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意識探偵  作者: 和泉茉樹
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非情の行方 (2)

 トキオ・シティの鉄道は、環状線を中心とした鉄道網が地上にある他に、地下鉄が複雑に走っている。大戦の最中に戦闘の影響で崩落して埋まり、そのままにされている線もある。

 そんな複雑怪奇な地下鉄にはそれぞれに整備網があり、そのための通路も複雑を極ている。

 俺はメインを地上に残して、一人で地下へ降りた。地下鉄の駅から、こっそりと整備路へ出て、奥へ進む。薄暗い通路を階段を経て、たどり着いたのは小さな部屋だった。

 何度か来ているここは、大戦中に防空壕として作られたらしい。照明が作り直され、眩しいほどに明るい。少し目が眩むが、すぐに馴染む。

 部屋には長机がいくつも置かれ、パイプ椅子も多い。そこにそれぞの服装、面持ちの男女が座っている。こちらを見るものも見ないものもいる。こちらを見ないのは、意識に集中しているからか。

 俺が空いている席に座ると、近くにいた中年男性が、自分の頭を指で示す仕草。意識をつなごう、というサインだ。

 俺は頷いて、意識を操り、男と個人的な通信を始める。

(あんたがアスカだな? この計画は成功するのかな。どうなんだ、いったい)

(やってみればいいさ。そうすればはっきりする)

 口を動かさずに会話している男が口をへの字にする。

(他人事のようだが、まさか抜けるつもりか?)

 俺は笑いの気配を返しておく。相手が動揺する気配。

 その時、部屋中に響く意識の声が発せられた。カジノ強盗計画の首謀者である男の声だった。俺はよく知っているが、大きいことをやりたがる一方で、ツメが甘い男だ。それでも、成功した計画も多い。

 会議が始まり、全員の意識が共有される。それを円滑にするシステムがこの部屋に設置されているのだ。共有領域で、全員の意識の一部が連結される。

 俺の視界に、瞬くように無数の画像、動画が展開する。共有領域で総合されている情報だ。カジノの外観から内部の情報、金庫の位置と侵入経路と脱出経路。警備員の巡回ルートまであった。片隅に所要時間の数字が表示されている。それらの全てが変動するのは、参加者が情報を追加しているからである。

 意見が飛び交い、まるで罵り合っているような状態になる。俺はあまりに汚い言葉はフィルターで弾き、埋もれそうな細部に集中する。でかい声は自然と聞こえるものだ。

 感情の揺れも激しく、飲まれないようにするのに骨が折れる。やる気満々で攻撃的な奴もいれば、失敗を恐れがある不安になっているものもいる。極端な感情はフィルターで除去。

 徐々に全体の方向性が決められていく。

 ナイトフッドという店は中堅のカジノだが、収入は相当なものだ。これを現実面と意識面、両方から攻めて、金銭を巻き上げるのだ。細部は今、詰められているが、現実面の強盗など前時代的というのが俺の意見。言わないけど。

 俺は自分の頭の中で、強盗計画の細部を何度もシミュレーション。うーん、意識面ではどうにかなりそうだけど、現実面における追跡を振り切れるかが微妙なところだ。奪った金のロンダリングも、遅いように思える。足がつくんじゃないか。

 ここで俺がそれを指摘し、フォローすることもできる。できるけど、それをやると余計な波が起こるだろう。それを首謀者とその取り巻きが望まないのは間違いないな。

 そもそも、奪った後の金の分配が偏りすぎている。誘われたから加わる気になったが、これではあまりに安すぎる。勉強になるなら良いかとも思ったけど、メリットは小さい。

 抜けるかな。やっぱり。

(悪いが)俺は何気なく、全員に聞こえるように発言。(抜けさせて欲しい)

 一瞬、場が静まり返る。意識が静まり返るのは珍しいことだ。

 そして反動のように巨大な意識の塊が俺に押し寄せた。それをやり過ごし、首謀者の声に集中する。

(抜けると言って、そのまま抜けさせると思うか? アスカ)

(そのまま抜ける気はないよ。情報錠をかけたいんだろ?)

