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「せめてもの感謝の印です。どうか受け取って下さい。ウィペット村の特産品、『ショコロの実』です」
「うわぁ、こんなに沢山! 本当に良いんですか?」
「もちろんですとも。厳しくも豊かな自然に育まれた、自慢の作物でございます。あなた方の旅の助けになれば、これほど光栄なことはございません」
市場での買い物を終え、大勢の人に見送られながら村の入り口まできたところで、バセットさんに引き連れられていた何人かの人が、荷馬車の荷台に大きく膨らんだ袋をいくつかのせる。
「こりゃ凄いな。ありがたいけど、こんなに食べ切れるかな?」
袋の中一杯に入っていたのは、昨日市場でも見かけた、青色と黄色のマーブル模様という攻めた見た目の不思議な果物。あれって、この村の特産品だったのか。
「かなり日持ちする果物ですから大丈夫ですよ。道中、ゆっくり召し上がると良いでしょう」
「はい、大切に頂きます! ありがとう、村長さん!」
「ほほっ、どういたしまして。して、お二人はもう次の目的地は決めておられるのですか?」
バセットさんの問いに、ジャックが頭を掻きながら答えた。
「取り敢えず、レークランドの方角に向かって行こうとは思ってるんですけど……この辺りにはあんまり詳しくないから、細かいことはまだ決まってなくて」
「ほう、そうでしたか。でしたら、まずはスパニエルの街を目指すのが良いでしょうな。中小都市とはいえ、あそこは王都と地方との中継地に指定されていますから、この辺りの村々よりは色々と旅の装備や情報など整えられるでしょう」
ジャックの持っていた地図に、バセットさんがペンで丸印を付けてくれた。大きな山脈の麓辺りに位置する場所。どうやらそこに、スパニエルの街とやらがあるようだ。
俺とジャックは再びバセットさんにお礼を言って、名残惜しそうな顔をする村人たちに見つめられる中、荷馬車へと乗り込む。
「それじゃあ、村長さん。ボクたちそろそろ出発します。色々とお世話になりました!」
最後にジャックが締め括り、俺もひらひらと手を振った。
「あなた方の旅が、良きものとなりますように」
バセットさんをはじめ、村人たちの盛大な見送りを受けながら、荷馬車はゆっくりと動き出した。段々と、村人たちの姿が小さくなっていく。
「ふふふ、凄いや。まだ手を振ってくれてるよ」
遂に豆粒ほどにしか見えなくなるほど離れても手を振っている彼らを見やり、ジャックが嬉しそうにそう言った。
きっと俺たちが見えなくなるまで、彼らはああして見送ってくれるのだろう。
「あんなに人を喜ばせられるなんて、作家って、なかなか素敵な仕事だね? まぁ、キミが素敵かどうかはともかくとしても、だけどさ」
なんて言って悪戯っぽく笑うジャックを尻目に、
「まったくもって同感だ。前半はな」
とニヒルに返して、俺も姿が見えなくなるまで、村の人たちを見つめ返した。
※ ※ ※
〈大陸歴五〇××年、ショハムの二十五日。
筆者が遥か彼方の現実世界(以下、「地球」と記す)から、このおとぎ話や空想の舞台のような異世界(以下、「アイベル大陸」と記す)にやって来てから、はや二週間が経った。
筆者は旅を始めるにあたって、アイベル大陸における人々の生活様式や文化などを知るべくかの地での旅の記録を紀行文として纏める、という目的を定めており(正確には筆者をここに送り込んだ者に定められたのだが)、色々と情報が集まってきたので、この辺りで一度それらを整理し書き連ねていこうと思う。
とはいえ、アイベル大陸での旅を始めてから起こった諸々の出来事を全て細かく書いていくのは、読者にとっても筆者にとってもわずらわしいだけなので、ここでは筆者が旅の間に見聞きしたことを項目別に説明、紹介(情報が集まり次第、随時加筆、修正)していく方式を、主に採用したいと思う。
【アイベル大陸】
今回、筆者が旅をすることになった場所である。
筆者が暮らしている地球とは異次元の場所に存在する、「異世界」だ。風土などに関しては地球のものとそう大差はないらしく、日付(一年は地球と同じく十二の月に分けられており、一月に当たる月は「オデム」、二月は「ピトダー」……という風にそれぞれに決まった呼び方があるそうだ)や、時間間隔(一日は二十四時間より少し多いくらいか)も同様のようだ。
しかし、現地で使用されている地図などを見るに、村と村、街と街の間は少なくとも歩いて数日はかかる距離があり、その間には基本的に街道か森か草原くらいしかなく、インフラの整備や土地の開拓は点々としか行われていないようだ。
地球におけるニューヨークや東京といった大都市をゴムシートの上にのせ、それを東西南北にうんと伸ばし広げ、そこに中世欧州のような自然景観をドンと乗せた状態、とでも言えば、あるいはわかり易いかも知れない――――
