第11ページ
空高くに燦々と輝く太陽の直射日光が、俺の黒いヨレヨレパーカーにやたらと熱を帯びさせる。うだるような暑さ、とはいかないまでも、さすがに少し蒸し暑くなってきた。いい加減、ここらでひとつゆっくり涼みたいところだが、生憎と眼前に長く伸びている石畳みの街道には、木陰の一つも見当たらない。
ああ、喉が渇いた……。
「なぁ、ジャック。そろそろ操縦を代わって欲しいんだけどな?」
俺はパーカーの首元を摘まんでパタつかせながら、上に日差し避けの布を取り付けたお陰で快適空間と化した荷台に座る、寛いだ様子のジャックを振り返った。
「なに言ってるのさ。さっき交代したばっかりだろ? まだ代わってあげないよ」
ジャックはヒラヒラと手を振ってにべもなく拒否してから、
「フフフ、まさか二人旅にこんな便利なことがあるなんてね。移動中に鍛冶ができるなんて、一人で旅していた時には考えられないことだよ! お陰でここ最近ははかどる、はかどる!」
言って、荷台に積まれた袋から、時折鼻歌さえ歌いながら何かを取り出していく。
出てくる、出てくる、青みがかった綺麗な石や、何かの動物の骨や皮。
ジャックがこれまでに集めてきた、武具の素材の数々だ。
よりどりみどりのそれらを前に、それからしばらくの間、荷台の側面に貼り付けられた何枚かのメモ用紙(俺がジャックの知っている武具レシピを口述筆記したものだ)を難しい顔で眺めた後、ジャックは何事か決まったという風にポンと手を叩いた。
「うん! 今日はショートソード五本、ヨロイガニの盾六枚、それから矢とか爆弾とかの消耗品をいくつか……これでやってみよう!」
言うが早いか、ジャックは取り出した素材の内のいくつかを選んで手元に寄せると、腰回りに装備していたポーチから小型の金槌を取り出した。
そのままひとつ大きく深呼吸をして、
「――よしっ」
短くそう呟き、並べられた素材の数々を金槌で軽く叩き始めた。
途端にそれぞれの素材が仄かに光を帯び、互いに引き寄せられるようにして一つ所に集まっていく。
あっという間にバラバラだった素材たちが一つの塊となり、独りでにその形を変え、最後に一際大きく光り輝いたかと思えば、次にはそこに一本の立派な短剣が出来上がっていた。
「……よしよし、まずは良い出来の一本ができた」
素材を集めて叩いたら、あとは勝手に出来上がる。三分クッキングもかくやというほどのお手軽さだが、これがジャックの習得している「スキル」、《鍛冶職人》の基本技能だという。
鍛冶、なんて言うから、炉とか金床とかの大道具を使ったもっと大掛かりな作業を想像していたのだが、この世界ではどうも違うらしい。
「スキル」を習得している者であれば――勿論、そこには個人個人の腕や習熟度の差はあるが――このように簡単に物を作り出せる。それが、この〈アイベル大陸〉で暮らす者たちの共通認識であるようだ。
「『スキル』ってのは、つくづく便利なシステムだよなぁ……」
「まぁ、同じ作業をするんでも、『スキル』があるか無いかでだいぶ違うからね」
ジャックはその後も調子良く金槌を振るい続け、荷台には続々と新品の武器や防具、小道具などが置かれていく。ここ数日の同じような作業のお陰で、今や荷台には人ひとりがやっと座れるようなスペースしか残っていなかった。
「さぁ、それだけ作れればもういいだろ。そろそろ操縦を代われください」
「フン、フン、フフ~ン! ワフッ♪」
返事が無い。
どうやらただの屍……ではなく、完全に熱中しているようだ。
このままこいつがこの調子だったら、俺がずっと馬車を操縦することになっちまうのか?