(当たり前だ。我々に害をなしてもらっては、悲劇的な結果を招く)

 悲劇的。悲劇、と言えば良いものを。

(じゃ、情報錠だ)

 俺の宣言に、周囲がざわめく。

 情報錠とは、指定した情報を意識できないようにする錠で、大抵は複数人の署名で解除できるように設定する。一人でも署名が欠ければ解錠されず、また、この情報錠を破るのは極めて困難だ。一流のマインド・ハッカーでも破れないとされる。

 俺も、破った経験はない。

(他に抜ける奴は、今言うべきだぜ)

 俺がそう言うと、数人が名乗りをあげた。場に動揺と不快感が広がる。

(良いだろう)

 首謀者が怒りを押し隠せずに、言う。

(情報錠の署名の人数は七人だ。こちらで今すぐに選ぶ)

(お好きに)

 俺の余裕に、また場にざわめきが起こる。

 こうして、俺はカジノ襲撃計画の細部に関する情報を封印された。カジノ襲撃計画という基礎の基礎を忘れることはできない。だけど、いつ、どこのカジノを、誰が襲うのか、どういう手法を使うか、などは全くわからなくなった。

 現実に意識を戻し、席を立つ。他にやはり計画を抜ける数人が俺に続いた。見るからにマインド・ハッカーが大半で、二人は明らかに実働部隊の一員だっただろう男たちがいた。顔を覚えておこう。

 俺たちの間で会話がないのは、ここにいる数人にわかるのは、カジノ襲撃計画から抜けた、ということだけで、他に何も意識できないからだ。計画について議論しようにも、もう意識できない。そして、雑談をするメンツでも場所でもない。

 地上へ戻ると、軽く会釈して、一人になった。

 さて、カジノ襲撃計画、うまくいくのだろうか。俺には関係ないし、もう、計画の実現性は想像もできない。

 こちらに気づいたメインが、自転車を押して近づいてくる。

「うまくいきそうか?」

 そう言われても、俺にはもう何もわからない。

「開けてみてのお楽しみだな」

「え? もしかしてアスカ、情報錠を受けたのか?」

「そうらしいね」

 メインが呆れた顔になるが、しかし今更どうしようもないと悟ったようだ。

 すでに街には夕日が落ちてきている。

「仕方ないな」メインが眉をハの字にする。「夕方から、会食だ。その予定は覚えている?」

「当たり前だろ。記憶喪失とは違う」

 俺はメインの自転車の後ろに乗り、次の予定へ向かう。


 トーヨウ電子という企業は、トキオ・シティでの発言権を狙う企業の一つだ。

 規模は中程度。ただ、技術力はあると俺は見ている。

「この店はいい店だな」

 俺の向かいにいる中年の男が言う。年齢の割に頭ははげ上がりつつあり、肌も脂っぽい。人懐っこい顔に見えるが、それはあごの下の肉のせいだろうか。

「そうですね、部長」

 俺の斜め前の若い男が応じる。ハゲ頭の男は鷹揚に頷いている。

「どうだね、アスカくん。ここより良い店がトキオ・シティにはありそうかね」

 この店もトーヨウ電子と同様、中程度の店だ。もっと良い店を俺は何軒も知っている。知っているけど、それを言うべきではないだろう。

「また調べておきましょう」

 そう応じるに留める。そんな気遣いも気づいてもらえないようで、話題が変わる。

「それで、こちらが求めている情報は手に入ったかな?」

 このおっさんは、情報の本質をよく考えたことがないようだ。

「情報というのは」

 俺は料理を食べつつ話す。もちろん、嫌味だ。

「自然と入ってくるものではありませんし、こちらからの行動のみで手に入るものではありません」

「ふむ?」

 少しは不快感を持ったような口調で、続きを促してくる。なら、少し続けてやるか。

「情報を手に入れる時に最も重要なのは、情報の発信者という存在なのです。どんな情報でも完全に保護することが可能です。それは、誰も知らないようにすることです。簡単に言えば、通信網に載せないわけです。どんなハッカーにもアクセスできない、スタンドアロンな状態で保存すれば、物理的に盗まれない限り、誰にも情報を盗まれることはない。人間の記憶も、意識を閉じれば、おおよそ、完全に機密保護できる」

「そんなことはわかっている」

 いよいよ苛立ってきたな。

「なら良いのです。情報は探っていますが、今のところ、部長がお求めの情報を持っている人間は、情報への経路を作っていません。それが生まれるのをお待ちください」

「どれくらいだね」

「わかりませんよ。わかったらお伝えしましょう」

 ここで若い男が話に加わり、俺にマインド・ハッカーの業界について説明を求めてきた。俺は適当に応じた。

 他人を操縦したり、核兵器の発射スイッチを遠隔操作したりできるのか、などと言われて、思わず笑ってしまった。どうやら創作の世界が好きなようで、デタラメな活躍を期待しているようだけど、現実にはそんなことはない。