【亜人種】
アイベル大陸における一般的な知的生命体。
体格や顔立ちは普通の人間とあまり違わず、理性的で、識字率に関してはあまり高くはないものの知能も人間のそれと大差ないが、体の随所に人以外の生物のものと思しき特徴が見られる。
頭と腰に犬や猫といった様々な動物のものらしき耳や尻尾などを生やしている、爪や牙などが常人以上に発達している、皮膚の一部が爬虫類の鱗のような物で覆われている、など。
また、人以外の生物の身体的特徴が特に顕著な者は「原種」と呼ばれている。〈犬人種〉や〈鳥人種〉など、その種族の数も実に多岐に渡るらしい。
生活様式は、こちらも至って普通の人間と同じで、手に職を持つ者は鍛冶屋やパン屋などを経営し、それ以外のものは農業や家事の傍ら裁縫などの副業をして生活しているという。
しかし、彼ら【亜人種】の身体能力は人間よりも遥かに優れている。
例えば〈犬人種〉であれば、筆者にはとても持ち上げられないような重さの荷物を軽々と持ち上げる腕力、山一つをあっという間に超えるほどの健脚、広範囲に及ぶ高性能の嗅覚、などが挙げられる。
子どもであってもそれは変わらないようで、筆者が立ち寄ったとある村の子どもたちは四メートルほどの高さはある建物の屋根から飛び降りて遊んでいたが、骨折はおろか怪我一つ無い様子だった。
それくらいならできるかも知れない、と子どもたちに混じって筆者も思い切ってやってみたら盛大にすっ転んだ。もう二度とやらない。
一方で「純粋な人間はいないのか?」という筆者の疑問には、「純粋な人間は数多ある種族の中でも希少で、大陸でも政治や経済の中心地にしかいない。そんなことも知らないなんて、一体どんなド田舎から来たんだ」という意外な答えが返ってきた。
どうやらこの世界では、筆者のような純粋な人種、〈人間〉は、かなり珍しい存在のようだ――――
【ウィペット村】
筆者がアイベル大陸に来て最初に滞在した、リード平原の丘陵地帯に位置する村。
人口は約百二十人。総面積の半分ほどは畑や果樹園などで占められている小さくて穏やかな農村だが、リード平原西部にあるベスカラー樹海に狩りをしに行くハンターや、逆に東部に点在する諸中小都市を目指す旅人の休憩所ともなっているようで、そういった者たち向けに市場や酒場、宿屋といった施設も存在する。筆者も、ここで一泊お世話になった。
余談だが、筆者がこの村に滞在中立ち寄った酒場で酒は飲めない旨を伝えたら、「アンブル」なる飲み物が供された。いわく、大都市から辺境の村までどこの酒場にも必ず置いてある、アイベル大陸におけるごく一般的な飲み物らしい。地球でいうところのお茶やサイダーのような存在か。
試みに飲んでみたところ、あまりの不味さに壮絶な不快感、倦怠感、食欲不振、軽度の頭痛や吐き気、果ては将来に対する漠然とした不安までもを催した。これが飲めなければ、あとは酒か牛乳くらいしか飲むものがないという話だが、未成年な上に牛乳を飲むと九分九厘腹を下す体質の筆者に救いはあるのだろうか…………早急に対策を考える必要があるかも知れない。
また、村全体が栄養豊富で撥水性の高い土壌の上に位置し、村のすぐ東に大きな川が、北には豊かな山林があることなどから農業や採取が盛んである。
生産できる土地が限られ、非常に扱いが難しい作物として知られているらしい「ショコロの実」が村の特産品となっていることからも、ウィペット村が豊かな自然の恵みとともに在ってきたことが窺えるだろう――――
【ショコロの実】
マルバセル科の常緑樹ショコロの果実。
ウィペット村の特産品で、薬の材料にもされることがあるほど栄養価が高く、村人たちにも大変重宝されている食材の一つ。筆者が村を出発する時に、ウィペット村の村長がお土産に持たせてくれた。
青と黄色のマーブル模様という特異な見た目をしており、食べてみようと決心するまでそれなりに時間が掛かった。が、一度口にしてみれば、筆者はもうこの果実の美味さに病みつきになってしまった。
食レポの経験が皆無な筆者にはその美味さを何と表現するべきか、上手い言葉が見つからないが、簡潔に味に関して言うならば、「某ベルギー王室御用達のメーカーもびっくりの超美味いチョコレート」である。
アイベル大陸にこれほど美味いものがあるとは……今後の紀行文執筆の旅に、新しい楽しみができた――――
……そういえば、現地で知り合った旅の連れの紹介を忘れていた。ジャックという〈犬人種〉の少女で、ウィペット村に来る道すがら出会い、成り行きでしばらく一緒に旅をすることになった。明るく快活で、少し乗せられやすい所がある、本当に犬みたいな性分の可愛らしい少女だが、どうも筆者のことを「胡散臭い奴」だの「変態」だのと誤解している節がある。
これからの旅で、徐々に彼女の中の筆者の心証が良くなっていけばいいのだが…………。
大陸歴五〇××年 ショハムの月 二十五日〉




