなかったのかよ」

「そそ、そのつもりだったんだけど……ご、ご、ごめん! あいつは……ガルム系の魔物だけは無理! 絶対、無理! ボクは戦えない!」


 震えるジャックの声に、俺は改めて魔物の群れに視線を走らせる。


 三、四匹程度の群れを成す、茶色と緑色の体毛に覆われた、大型犬のような魔物。竦み上がるほど低い声でガルル、グルル、と唸り、血走らせた眼球の下にはギラリと凶悪な牙が光る。


 なるほど。あれが、魔物か。


 いやしかし、魔物という存在自体を初めて目にするので判断できないが、少なくとも俺よりは戦い慣れているだろうジャックがここまで怯えるとは、一体どれほど厄介な魔物なんだろうか?


「……なぁ、あいつらって、そんなにヤバい魔物なのか?」


 さすがに俺も不安になり、緊張にゴクリと唾を飲み込んだ。


 ガルム、といったか。俺たちでは対処しきれないレベルのヤバさなのか、それとも出くわしたら即刻逃げるべきヤバさなのか、はたまた出くわしたが最後、潔く死を覚悟せねばならないレベルのヤバさなのか。せめて、三番目ではあって欲しくないのだが……。


「……ルギー…………なの」


 俺の問いに、ジャックが震えながら答えた。が、声が小さくてよく聞こえない。


「え? 何だって?」


 再度の問い掛けに、ジャックは荷台から少し身を乗り出して、それから何故かほんのりと頬を赤く染めながら、意を決したように声を張り上げた。


「だからっ! ――ボク、犬アレルギーなのっ!」

「犬の亜人種なのにかっ!?」


 あまりに予想の斜め上過ぎる回答に思わず声を張り上げてしまい、それが災いしたのか、旅人さんに群がっていた魔物の中で、一際でかい体つきをした奴が標的を俺に変更した。


『グルルルッ、ガァァッ!』

「あっ」


 虚を突かれて叫ぶ旅人さんの脇をすり抜け、おそらくは群れのリーダー格らしい、馬ほどの大きさの一体が唾を飛ばしながら向かってきた。走る勢いそのままに、俺の喉笛を噛みちぎらんと御者席目掛けて大ジャンプ。大きく開かれた、トラバサミみたいな口が迫ってくる。


「よ、避けて! シバケン!」

「うぉぉっ?」


 咄嗟に御者席から横っ飛びに飛び降り、俺は地面にすっ転がる。間一髪、ガルムの必殺の牙はついさっきまで俺の頭があった虚空を切り裂いた。


 が、運の悪いことにその勢いのまま、御者席と馬を繋いでいたロープまでぶち切られてしまう。


「あっ、馬がっ!」


 ガルムに飛びかかられて驚いた馬は甲高くいななき、乱暴に千切れたロープを引きずって、街道横に広がる深い森へと一目散に逃げていってしまった。


 狙いを外してしまいお怒りなのか、飛びかかってきたリーダー格のそいつは走り去る馬には一瞥もくれず、尻餅をついて冷や汗を浮かべる俺の方だけを真っ直ぐに見据えた。


『ガルルルル……』

「……こ、これは…………詰んだ、か?」

「危ないっ……くっ、この!」


 絶体絶命の俺の姿を見て、すわ一大事、と駆け出そうとした旅人さんだったが、その行く手を阻むように取り巻きの魔物たちが躍り出る。こっちの助けには、来れそうにない。


『グルルアァァァ!』

「シバケン!」


 もう待ちきれないとばかりに、ガルムが俺に向かって飛びかかって来た。


 ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい! 俺、もう数秒後には………………死ぬ?


 そう思った瞬間、ジャックが上げた悲鳴がひどく遠くに聞こえるような感覚を覚えると同時に、何故だか俺の脳みそが凄まじい勢いでフル稼働し始めた。


 頭の中で、ありえないくらい大量の情報を、ありえないくらいの速度で取捨選択している。


 よく「火事場の馬鹿力」なんて言葉が使われるが、今の俺は正しくその状態なんだろう。ピンチの時に体が物凄い力を発揮するという話だが、それは何も腕力や脚力だけではなく、記憶力や思考力なんかも、どうやら常時とは比べ物にならない力を出してくれるらしい。


 魔物……ガルム系……でかい犬みたいな……大型犬……犬……犬の生態は……。


(――これだ!)


 さながら凄い速さでバラバラと捲っていた分厚い本のページをピタリと止めるように、俺の脳裏に、一か八かの一手が浮かび上がった。


 俺は座り込んでいた腰を上げ、猛進してくるガルムに対し、両手両足を広げて相撲をとるような格好で迎え撃った。


「――『トップブリーダーに訊く! 愛犬を手懐ける四十二の方法』、第二十五項!」

『ガァァァァ!』


 飛びかかって来るガルムの凶暴な牙を、すんでの所で顔の横に受け流しつつ、


「『ワンちゃんは、背中の尻尾の付け根辺りを撫でてあげると喜びます』!」


 目一杯伸ばした右手で、ガルムの大きな尻尾の付け根を思いっきり撫で回した。


「ヨーシ、ヨシヨシヨシ! ヨーシ、ヨシヨシヨシ!」

『ガ、ガルル……!?』


 俺の、文字通り命懸けの全力ナデナデ攻撃を受けたガルムは、一瞬驚いて体をよじり、最初の方こそ俺を警戒心むき出しで睨みつけていたものの、


「ヨーシ、ヨシヨシ! なんだお前、いかつい見た目とは裏腹に、撫で心地は最高だな!」

『ガ、ガウ? アウ……』


 やがて完全に戦意を失ったらしく、むき出しにしていた警戒心と牙を納めた。それからは俺に撫でられるままで、しまいにはその場にドサッと座り込み、気持ち良さそうに目を瞑る。


「う、ウソ……? ガルムを、こんなあっさり……?」


 唖然とするジャックと旅人さんを横目に、俺は、一匹の怪獣を懐柔した。


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