 そんな空想が口に登るのは、マインド・ハッカーの実際というものが広く知られていないところによる。

 まぁ、こういうくだらないトークも、たまには良いものだ。

 会食が終わり、ハゲ頭は俺に念を押して、部下の男とともにタクシーで帰って行った。

 俺はしばらくそこに立ってタクシーを見送り、見えなくなってから、息を吐いた。かすかな音と共にメインが自転車でやってくる。俺のすぐ横で降りた。

「疲れているようだね」

「会食という文化は無駄の極みだな。ほとんど無駄な会話だ、ファストフードでやれば良いんだ。何事も速度が大事だと思うよ、こういう時。通信速度も、マンガの連載も」

 愚痴ってから、俺とメインはトキオ・シティにある飲食店のランキングについて議論しつつ、自分たちの部屋のあるホテルへ自転車で向かう。

 俺には特定の住居はない。短い期間でホテルを転々とする。トキオ・シティには手ごろなホテルが無数にあるので、そんなことが可能になる。

 ホテルは良い。ベッドメイクも、アメニティも、クリーニングも、完備されていて非常に便利なのだ。

 そのホテルの前で、メインがぼそりと言う。

「警察がいるよ」

 頷いておく。

 不快なことに、タクシーを待っているのを装っている背広の男は、どう見ても警官だ。私警だと暴力の気配が告げてくる。私警はスパイに向いている人材が不足していると思う。まぁ、そういう連中はいたとしても虎の子の可能性もある。

 メインとはここで別れる。さりげなく一人でホテルの中へ。

 ロビーの喫茶椅子にも私警が二人いる。カウンターで鍵を受け取る。その時、紙のメモが手渡される。一瞥して内容を把握し、礼を言って、エレベータへ。

 紙には、警察による部屋の捜索を許したことに関する謝罪が書かれていた。こういう気遣いは嬉しいが、まぁ、このホテルも近いうちに引き払うだろうな。

 部屋にたどり着き、鍵を開け、部屋の中へ。

 私警にも常識はあるようで、部屋が荒れているというようなことはない。朝のままだ。

 冷蔵庫を開けてコーラの瓶を取り出す。何も知らないふりをしてコーラを飲みつつ、部屋の中の様子を確認する。盗聴器といった古い装置はないようだ。ただ、意識を共有領域へ飛ばす加速器に細工がされているのが分かる。加速器が置いてある辺りに、いじった痕跡があるのだ。

 まぁ、注意すれば、警察に余計な情報を与えずに済むだろう。

 コーラを飲み終わり、空き瓶を冷蔵庫の上に並べる。服を部屋着に着替えて、ベッドに腰掛ける。

 意識を集中し、共有領域へ飛ばす。俺の感知できる範囲で交わされる意識の交信が巨大な海のように広がる。

 まずはクラッカーに狙われているという情報の見返りとして、外国の武器商とどこかの中堅企業の爆薬の取引を、巧妙に消した。連中が現実世界に何の痕跡も残さないわけがないので、この俺の仕事は根本的な隠蔽ではない。

 無駄な仕事のようにも思えるが、俺の隠蔽工作で少しは時間が稼げるし、その時間で逃げを打てるだろうと思えば、無駄ではない。

 サービスでちょっと丁寧に作業して、それは一段落。

 俺を狙うクラッカーの存在を探るけど、出てこない。有名どころが出てきていると思うが、知っている範囲では動きがない。けれど、注意は必要だ。

 嘘の情報とは思えなかった。何か、感じるものがある。

 最後に、仕事の道具を一式手に入れたという、流れのハッカーを探した。モグリの運送業者の企業が管理する意識体にアクセスし、配送記録を閲覧する。

 情報保護が厳にされているために、この記録の閲覧は、許可を受けていない俺には許されていない。違法行為だ。

 この意識体にアクセスするために、防壁を突破している。この防壁も、下手をすれば俺を焼く劫火となるので、注意が必要である。

 情報を引っ張り出し、離脱。

 機材を配送した先の住所を地図上で確認。トキオ・シティの外周部の一角、チャイナ・ストリートの奥だった。

 とりあえず、依頼はこれで果たせる。

 意識を共有領域から戻し、自分の部屋へ戻る。うっかりするといけないので、警察の監視装置を誤魔化す仕組みを即座に構築し、それを装置に送り込んだ。無効化したも同然になる。