「嫌だなぁ。はぁ、早くスパニエルの街とやらに着かないもんか…………お?」
いまだなお途切れる気配のない長い石畳の街道に、いい加減飽き飽きして肩を竦めたとき、真っ直ぐに伸びていく街道の遠く先から微かな喧騒が耳に届いた気がした。
怪訝に思って目を凝らしてみれば、細長い棒状の物を振り回している人物が、何やら数匹の獣にしきりに飛びかかられている光景が目に入ってくる。
荷馬車が彼らに近付いていくにつれ、それがどうやら、何者かが数匹の獣に襲われている場面らしいとわかり、俺は慌てて荷台のジャックに呼び掛けた。
「おい、ジャック」
「ジャックは取り込み中で~す。だから何も答えられません」
「答えてるだろうが。おい、ふざけてる場合じゃないんだ。この先で、誰かが襲われてる」
俺の切羽詰まった口調に、そこでようやくジャックは面を上げて、荷台から御者席越しに前方を見やった。
と、ジャックの目が弾かれたように見開かれる。
「ほ、本当だ! 旅人、かな? あの人、魔物に襲われてるよ!」
「ま、魔物ぉ?」
ああ……さすがはおとぎ話のような世界。
やっぱり魔物とかモンスターとか、そういった類の生物が存在するのね…………つくづく本物の異世界は伊達じゃねぇな、おい。
「大変だ、助けなきゃ!」
言うが早いか、俊敏な動きで御者席に飛び込むと、隣に座る俺からむしり取るように手綱を受け取り、ジャックは力一杯ムチを叩いた。
カッポ、カッポ、と緩やかな速度で街道を進んでいた荷馬車が、途端に土煙を巻き上げながら爆走する。
「おい、おいおい何する気だ? 助けるって、加勢する気なのか?」
「勿論! 見たところそこまで数も多くなさそうだし、ボクとシバケンがあの人に協力すればなんとか撃退できるよ! 何でもいいから、戦う準備をしといてね!」
向かい風に獣耳や髪を揺らし、そんな勇敢なことを言うジャックの右手には、既に一振りのハンマーが握られていた。
女子としてごく平均的な身長であるジャックの、つま先から胸の辺りまでの長さはある棒の先端に、黒地に碧色の線が入った重厚な鉄槌が付いている。
戦闘から麻袋の重しまで何でもこなすジャック愛用の武器、「ジャック・ハンマー試作一号」、だそうだ。
左手で手綱を握り右手で黒く輝くハンマーを掲げるその姿は、とても勇ましくて絵になっている。その端整な顔立ちも相まって、今まさにお姫様を助けに行く女勇者のようにすら見えた。
…………だからこそ、そんな彼女にこんなことを告げるのは誠に忍びなかったのだが、黙っていて後でもっと状況が悪化するのは避けたかったので、仕方なく俺は呟いた。
「あ~……一つ言っておく。俺を戦闘要員の頭数に数えているなら、それはやめておけ。足元をすくわれるぞ。俺は全く、戦えないんだからな」
「うんっ、わかった! ……って、えぇぇぇ!?」
当たり前だ。
俺はただの作家志望の高校生で、それはこの異世界に来たとて何ら変わりはないのだ。
異世界ファンタジー系小説の主人公にありがちな、「人智を超えた能力」やら「異世界人の何倍も強靭な身体能力」やらを授かった、みたいな設定があるわけでもない。
俺に授けられたものと言えば二冊の本と、本を書くのには便利な程度の小技だけ。
あとはまぁ、精々このナップザックくらいのものだが、こんなもんはナイフとランプを詰め込んでしまえばそれでおしまいだ。怪物相手には何の意味もない。
「そういうわけで、俺は馬車から応援してるから、お前はあの人と協力してなんとか魔物を撃退してくれ。心配するな。戦いは無理だが、自宅、もとい拠点警備なら慣れたもんだから」
「そんな情けないことをそんな自慢げに言わないで欲しいなぁ! ちょっと待ってよ、ボクだって別にそこまで戦い慣れているわけじゃ……!」
そうこうしている内にも、一度猛スピードで走り出した馬車はどんどんと魔物の群れに近付いていく。そろそろ減速しないと、このまま魔物もろとも襲われている旅人さんまでひき殺してしまう。不平の声を一旦喉元まで引っ込めて、ジャックは手綱を引っ張った。
疾走していた荷馬車が、やや無理矢理に減速していく。俺は振り落とされまいと近くのとっ掛かりにしがみつくので精一杯だった。
やがて荷馬車は魔物の群れから少し離れた手前で止まる。ハンマー片手に御者席から飛び降りたジャックが、去り際に「本当に情けないんだから!」と俺をキッと睨み、そのまま〈犬人種〉特有の俊足でもって、あっという間に駆けていった。
「いってて……そんなこと言ったって、しょうがないじゃないか」
急停止の衝撃で御者席からずり落ちてしまった体を立ち上がらせ、俺は頭を掻きながら前方に目を向けた。勇猛果敢に走っていくジャックは、やがてこちらに背を向けて魔物の群れと対峙する旅人さんの隣に陣取り、二言三言交わして眼前の魔物達に視線を走らせると、
「…………はぁ?」
――何を思ったのか、半べそをかきながら、猛スピードでこっちに逃げ戻り始めた。