 さて、風呂に入ってから、寝よう。


 翌朝、目が覚める時、何かを感じたけれど、よく分からなかった。

 窓の外、カーテンの向こうからは陽の光。アラームが鳴り始めたので、反射的に止めつつ、それから時間を確認する。時間は時計を見ずに、意識の上で正確に把握できるのに、間抜けだな、と思いつつ、予定通りの時間に起きられたようだ、と安心。

 部屋に備え付けのシャワーを浴びて、身支度を整える。いつものコーラを一本飲み干す。朝食は外で。さすがに今日は警察も来ないだろう。

 無事に外に出て、行きつけのカフェへ。時間は予定よりやや早い、相手はまだ来ていないだろう。ゆっくりと朝食を食べて待ち、それから仕事の話をすればいい。

 そんなことを思って店に着くと、もう相手が待っていた。

 全く、バツが悪い。

 店に入り、店主に目配せしつつ、相手の座っている席に向かう。テーブルを挟んで腰を下ろした。相手もこちらに気づいている。テーブルにはコーヒーカップのみ。

「朝食はもう済ましましたか?」

 挨拶を省略して聞く。相手は「ええ」と応じるのみ。

 若い店員がやってきて、俺はサーモンのサンドイッチとカフェオレを注文。

「結果を聞かせていただけますか?」

 相手、さっきの店員と同じくらいの若さの女性、依頼人は、そう切り出してきた。

「ご依頼の人探しですが、おそらく、居場所は判明しました」

「この街ですね?」

「そう。詳細な地図をお渡しします。ご自分で訪ねればいいのだろうと思いますが」

 依頼人は、こちらを睨むように見る。

「トマツは」

 依頼人が少し言い淀む。トマツというのは、彼女の探している人間である。

「あなたから見て、その、大丈夫だと思いますか?」

 何を聞きたいのかはだいたいわかるが、余計なことは言いたくない。

「生活はできているんじゃないですか? マインド・ハッカーが仕事に困らないのが、トキオ・シティですからね」

「そうではなくて……」

「では、なんですか?」

 依頼人は意を決したようだった。

「元の生活に戻れそうですか?」

 俺もマインド・ハッカーの気持ちがよくわかるから、この依頼人の質問にはやや不快感を覚える。

 マインド・ハッカーはまともではないし、まともという定規に当てはめられるのは不愉快に感じるものだ。

「生活に元も何もないですよ。そう思いませんか?」

「言葉が間違っていたようです。元の立場に戻れるか、と聞きたいのです」

「その質問への答えは簡単です。元の立場に戻りたいと思った時、戻れる人間もいるし、戻れない人間もいる。まずはお相手に戻る気があるべきか、聞くべきでしょう」

 やれやれ。もっとシンプルに行動してくれ。

「良いでしょう」依頼人は頷く。「彼に会見を申し込みたいのですが、仲立ちしていただけますか?」

 思わず俺は言葉を失っていた。

 ちょうど店員がサンドイッチとカフェオレを持ってきた。店員が去るまでの一瞬で考えを巡らせる。

「居場所はわかっています」カフェオレを一口。「ご自分で訪ねればよろしい」

「秘密裏に会いたいのです。あなたにそれをセッティングして欲しいということになります」

 何でも屋としては、断ることは難しい。

「えっと」サンドイッチをいじりつつ、思考。「つまり、あなたとお相手が秘密裏に会えるようにお膳立てすれば良いのですね? 秘密裏というのは、どの程度の秘密裏ですか? 他に希望は?」

 なんとなくサンドイッチの中身を検めてながら、俺は依頼人の意向を聞いて、算段をつけた。

 秘密裏と言いつつ、この場所で良いと言う。このカフェだ。

 確かに今の時間帯、他に客もいなければ、通りの人通りも少ない。

 他の条件もそれほど難しくもない。一番難しいのは、相手のマインド・ハッカーをどう引っ張り出すかになりそうだ。

 話が終わる頃、サンドイッチを食べる機を逃し、カフェオレだけ飲み干していた。

「では、今の内容でお願いして良いでしょうか?」

 相手の言葉に、俺は頷く。

「追加料金をもらいます。成功報酬ですが」

「おいくらですか?」

 俺は即座に意識から意識へ、請求書を送る。依頼人は目を細め、頷く。

 商談は成立。

 俺はサンドイッチをこの場で食べる気になれなかったので、下に敷かれていた紙で包むと、無造作に手に取り、席を立った。

「では、また連絡します」

 よろしくお願いします、と相手が頭を下げる。それに背を向けて、カウンターに視線を向け、意識により仮想通貨で決済。

「何もないようだよ」

 店を出る寸前、店主がこっそりと言葉で、それも囁き声で告げる。

 何もない、というのは、依頼人に尾行が付いていない、ということと、依頼人に協力者がいない、ということだ。この店は懇意にしていて、きっちり金を渡して、俺のサポートを任せている。こんな店がトキオ・シティにはいくつかある。

 店を出て、一人で歩き出す。

 三ブロックほど進んだとき、背後から自転車のベルの音。すぐに横に自転車が並んだ。

「ハッカーに会いに行く」

 俺はメインの自転車の後ろに乗り、メインはゆっくりと走り始めた。

「会ってどうする?」

「逢引をセッティングする」

「逢引? そんなにロマンチックなものか?」

 俺は顔をしかめつつ、

「痴話喧嘩に展開する未来しか見えん」

 と、言うしかない。

「相手が会わないんじゃないか?」メインが前を向いたまま言う。「マインド・ハッカーなんて連中は、進んで社会と関わろうとはしない。一人でこもって、意識の繋がりの中を彷徨い歩くような人間だ」

「耳が痛いな」

「痛くても聞いておいた方が良いぞ、アスカ。マインド・ハッカーは確かに多くの情報を知り、金銭と権力を操るのに長けている。しかし、それはただの意識上のことに過ぎない。実際の肉体、実際の社会を無視することは、失敗へ転がる急坂に飛び込むようなものだ」

 一般論で、間違いとは言えない。

「中には、急坂を転ばずに駆け下りる奴もいる」

「急坂の下は底なし沼だよ。巨大な。勢いをつけたところで、飛び越えられるものでもない」

「そりゃ悲劇だな。俺だったら、沼に船が浮いているように準備するが」

「沼に船を用意するなら、それ以前に坂を駆け下りるなよ」

 まったくだ。

 自転車はチャイナ・ストリートへ進む。人通りが増えたので、また途中で自転車を停めて徒歩で移動。意識を広げ、周囲の情報を検索。この通りは海外との関わりが強い連中が多いから、意識でやり取りされる情報も多言語だ。どんどん翻訳し、吸収。

 唐突に膨れ上がるように広がる情報があったので、チェック。

 それは、カジノ強盗が発生した、というニュースだ。店はナイトフッド。

 詳細を思い出せない、というか、認識できないが、カジノ強盗の計画があったことは知っている。どうやら計画が実行されたようだ。

 歩きながら、意識を向けていると情報が次々と入ってくる。

 現実面と意識面の両方で攻撃しているようだ。カジノ自体も防御をはじめ、その母体の企業も動き出しているという情報がある。私警も動き出したらしい、との情報もあるので、俺は意識の片隅で確認を始める。

 だけど、今は別の仕事もある。

「メイン、引き継げるか?」

 こめかみを指で叩きつつ言うと、メインが頷く。任せた、と意識をリンクし、仕事を渡す。

 俺たちはチャイナ・ストリートの大通りを離れ、路地から路地へ移動。細い道に面した扉の一つを開ける。扉の向こうには厨房がある。大きな包丁を持った男が、こちらをギロリと見た。俺が指で二階を示し、さらにこめかみを指で叩く動作。

(いるよ)

 野太い意識による呼びかけ。事前に連絡しておいた、というか、金を握らせたのでスムーズだ。男は扉へ顎をしゃくってみせる。

 メインをその場に残し、俺は厨房の隅にある扉を開け、その奥の階段を上がる。

 階段の行き止まりも扉。それを開く。

 微かな音が聞こえる。無機物の機械類の発する微かな駆動音、そして有機物の機材が稼働する脈動の気配。

 部屋は狭く、ベッドがほとんどを占めている。棚はなく、機材の類は床に置かれている。

 テーブルに向かっていた青年が振り向き、こちらを見る。

「どなたですか?」

 警戒している口調ではない。

「驚かないとは、意外だな」

 俺は室内に入っていくが、相手は無言。薄暗い明かりの中で、やや微笑んでいる。

「あんたがトマツかな?」

「そうですよ。僕です。知り合いでしたか?」

 俺はベッドに腰を下ろす。他に落ち着く場所もない。

「初対面だよ。同類だけどな」

「なるほど。マインド・ハッカーですか。居場所を完全に消すつもりはなかったですが、ある程度の欺瞞はしたはずです。それを破ったのですね?」

「もっと根本的に、この部屋の道具の配送記録を調べた」

 あぁ、とトマツが天を仰ぐ。

「それは抜かりました。運送業者を使わない、という方法も考えたのですが、モグリなら大丈夫だろうと手抜きをしたのが祟りましたね。そうか。配送記録を盗んだことはないな、僕も」

「ちょっとスリリングだが、不可能じゃない。六企業の傘下はやらないほうがいいぞ、ばれた時がヤバい」

 トマツがにこりと笑い、「覚えておきます」と言った。

「それで、何の御用で僕を探したのですか?」

「あんたに用がある連中は多いと思うけど?」

「そういう方々はたどり着けないようになっています」

 なるほど、と適当に相槌。本筋に戻ろう。

「トヅカという女性からの依頼で、君を探していた」

 刹那だけ、トマツの表情が消えるが、すぐに困り果てた表情に変わった。

「彼女は僕のことをどう認識していましたか?」

「俺の推測では、あんたが裏社会に足を突っ込んでいるのは知っているようだった」

「では、僕の足をその闇から抜きたいわけですね?」

 どうかな、と俺が言うと、トヅカは目を少し見開く。

「俺への依頼は、あんたを探すことだったし、次の依頼は、あんたと彼女を引き合わせることだ。俺は何でも屋だが、これじゃあ都合のいいお友達って感じだな」

 穏やかに、まったくです、とトマツが笑う。

「会う気はある?」

 返ってきたのは力のない笑い声、そしてため息。

「僕には彼女に会う権利はありませんよ。彼女には元の生活に戻るように、伝えてください」

「それで納得すると俺には思えないな」

「これでどうですか?」

 トマツは席を立つと、部屋の隅に積んであるカバンの一つを持ち上げ、こちらに放ってくる。重い音を立てて床に落ちたそれの中身を確認する。

 開けたチャックの向こうに、札束があった。ぎっしり詰まっているのだ。

「こいつはすごい」

 俺は札束の一つを手に取り、確認。偽物ではない、本物の紙幣だ。国際共通電子通貨が普及し、今では各国発行の紙幣もだいぶ価値が落ちたが、これだけあれば大金も大金だった。

「これを彼女に渡せば良いのか?」

「違います」トマツは苦笑する。「彼女の家にとって、この程度の金はなんでもないんですよ。それはあなたに渡すお金です。トヅカを元の生活に戻すための資金です。依頼できますか?」

 参ったな。ややこしくなってきた。

「一つに」

 俺はカバンを彼の方へ投げ返す。

「俺はそれほど金に困っていない」

「足りないですか?」

「そういうわけじゃない。もう一つはさっき言ったように、俺はあんたたちのお友達でもなんでもない。これは金で解決できない、単純だが複雑さも併せ持つ、面倒な件になりつつある」

 トマツは顔をしかめ、では、と机に向き直り、すぐに小さなデータカードを手にして振り返る。

「これを差し上げます」

 投げられたカードを受け取る。無線で意識に中身を抽出。

 やや驚きの内容だった。

「こんなもの、どこで手に入れた?」

「エハラ総合です」

 その名前はよく知っている。六企業ほどではないが、大企業の一つだ。

「これほどの情報を掠め取って、よく正気でいられるな。俺だったらさっさと自首するだろうね」

「そのせいで、今も逃亡中ですよ」

「なるほど。これなら女に会えないわけだ。さっきの札束で、あんたの安全を図ってやってもいいけど、どうする?」

 返事はどこか悲壮な笑みだった。諦めているのかもしれない。俺に見つかったこともあるし、仕方ないかな。

「良いだろう」俺は方針を決めていた。「とりあえず、トヅカには会えないという方針を伝えておく。ただ、おそらくは納得しないだろう。その時は、あんたが実際に顔を合わせて、真実を話す。二人の方向性が一致すれば、その時は俺があんたとお友達の雲隠れを手伝う。どうだ?」

 トマツはしばらく考えたようだったが、覚悟を決めたようだ。

「確かにそれは魅力的ですし、希望にも見える」

「よし。じゃあ、こいつは返しておく」

 カードを投げ返す。

「俺は今の情報の裏を取らせてもらうよ。自分の設備でね。また夕方にでもここに来る。それまでにトヅカには意志を確認しておこう」

「お願いします」

「少し辛抱してな」

 とだけ言って、俺は部屋を出た。

 階段を降りて、待っていたメインと一緒に外へ出る。

「カジノはどうなった? 進展は?」

 メインが不敵に微笑む。

「失敗した。数人の逮捕者が出ている」

 誰が指揮したのやら。そいつの信用はこれでなくなった。また仕事をしたければ、他の街へ行くしかない。行ったところで、噂が広まっていればダメだろうが。

「本当にやるのか?」

 メインがこちらを横目に見る。

 返事をしようとした時、俺の頭の中に着信音。意識による通信だ。相手は警察だった。もちろん、私警である。セキハラに所属している例の刑事。

(もしもし)

 受けると、相手がのんびりと言う。

(もう聞いているか? 例の件)

(カジノですか? 知ってますよ。失敗したようで)

(お前さんも噛んでいるんじゃないかと思ったが、余裕だな。何か知っていることがあったら教えてくれよ)

 この刑事のことは、こういう言葉を普通に言うあたりで、信用できる、とつい思ってしまう。

(残念ながら、何も知らないですよ。情報を流してくれれば、いくらでも調べますが。報酬次第でですけどね)

(警察は、金をもらうことはあっても金を払うことは滅多にないって知っているだろ)

 またそういうことを言う。思わず笑ってしまうじゃないか。

(良いでしょう。暇があったら調べますよ。とりあえず、とっかかりくらい教えてもらえますか? 前払いみたいなもんです。金じゃないから、良いでしょう?)

 少しの沈黙の後、ばらすなよ、という声と同時に、小さな容量の情報が届く。

 認識できない部分もあるが、そこらに流れている情報よりは詳細だ。

(今夜中に調べます)

(待ってるぜ)

 通信が切れる。意識を現実に戻すと、すでに自転車の近くだ。

「それで、やるのか?」

 メインがしつこく聞いてくる。

「カジノ強盗か? できそうなら、な」

 カジノ強盗? とメインが眉をひそめる。あれ? 違う話か。

「何にしろ」俺は話を進める。「間抜けな強盗犯のリストを作って、俺にかけられた情報錠をどうにかしないといけない。不便だからな。それより前に、トヅカからの依頼も果たす」

 チェーンを外したメインが自転車に乗り、俺もすぐに後ろに乗る。意識の通信でトヅカを呼び出す。すぐに出た。

(アスカですが、トマツと会いました)

(そうですか。私は会えそうですか?)

(本人はとりあえずは、会わないようです。彼は相当危ない橋を渡ったようですよ)

 知ってます、とつれない返事。

(承知しているのです、そのことは。それでも私は彼と生きたいのです)

 ロマンチックなことで。口には出さないが。

(良いでしょう。あなたの気持ちはトマツに伝えます。彼もあるいは、あなたを納得させるために、会うことも選択肢に含む、とも言っていました。では明日にでも調整しましょう)

 俺は会見の店は例の店にして、時間を決め、トヅカに伝えた。通信が切れて、思わず息を吐く。

「少し当てられたか?」

 メインの言葉に、ちょっとムッとなる自分を感じる。

「別に。男と女の間にある発想は、想像もできん」

 自転車はそのままトキオ・シティの中心部にある建物の一角に乗り付ける。雑居ビルで、その中の小さな部屋が、俺の根城の一つだ。

 室内に入ると、床を埃が舞う。旧型の自動掃除ロボットは故障したようで、部屋の片隅に転がっている。

 窓は塞がれていて、薄暗い。明かりをつけると、様々な機材が置かれている。これは少し、トマツの隠れ家に近い。

 機器の電源を入れて、椅子に座る。

 目を閉じると、意識が一瞬で拡張。大量の情報の流れが認識でき、むしろ逆にそれらの激しさに飲み込まれそうになる。フィルターを調整しつつ、俺は演算を開始。

 目指すは、エハラ総合の記録体だ。トマツの情報の裏付けをする。

 触れるどころか認識しただけで背筋がチリチリする、強力な防壁の気配。

 慎重に、慎重に、進んでいく。







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